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第三十三話

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 馬上の上から銃をこちらに向けてくるバラン公爵の部隊。
 メールはそれを助けだと思ったのだろう、真っ先に立ち上がると、

「バラン公爵殿! 遅かったではないか! さあ、奴らを蹂躙し――」

 助けを求めた途端――一発の銃声が鳴り響いた。

「ぐあああああああっっっ!!! な、なぜ……!」

 老人とは思えないほど大きな断末魔を挙げて、メールは倒れてしまった。
 予想だにしない敵の登場に、ヴェアトリーの兵士たちは気を引き締め、レオンもメール伯を抱えながら、やってきたバラン公の部隊を睨め付ける。

「野郎! テオ領の方面から来たってことは、ジイさんがこっちへ逃げるって先読みしてやがったのか!」

 やがて何騎かの騎兵たちがアリシアたちの目の前に止まり、一人の男が前へと躍り出た。
 今回の一件、裏で糸を引いていると思われる人物……フェルデ・フォン・バラン。

「……バラン」
「ヴェアトリー侯嬢。それにフォルカード公子。一筋縄でいかない者たちよ」
「なぜここに来た? メールを殺すためか?」
「我々も銃の取り扱いには慣れていなくてな。誤射だ」

 そんなハズはない。
 明らかに射撃の訓練を受けているハズなのだ。
 ミルラの率いていた部隊だって、その射撃の精度は正確であった。

 レオンがメール伯を地面に横にして、立ち上がる。

「銃の入手方法を知られないためか。国王陛下の親族に毒を盛った事実を伏せるためか。あるいはその両方か」
「フォルカード公子。そこまで知ったのなら、メールを消す必要はなかったな」
「野郎!」

 レオンが一歩踏み出そうとしたその時、バランの兵士たちがレオンに剣を向ける。
 バランは涼しい顔をしながら周囲を見回した。

「どうやら既にメール領の掌握をされたようだ。ここに来る必要はなかったようだ」

 バランはそんな言葉と共に、馬を後ろに向ける。
 そうだ、と言わんばかりに彼は、口を開いた。

「フォルカード公子。双子壁の一件は陽動だったのか?」
「それがどーしたよ」
「優秀な策であった。この私を翻弄してくれたな」

 背中しか見えなかったが、少し振り返ってきたバラン公はギッと睨み付けているように見えた。
 それ即ち、双子壁での陽動作戦が全て上手くいったのだろう。
 バランはそのまま馬の手綱を握りしめる。

「では、生き残れたとしたら、また会うとしよう」

 馬を走らせたバランに、レオンが「待て!」と叫ぶ。
 しかし、バランが残していった一部の兵士たちが道を塞ぎ、再び乱戦になる。

 メールの兵士たちはどうすればいいかも分からず、ヴェアトリーの兵士たちは新たにやってきた敵たちと戦う最中。
 アリシアは一人、バランの背中を真っ直ぐ見つめる。

「メルグリス。銃を」

 乱戦の最中であったが、メルグリスは持っていた銃をアリシアに向けて投げ渡してきた。
 受け取ったアリシアはそのまま狙いを定めて、バラン公の背中へと照準を定める。

「逃がさない」

 弾丸を――放つ。
 一発の銃声と共に飛んでいったそれは、バラン公の護衛をしている一人の兵士に当たった。
 アリシアが銃を撃つと同時に、兵士がスッと動いてきたのだ。
 兵士は落馬し、馬だけがバランの部隊と併走している。

「身を盾にする、か」

 目配らせも指示もない。
 アリシアが発砲すると同時に咄嗟に動いてくるのは、相当鍛えられている証左だろう。

「……逃したか」

 兵士の男は、まだ死んではいないようだが、銃弾を受けてなお、主を守った。
 その忠義を、アリシアは見事だ、と評することしか出来ない。
 なるほど、バランは何かしらの野望を成就させられる程の器はあるらしい。
 この兵士たちの練度の高さを見て、アリシアはそんな感想を抱いた。

 小さな戦は終わり、皆が武器を納め、逃げる者は我先に蜘蛛の子を散らす。

「……負傷した兵士たちの治療を。バランの部隊もだ」

 アリシアの宣言にヴェアトリーの兵士たちはすぐに返事を返し、レオンは慣れたように「またか」と表情一つ変えなかった。
 反対に、敵兵士と、メルグリスは驚いた表情を浮かべている。

「慈悲を向けているのか?」

 メルグリスが言いたいのは、もっと非情な人間かと思った、だろうか。

「これは敬意だ。あの男の部隊は思っている以上に優秀だ。この地では捕虜には出来ないが、彼らの実力に敬意を示し、治療をすべきだろう」
「敬意、か。剣聖姫の考えは徹頭徹尾、武に偏っているようだ」

 それがヴェアトリーで生きていたアリシアにとっての価値観なのだ。

 アリシアは倒れたバランの兵士に近付き、彼に声を掛けようと足を運ぶ。

「バランの兵士。お前の忠義、見事だ――」

 その兵士の男は地面に伏しながら剣を抜き、アリシアもまた剣を抜いた。
 まだ戦うのか。
 そう思った矢先――兵士は剣で自身の胸を貫いた。

「バラン公、万歳!!!」
「……っ」

 地面を血で赤黒く濡らしていく。
 ……惜しい男を失った。
 素晴らしい兵士を育てる男だ。
 レオンは汗を拭いながら、絶命した兵士の男を見つめる。

「この忠義っぷり、やべェな。バランの部下はここまでやるのかよ」

 だからこそ、アリシアは戦力に加えたいと考えたのだ。
 その高い忠義こそ、アリシアが求めていたものであったのだが……。

「バランの強さが……よく分かる」

 アリシアは自らの剣を収め、男の身体から剣を抜いた。
 アリシアは布で剣を拭うと、男を讃えるように剣を地面に刺した。
 彼の、墓標のように。

 アリシアは後ろを振り返る。
 もう一人の死亡した男……メールだ。
 ……彼には大した程敬意を向けない。地面に横たわっている彼を、一瞥して終わりだ。

「……メルグリス。もうお前が領を治めるしかないようだ」

 事切れたメールを見る農民たちやメールの私兵部隊の表情は、どこか曇っている。
 ろくでもない領主だったかもしれないが、これでも領地を治める長だったのだ。
 自分たちの将来に、どこか不安を抱いているのだろう。
 メルグリスは彼らに向けて、「大丈夫だ」と言葉をかける。

「もう私は四の五の言うつもりはない。民達の不安を必ずや退けなければ」

 メルグリスは覚悟を決める。
 そんな彼を見たレオンが、負傷兵たちに包帯を巻きながら、口を挟む。

「一応、メルグリスが領地を治めるために、フォルカード公の認可が降りた旨の書類を送っておくぜ。親父から正式な発表をするから、そっからはメルグリスが領の運営者だぜ」

 アリシアは腕を組む。

「……そんな書類に意味はあるのか?」
「平民の人間が、領地経営するとか急に言い出したら、不審がる人間も出てくるだろ。それよりも貴族の、それも内務卿からのお墨付きとありゃー民も従うだろうぜ」

 もっとも、王家に反逆の意を示しているフォルカード家の認可書類など、どこまで民が従うかは不明だが。
 レオンもそのことは理解しているようで「気休めみたいなモンだが」と呟く。
 ないよりはあった方がいい。後は民たちが、メルグリスを土地を治める優秀な人材だと判断されるか否かは、本人の能力と努力次第だろう。
 メルグリスも覚悟を決めたのか、まっすぐとアリシアを見つめている。

「アリシア。私はすぐにギルド内に議会を設置し、今後の方針を決めて行く予定だ」
「国王も、メールの死を理由に、仮の領主を送り込んでくるだろう。だが、以前のように領地経営を続ければいい」
「王国側と取引を続けても良いのか?」
「王国側も今までと変わらなければ文句はないだろう。仮の領主を決めなくとも、以前以上に働く人間がいれば、なおさら」

 むしろ、王国よりもヴェアトリーとの交易を強化してしまえば、制圧された土地と判断されて部隊を寄越される危険性が増す。
 それよりも王国との取引を変わらず続けていれば親王国派として、一応の味方として扱うだろう。

 問題はフォルカード公の認定によって、王国側はメルグリスを新しい長として認めない姿勢を固持する可能性は大いに有り得ることだ。
 ようするに、フォルカード公も王国にとっての敵であるため、メール領は事実上制圧された状態として扱い、それを良しとしない姿勢を見せた場合が問題になってくる。
 ……とはいえ、フォルカード公のみならず、様々な貴族が離叛を繰り返している王国内は、メール領の領地経営が出来る人材を回す、余力ある政治など出来ようがない。
 そのための王国への取引だ。
 上っ面だけでも王国の味方として媚びを売る方が良い。
 ……実はアリシアはこの手の狡いことは嫌いなのだが、目的のためならば手段を選ばないのもまた信条であるので、ここは仕方がない部分だ。
 メルグリスはアリシアの顔を見て、何を思ったのだろうか。眉を下げる。

「随分と機嫌が悪いようだが……?」
「レオンの好きそうなことが、嫌いなだけだ」

 なんで飛び火してンの? と文句を言っている者がいるが無視をする。

 一通りの手当てが終わった段階で、アリシアは馬に跨がる。
 お別れの挨拶をしている時間すら、今のアリシアたちには時間がないのである。
 ……バラン公を取り逃した以上、現在、ヴェアトリーの軍勢にはアリシアがいないという情報を齎されてしまうワケだ。

「……銃の出所を押さえた以上、私たちはここに用はない」

 やや周り道をしたがこれで銃取引をしているメールを潰せた上に、新しい領主を添えたため、バラン公にこれ以上の銃が渡る心配はなさそうだ。
 その新しい領主となったメルグリスは、馬に乗ったアリシアを見上げる。

「アリシア、礼を言おう! 貴女がいなければ、この土地は伯爵の支配に従い続ける他なかった」
「私は私の目的のために動いている。それだけだ」

 だから、あくまで自分たちの目的を達成するのが第一だ。
 誰かのために行動などしないのがアリシアなのだ。
 そんなアリシアを見て、馬に跨がろうとしているレオンを小突くメルグリス。

「勇ましいお人だな。なあ、レオン」
「おいおい、人様をからかうような笑みを浮かべるんじゃねェぜ」

 何の話をしているのだろうか。
 意味が分からない。

「私も、君にあやかりたいものだ」
「滅多なこと言うもんじゃないぜ、メルグリス。アリシアお嬢様に振り回される被害者ってのも辛いもんだぜ」

 はあー、とため息と同時にわざとらしく落胆するレオン。
 被害者とはどういう意味だ。それにレオンは自分からアリシアに付いてきたに過ぎない。

「んじゃま、戻りますか。アリシアお嬢様」

 清々しく笑うレオンは、憑き物が取れたように大きな声で笑う。
 それを……アリシアは静かに問う。

「……バランに横取りされたが、メールの一件が終わって、お前も満足したか?」
「いやァ。まだバランって本当の黒幕がまだいるだろ。それまで俺も遊ばせてくれよ」

 遊ばせてくれ、などとふざけたことを言う。
 仇敵を相手にして復讐などとちんけな言葉を使わず、面白そうに何事にも突っ込んでいく。
 国だって相手する令嬢に、面白そうだからという理由だけで味方してくる酔狂な男だ。
 そんな彼にアリシアはつい、


「変わった奴」


 と、呟いてしまった。
 レオンは、それを見て何と言うだろうか。

「…………」

 ただ黙っていた。どこか驚いたような表情をしている。
 いつもであれば、ずっとふざけたことを抜かす男が、らしくない態度を取っていることに、アリシアはムッとする。

「なんだ。いつものお前なら、『アリシアお嬢様に言われるなんて心外だ』とかなんとか言うだろう」
「いや。お前さん、貴族の令嬢のように笑えるんだなって」
「私は貴族だ」

 意味が分からないとアリシアには不快感が増していく。

「もう一回! もう一回さっきの顔、してみてくれよ」
「ああ、見せてやる」

 アリシアは不機嫌で、それでいてジト目で睨みつけてやった。

「あー、はいはい。施しをありがとうございますよっと」

 連れないねェといつもの調子で口笛を吹いているレオンに、アリシアは馬で蹴ってやろうかと考えたがやめた。
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