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第2部2章 堕落戦線
第126話 『決別の刻』
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先日の大規模作戦と同じように、イドラたちを始めとする『片月』のメンバーは広間に集っていた。
そこにいるのは『片月』だけではない。『鳴箭』、『寒厳』、『巻雲』——
さらに加えて、先日の北部地域奪還作戦では方舟本部が襲われるなどの緊急事態に備えて待機としていた、チーム『逆風』と『無色』までもが招集されていた。
直接的にアンゴルモアと戦う、人類の槍。方舟の誇る戦闘班の全員が一堂に会する。
「諸君、ついにこの時が来た——」
それも、前もって各班のリーダーには話が通されていた奪還作戦とは違い、全員にとって寝耳に水の緊急招集だ。突然呼ばれて来てみれば、戦闘班がひとり残らず集められ、壇上には常にも増した険しさのヤナギ。
ふつうではないと、誰であれ一目で理解するだろう。
「——先ほど、ミンクツより離れた南方にて、未曽有の規模のアンゴルモアの群れを認めた。群れは現在、ここ方舟に向けて北上中。ミンクツに届くまで約半日の見立てである」
声なき驚愕が伝播する。整列した各班の者たちが、『未曽有の規模』という表現に慄く。
それはつまり、先日の北部地域奪還作戦における、異常なまでの数の群れを上回るということにほかならない。
だがそれさえ、ヤナギが続けて話す内容の前では霞んだ。
「さらに群れの中心に、ひときわ強い反応の個体を確認。観測班の推論により、方舟はこれを『星の意志』であると断定。よって本日これから、南方旧オフィス街にて、我々は『星の意志』を迎え撃つ」
「な——」
今度は、誰しもが声を抑えることを忘れた。どよめきが波となって広がり、場の全員が動揺する。
それはイドラも例外ではない。が、しかし同時に「ようやくか」という思いも去来し、決戦の日が訪れたことをイドラは受け入れた。
「星の意志? なんだそれ?」
「確か、ガイア理論に基づいた、この地球の意向のこと」
「それがアンゴルモアを天の窓から送ってるって? 本当かよ……おれはてっきり、やっこさんらは宇宙人かと」
「はッ、アタシは平行世界の侵略兵器だと思ってたよ」
イドラの周りで、名も知らぬ戦闘班の者たちが口々に囁き合う。『星の意志』の仮説は、あくまで仮説だ。頭から信じるようなものではない。
にもかかわらず、ヤナギは断言した。レーダーに映るその反応が、星の意志であると。
「よっぽどらしいなあ、これは。ヤナギの爺さんも張り切ってやがる。くく、あれじゃあ前線に立つとか言いかねんぞ」
「カナヒト」
列の先頭に立つカナヒトが、後ろのイドラたちを振り向いてにやりと笑う。
カナヒトのすぐ前はヤナギの立つ壇上であるため、恐れ知らずも甚だしかった。というか聞こえていた。歳を重ねてもヤナギの耳は遠くないらしく、失礼極まりない無駄口を叩く『片月』のリーダーに対し、青筋を立ててまぶたをピクつかせている。
ゴホン、とわざとらしく咳払いをして、ヤナギは場を鎮める。
「地上を奪われ、六十と四年。いよいよ我ら人類が雪辱を晴らす時だ」
言葉の節々に感慨をにじませながら、誰より苛烈に人類の復興を望む方舟の現総裁は、眼下の狩人たちを見渡して言う。
「知らしめてやるのだ! 悪辣なる侵略者どもに、この狭量なる星に——地上は、人類の領土であると!!」
「おお——!」
方舟の狩人たちは声を合わせ、意気揚々と拳を突き上げた。
空は相変わらずの曇天で、陽の光はわだかまる厚い雲によって遮られている。されど人の子は雲が風に散るのを待たず、晴れを乞うこともせず、南方へと向かう。
文明が星を侵し、その結果、星が人を見捨てたのなら。人もまた、星を見限るまでだ。
人にはもう、大いなる意志など必要ないのだから。
*
アンゴルモアの群れは、もはや軍隊とも形容すべき規模と統率で、人類の版図を蹂躙すべく北上していた。
しかし人類最後の砦である方舟も、その大局的な動きは捕捉ができている。専用の機材でそれを行う観測班と、観測班と連携しつつ戦闘班とも無線を通じてやり取りをするオペレーターといった人員を残し、イドラたちは漆黒の軍団を迎え撃つべく、方舟から車両で南下していた。
北部の時と違うのは、戦闘班のみならず、医療部や現地での作業担当の人員なども追随している点だ。
そう、今回は北部の作戦とは逆に、向かってくるアンゴルモアを迎撃する側。ゆえに、ミンクツに被害が及ばぬよう、その手前のどこかで陣を張る必要があった。
「まさか、ガチで現場まで出張ってくるとは……」
旧オフィス街。雲の灰色とアスファルトの灰色を、林立するビルがつなぐかのような場所。数週間前、イドラとソニアが地底世界から転移してきた辺りだ。
地形上の利点からここを迎え撃つ場と決め、比較的損壊の軽微なオフィスビルの一階を臨時司令部とする。それから、医療用や通信用の設備の配置に忙しなく指示を出す——白髪交じりの老いた男性。
イドラたちと同じく、方舟から南下してきたヤナギだった。直接現場で指揮を執る総裁の背姿に、離れたところからカナヒトが呆れたとばかりに肩をすくめる。
「それだけ大事な作戦ってことかぁ。星の意志ってのが本当なら、アンゴルモアの親玉だもんね。総裁も気合い入るよ」
「まあ、あの爺さんはこの機をずっと待ってただろうからな。しかしありゃあ張り切りすぎだ。あの歳で車なんて乗って、今に腰を壊すんじゃないか?」
「あははっ、大丈夫でしょ。もしそうなった時のために、ああしてベッドを置いてるんだし」
「よし芹香、ひとつ教えといてやる。野戦病院は出しゃばってぎっくり腰になった爺さんのためのモンじゃねえ」
わざわざトラックで物資を運んで敷設するのは、言うまでもなく、アンゴルモアとの戦いで負傷した人員の治療のためだ。断じて総裁の腰痛を癒すためではない。
セリカとカナヒトの益体ない会話を聞いて、苦笑いを浮かべながら、イドラは手持ち無沙汰に周囲を見渡した。
道路には土ぼこりがうっすらと積もり、歩道とを隔てる防護柵は形こそ保っているものの、長い年月に晒され、表面が崩れかけているのが見て取れる。椅子代わりにしようものなら、そのまま折れてしまうだろうか。
(夜戦になる、か。幸い、慣れてはいるが……)
方舟を出立したのが夕方だったため、陽は既に落ちている。
遠景は夜の闇に阻まれて窺えない。だがなにもしなければ朝が来る前には、闇の向こうから終末の使者が群れを成してやってくることだろう。
夜の中にぼうと浮かぶビルの群れ。
静かな闇は、一層その石の塔を棺めいた不吉なものに思わせる。
「いよいよ始まりますね。緊張、してますか?」
そばで声をかけられ、イドラは遠くから目を離し、隣を振り向いた。
いつでもそこにいる、白い髪に橙色の瞳。ソニアは腰にワダツミを帯びた状態で、イドラの表情を確かめるように見上げていた。
「ん——いや、どうだろう。してないかな。正直なところ、地上を奪われて六十四年と言っても、僕がそれを知ったのはついこの間だし」
「あはは……そうですよね。わたしもそうなんです。現実味がない、っていうか」
「『星の意志』との決戦。ヤナギのあの様子を見るに、大変なことなんだろうけどな。アンゴルモアすら最近初めて見た身としては、いまいち重みを量りかねる」
ちらと、道路の脇からイドラは臨時司令部のビルに視線を向ける。周囲は暗闇だが、その辺りは運び込まれた発電機を用いた灯りや、トラックのヘッドライトによって明るく照らされている。
司令部の中では医療体制とともに、通信設備の配置も整う頃だ。オペレーターがいるのは方舟本部だが、距離の関係でこちらにも通信拠点を築く必要があった。また無線は戦闘班だけでなく、古い地図を参照していくつかのビルの屋上に定められた、観測ポイントへ向かった人員とのやり取りにも使う。
「ところでソニア、ワダツミは腰に帯びることにしたのか? その、ソニアの身長だと扱いにくそうに思えるが……」
拠点構築の間、戦闘班の面々はおおむね暇していた。イドラはぼんやりと、人が出たり入ったりする臨時司令部の入口を眺めたまま、先ほど気付いたソニアの変化を指摘する。
ついこの間まで、それこそ地底世界でともに旅をしていた時からずっと、鞘に巻き付けた紐を使い、ソニアはワダツミを背負うような形で携行していた。それが今日は、腰に佩いている——まるで往時のウラシマのように。
ただ、ソニアの身長に対し、刃長七十センチほどの太刀であるワダツミは大きすぎるため、どうしてもやや不格好なきらいは否めない。動く際にも邪魔になりそうだし、それが明確であるからこそ、今日まで腰に吊るすことは避けてきたのではなかったか。
そこにいるのは『片月』だけではない。『鳴箭』、『寒厳』、『巻雲』——
さらに加えて、先日の北部地域奪還作戦では方舟本部が襲われるなどの緊急事態に備えて待機としていた、チーム『逆風』と『無色』までもが招集されていた。
直接的にアンゴルモアと戦う、人類の槍。方舟の誇る戦闘班の全員が一堂に会する。
「諸君、ついにこの時が来た——」
それも、前もって各班のリーダーには話が通されていた奪還作戦とは違い、全員にとって寝耳に水の緊急招集だ。突然呼ばれて来てみれば、戦闘班がひとり残らず集められ、壇上には常にも増した険しさのヤナギ。
ふつうではないと、誰であれ一目で理解するだろう。
「——先ほど、ミンクツより離れた南方にて、未曽有の規模のアンゴルモアの群れを認めた。群れは現在、ここ方舟に向けて北上中。ミンクツに届くまで約半日の見立てである」
声なき驚愕が伝播する。整列した各班の者たちが、『未曽有の規模』という表現に慄く。
それはつまり、先日の北部地域奪還作戦における、異常なまでの数の群れを上回るということにほかならない。
だがそれさえ、ヤナギが続けて話す内容の前では霞んだ。
「さらに群れの中心に、ひときわ強い反応の個体を確認。観測班の推論により、方舟はこれを『星の意志』であると断定。よって本日これから、南方旧オフィス街にて、我々は『星の意志』を迎え撃つ」
「な——」
今度は、誰しもが声を抑えることを忘れた。どよめきが波となって広がり、場の全員が動揺する。
それはイドラも例外ではない。が、しかし同時に「ようやくか」という思いも去来し、決戦の日が訪れたことをイドラは受け入れた。
「星の意志? なんだそれ?」
「確か、ガイア理論に基づいた、この地球の意向のこと」
「それがアンゴルモアを天の窓から送ってるって? 本当かよ……おれはてっきり、やっこさんらは宇宙人かと」
「はッ、アタシは平行世界の侵略兵器だと思ってたよ」
イドラの周りで、名も知らぬ戦闘班の者たちが口々に囁き合う。『星の意志』の仮説は、あくまで仮説だ。頭から信じるようなものではない。
にもかかわらず、ヤナギは断言した。レーダーに映るその反応が、星の意志であると。
「よっぽどらしいなあ、これは。ヤナギの爺さんも張り切ってやがる。くく、あれじゃあ前線に立つとか言いかねんぞ」
「カナヒト」
列の先頭に立つカナヒトが、後ろのイドラたちを振り向いてにやりと笑う。
カナヒトのすぐ前はヤナギの立つ壇上であるため、恐れ知らずも甚だしかった。というか聞こえていた。歳を重ねてもヤナギの耳は遠くないらしく、失礼極まりない無駄口を叩く『片月』のリーダーに対し、青筋を立ててまぶたをピクつかせている。
ゴホン、とわざとらしく咳払いをして、ヤナギは場を鎮める。
「地上を奪われ、六十と四年。いよいよ我ら人類が雪辱を晴らす時だ」
言葉の節々に感慨をにじませながら、誰より苛烈に人類の復興を望む方舟の現総裁は、眼下の狩人たちを見渡して言う。
「知らしめてやるのだ! 悪辣なる侵略者どもに、この狭量なる星に——地上は、人類の領土であると!!」
「おお——!」
方舟の狩人たちは声を合わせ、意気揚々と拳を突き上げた。
空は相変わらずの曇天で、陽の光はわだかまる厚い雲によって遮られている。されど人の子は雲が風に散るのを待たず、晴れを乞うこともせず、南方へと向かう。
文明が星を侵し、その結果、星が人を見捨てたのなら。人もまた、星を見限るまでだ。
人にはもう、大いなる意志など必要ないのだから。
*
アンゴルモアの群れは、もはや軍隊とも形容すべき規模と統率で、人類の版図を蹂躙すべく北上していた。
しかし人類最後の砦である方舟も、その大局的な動きは捕捉ができている。専用の機材でそれを行う観測班と、観測班と連携しつつ戦闘班とも無線を通じてやり取りをするオペレーターといった人員を残し、イドラたちは漆黒の軍団を迎え撃つべく、方舟から車両で南下していた。
北部の時と違うのは、戦闘班のみならず、医療部や現地での作業担当の人員なども追随している点だ。
そう、今回は北部の作戦とは逆に、向かってくるアンゴルモアを迎撃する側。ゆえに、ミンクツに被害が及ばぬよう、その手前のどこかで陣を張る必要があった。
「まさか、ガチで現場まで出張ってくるとは……」
旧オフィス街。雲の灰色とアスファルトの灰色を、林立するビルがつなぐかのような場所。数週間前、イドラとソニアが地底世界から転移してきた辺りだ。
地形上の利点からここを迎え撃つ場と決め、比較的損壊の軽微なオフィスビルの一階を臨時司令部とする。それから、医療用や通信用の設備の配置に忙しなく指示を出す——白髪交じりの老いた男性。
イドラたちと同じく、方舟から南下してきたヤナギだった。直接現場で指揮を執る総裁の背姿に、離れたところからカナヒトが呆れたとばかりに肩をすくめる。
「それだけ大事な作戦ってことかぁ。星の意志ってのが本当なら、アンゴルモアの親玉だもんね。総裁も気合い入るよ」
「まあ、あの爺さんはこの機をずっと待ってただろうからな。しかしありゃあ張り切りすぎだ。あの歳で車なんて乗って、今に腰を壊すんじゃないか?」
「あははっ、大丈夫でしょ。もしそうなった時のために、ああしてベッドを置いてるんだし」
「よし芹香、ひとつ教えといてやる。野戦病院は出しゃばってぎっくり腰になった爺さんのためのモンじゃねえ」
わざわざトラックで物資を運んで敷設するのは、言うまでもなく、アンゴルモアとの戦いで負傷した人員の治療のためだ。断じて総裁の腰痛を癒すためではない。
セリカとカナヒトの益体ない会話を聞いて、苦笑いを浮かべながら、イドラは手持ち無沙汰に周囲を見渡した。
道路には土ぼこりがうっすらと積もり、歩道とを隔てる防護柵は形こそ保っているものの、長い年月に晒され、表面が崩れかけているのが見て取れる。椅子代わりにしようものなら、そのまま折れてしまうだろうか。
(夜戦になる、か。幸い、慣れてはいるが……)
方舟を出立したのが夕方だったため、陽は既に落ちている。
遠景は夜の闇に阻まれて窺えない。だがなにもしなければ朝が来る前には、闇の向こうから終末の使者が群れを成してやってくることだろう。
夜の中にぼうと浮かぶビルの群れ。
静かな闇は、一層その石の塔を棺めいた不吉なものに思わせる。
「いよいよ始まりますね。緊張、してますか?」
そばで声をかけられ、イドラは遠くから目を離し、隣を振り向いた。
いつでもそこにいる、白い髪に橙色の瞳。ソニアは腰にワダツミを帯びた状態で、イドラの表情を確かめるように見上げていた。
「ん——いや、どうだろう。してないかな。正直なところ、地上を奪われて六十四年と言っても、僕がそれを知ったのはついこの間だし」
「あはは……そうですよね。わたしもそうなんです。現実味がない、っていうか」
「『星の意志』との決戦。ヤナギのあの様子を見るに、大変なことなんだろうけどな。アンゴルモアすら最近初めて見た身としては、いまいち重みを量りかねる」
ちらと、道路の脇からイドラは臨時司令部のビルに視線を向ける。周囲は暗闇だが、その辺りは運び込まれた発電機を用いた灯りや、トラックのヘッドライトによって明るく照らされている。
司令部の中では医療体制とともに、通信設備の配置も整う頃だ。オペレーターがいるのは方舟本部だが、距離の関係でこちらにも通信拠点を築く必要があった。また無線は戦闘班だけでなく、古い地図を参照していくつかのビルの屋上に定められた、観測ポイントへ向かった人員とのやり取りにも使う。
「ところでソニア、ワダツミは腰に帯びることにしたのか? その、ソニアの身長だと扱いにくそうに思えるが……」
拠点構築の間、戦闘班の面々はおおむね暇していた。イドラはぼんやりと、人が出たり入ったりする臨時司令部の入口を眺めたまま、先ほど気付いたソニアの変化を指摘する。
ついこの間まで、それこそ地底世界でともに旅をしていた時からずっと、鞘に巻き付けた紐を使い、ソニアはワダツミを背負うような形で携行していた。それが今日は、腰に佩いている——まるで往時のウラシマのように。
ただ、ソニアの身長に対し、刃長七十センチほどの太刀であるワダツミは大きすぎるため、どうしてもやや不格好なきらいは否めない。動く際にも邪魔になりそうだし、それが明確であるからこそ、今日まで腰に吊るすことは避けてきたのではなかったか。
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