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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
140.向けられた想い
しおりを挟む翌朝、早くに出発するというライオット王子を、焔さんと一緒に見送った。
ほとんど眠れなかったせいで頭痛がしていたけれど、王子を乗せた馬車が村の広場から見えなくなるまで、私はその背を見つめていた。
最奥禁書領域へと繋がる村の外の扉をくぐれば、王子も一瞬で王都へ帰れる。
しかし王の命令で正式に訪問しにきたからには、帰りも馬車で帰らなければ、と、王子はそう言って苦笑していた。
焔さんはと言えば、そんなライオット王子を何か言いたげな目で見つめながら、「向こうで会おう」なんて、短い言葉を掛けていて。
その後すぐ、いつもの調子でふたり言い合いをしていたから、焔さんが少し、いつもと違うように見えたのは気のせいだったのかもしれない。
まぁ、そもそものところ、焔さんが最奥禁書領域へ他人を入れるはずがないけど。
ぽん、と肩に置かれた手の重さに振り返ると、この夏陽の下に不釣り合いな、ローブをすっぽり被った焔さんがこちらを見つめていた。
「リリー。それじゃ、僕らも」
「……はい」
この村を去ることに、感傷が全くないわけではない。
私たちは揃って、見送りに出てきてくれている人たちへと向き直った。
何か言いたげなレグルさんと、目尻にハンカチを添えたレディ・オリビア。
この村に来た時に、図書館まで案内をしてくれた、村長さんたち。
寂しそうな顔をした子供たち、村人たちもちらほら。
そして、本を抱えたミモレちゃん。
この短い出張の間に、こんなに多くの人と知り合ったのか、と、改めて胸が締め付けられる。
「皆、短い間だったが、世話になった。感謝する」
「本当に、ありがとうございました」
焔さんのよそ行きの言葉に続けて、お礼を告げて深く頭を下げた。
「私たちこそ楽しかったわ。また、遊びに来て頂戴ね」
「お姉ちゃんたち、またお菓子持ってきてくれよ!」
「こら!大賢者様にそんな口きくなんて!……この子たちが、世話になったね。お嬢ちゃん」
「元気でね」
口々に温かな言葉をくれる人たちの中、ミモレがたたたっとこちらへ駆けてきて、小さな包みを差し出してきた。
「お姉ちゃん、その……色々、ありがとう。これ、お礼」
「ミモレちゃん……。私こそ、ミモレちゃんに助けてもらったんだから、お礼言わないと。沢山良くしてくれて、本当にありがとう」
「……うん」
「……これ、私がもらっていいの?」
渡された小さな紙包みを手に尋ねると、彼女は何度も首を縦に振った。
「お姉ちゃんに、貰って欲しいの」
「わかった。ありがとう。大切にするね」
綺麗な翡翠色の瞳の真剣さに、そっと包みを抱きしめながら応える。
彼女はもじもじしながら、いつも抱えている本を抱く腕にぎゅっと力を込めているようだった。
「……私、お姉ちゃんに手紙、書いてもいい?」
最後に聞こえた、本当に小さな声に、嬉しくなる。
「もちろん。お返事出すの、楽しみにしてるね」
目線を合わせて微笑めば、彼女も嬉しそうにはにかんで、レディ・オリビアの影へと戻っていった。
そろそろ帰らないと、と、焔さんを振り向けば、ひとつ頷きが帰ってくる。
「それでは、皆さん。本当にありがとうございました」
最後にもう一度頭を下げて、何度も手を振り返しながら、私たちは村の広場に背を向けた。
そこから村の入り口へと、2人と1匹、歩き出す。
「だぁー……暑い……。おい、1人だけ涼しい顔しやがって」
見送りの輪を抜けて少しした辺りで、アルトが舌打ちしながら焔さんのローブの肩へと飛び上がり、フードの隙間に入り込んだ。
「……おい」
「あー涼しい……お前のローブほんとに便利だよなぁ。いつでも快適だもんなぁ」
焔さんが払い落とそうとする手を上手く避けながら、アルトはうーんと伸びをした。
あのローブは魔術のかかったものなのだと、以前聞いたことがある。
確かに、この照りつける夏の太陽の下でも、あのローブの中だけはひんやり涼しい気温になっているだなんて……それはもう、便利すぎるではないか。
洋服店に行けば、買えるものなのだろうか……あちらに戻ったら、シャーロットにでも聞いてみようかな……。
……あ。
ぴたり、と、無意識に足が止まった。
私……シャーロットと、どんな顔して会えばいいんだろう。
リブラリカに帰るのだから、彼女にも会いに行きたいけど……。
ずっと休止になってしまっていた、食堂にお茶会をしに行かないと、なんて……呑気なことを考えていた。
昨夜聞いた彼女の婚約話が、心に棘のように刺さったままになっているのに。
立ち止まったまま、自分の足下に出来た影をじっと見つめる。
シャーロットだけじゃない。
オリバーにだって、館内で会うだろうし……その時私、一体どんな顔して会えばいいんだろう……。
「……あれ、梨里さん?どうかした?」
私が足を止めてしまったことに気づいた焔さんから、優しく声が掛けられた。
その声にはっと我に返って、慌てて誤魔化すように作り笑いをしてみせた。
「あ、えっと……。いえ、その、なんでもないんです。あはは」
私の下手な嘘に、焔さんがほんの少し、眉を寄せる。
ああもう、私……嘘下手すぎる。
自分の隠し事が出来ない質に、頭を抱えたくなっていると、焔さんはさらに口を開いて――。
「…………何か……」
あったのか?、とでも言いかけたのだろうか。
しかしその声は、突然背後から投げかけられた呼び声に、綺麗に遮られてしまった。
「お待ちください……!リリー様!」
「え……」
名前を呼ばれたことに驚いて振り向けば、こちらへ走ってくる、見慣れた黒い服の男性が。
「レグルさん?」
何か、忘れ物でもしただろうか……?
名指しされたことにも戸惑いつつ、その場に立ったまま、彼がこちらに来るのを待っていた。
焔さんも、私の後ろで立ち止まっていてくれている。
「……はぁ、はぁ……お呼び止め、してしまい……もうし、わけ、ありませ……」
「大丈夫ですか……?」
ゴホゴホと息を切らして目の前まで来たレグルは、流れる汗をハンカチで拭いながら、必死で息を整えようとしている。
「あの、……いえ、はい。もう、大丈夫です……」
何度か深呼吸をして切れた息を落ち着かせて、レグルはかちゃ、とモノクルの位置を直すと、その奥にある緑色の瞳に真剣な色をみせた。
ぴん、と背筋を伸ばしたレグルが、胸に手を当てて私を見つめた。
「リリー様。貴女と過ごせた短い期間、そして、貴女の教師として過ごした時間。どれも本当に、本当に素敵な時間でした。心から感謝しています」
「そんな……。ありがとうございます。そう言って頂けて、嬉しいです。私のほうこそ、本当にお世話になりました」
彼には、本当に色々なことを教えて貰った。
ロランディア図書館についてのこともそうだし、なにより、魔術について、この世界において子供が学び始めるような初歩の初歩、といったレベルから教えを授かった。
どの説明も解説もわかりやすく、ここに来たときとは比べものにならないくらい、魔術の基礎という下地を作ることができたと思っている。
彼が根気よく教えてくれたお陰だ。
「……リリー様」
「はい?」
「あの、出来れば驚かないで聞いて頂きたいのですが……」
「ええと……?」
急に、言いづらそうにそわそわとしたレグルに、首を傾げる。
やがて彼は、ぐっと拳を握ると次の瞬間――その大きな手の平で、私の両手をとり、包みこんだ。
「!」
突然のことに、咄嗟にびくりと両手を引き戻してしまう。
……がしかし、思いのほか力が強い彼の両手は、びくともしない。
「リリー様」
繰り返し呼ばれた名に、ざわりと胸の内側が逆立つような落ち着かなさを感じる。
緑の瞳と目が合う。
その視線の強さに、無意識に息を呑んだ。
「無礼は承知で、どうか申し上げさせてください。……私は、貴女の素直でひたむきな所を、とても好ましく思っております」
どくん、と、驚きに心臓が跳ね上がったのを感じる。
彼の真剣さにとらわれて、目が離せない――はずなのに。
背後に感じる、焔さんの視線が気になって仕方がないのは、なぜだろう。
予感のようなものが、頭の片隅で警鐘を鳴らす。
――続く言葉を、聞きたくない。
しかしレグルははっきりと、聞き間違えようのないくらいの鮮明さで告げた。
「このリヒトー・レグル……貴女を心よりお慕いしております。どうか、この何もないロランディアにて図書館を預かるこの私の、愛しい人になっては頂けないでしょうか」
彼らしい丁寧な口調で渡された想いに、私は大きく息を吸い込んだ。
同時に、胸がぎゅうっと締め付けられるのを感じる。
痛みをやり過ごすように目を閉じれば、握られた手に、レグルの手の温かさをじんと感じた。
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