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死に戻るなら一時間前に

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「ああ、これが走馬灯なのね」

 階段から落ちていく一瞬で、ルルは十七年の人生を思い出した。侯爵家に生まれ、なに不自由なく育ち、幸せな日々だった。素敵な婚約者と出会い、これからが楽しみだった矢先に。

「神様、もし死に戻るなら、一時間前がいいです」

 ダメ元で祈ってみる。もし、ルルが主人公特性を持っているなら、死に戻れるかもしれない。
 ピカッと光って、一瞬目をつぶって、また目を開くと、目の前には笑顔の婚約者クラウス第三王子。

「クラウス様、聞いてください。私、一時間後に殺されます」
「ルル、何を言っているの」
「クラウス様、私、たった今、死に戻ったのです。クラウス様に教えられていた通り、階段から落ちた瞬間に、一時間前に戻りたいと神に祈りました」

 クラウスがルルの手を握る。

「詳しく話して」
「クラウス様とのお茶会が終わって、自宅に戻ろうと廊下を歩いておりますと、第一王子殿下の婚約者に嫌味を言われました」
「犯人は兄上の婚約者か」

 クラウスが険しい表情をして、指でトントンと膝を叩く。

「分かりません。その次は、第二王子殿下の側近とすれ違いました」
「そちらも怪しいな」

 クラウスはため息を吐いて腕組みをした。

「その後、どこからともなく風が吹き、私のスカーフが飛ばされてしまいました。慌てて侍女が追いかけました」
「風魔法が得意な者は誰であったか」

 クラウスが眉間にシワを寄せ、空をにらむ。

「階段に着き、先に護衛が降ります。護衛が何かに足を取られて体勢を崩しました。次に私の足が滑りました。護衛は手すりにつかまっていたので、私を支えることができず。私は落ちて行きました」
「誰か周りに怪しい人はいたかい?」

 ルルは小首をかしげた。

「それが、たくさんいたと思うのです。しっかり見えたわけではありませんが。私の元婚約者、妹、妹の取り巻き、生徒会の役員。同世代の貴族がたくさんいました」

「なぜ王宮に、おかしいではないか。もしや、ルルの死を見学するつもりだったのではあるまいか。ルル、これからは護衛の数を増やそう」

 ルルは小さく首を横に振る。

「いえ、クラウス様。今のままで結構です。ただ、王家の影を大至急配置していただけないでしょうか。廊下と階段あたりに」
「ルル、まさかと思うけど、階段に行くつもり?」

 クラウスが目を見開いて身を乗り出す。

「はい。犯人を特定するには、それが一番だと思います。同じことをそっくりそのまま繰り返します。ただし、今回は王家の影の監視の中で」

「ダメだ。そんな危ないこと。次も死に戻りできるとは限らないよ」
「もちろんです。うまく生き残る方法を考えましょう。あと一時間弱あります」
「うわー。時間がなさすぎる」

 クラウスが頭を抱えた。

「昨日に戻ることも一瞬よぎったのですが。一時間にしました。一日前では、同じことをずっと繰り返す自信がありませんでした。ちょっとしたことで未来が変わるのでしょう。未来が変わってしまえば、犯人を特定するのが難しくなりますもの」

「ルル、なんて勇気だ」

 クラウスが目を潤ませてルルを見つめる。

「事前に、手引き書を読ませていただけたおかげです。心の準備ができておりました」
「転生者、転移者、主人公、かもしれない人への手引き書か。まさかあんな眉唾ものの文章が役に立つことがあろうとは」

 クラウスの母方の家に、代々伝わる手引き書なのだ。クラウスとの婚約が決まったとき、こっそり読ませてもらった。荒唐無稽な内容だったが、その中に死に戻り手引きもあったので、助かった。

「死ぬ間際に神に祈れば、好きな時間に戻れるかもしれない。祈るのが遅いと、下手したら十年前に戻るかもしれない。そう書いてありましたでしょう。私、同じことを十年もやり直すの、イヤですわ」

 それはとても退屈だと思う。先がどうなるか分かっている人生。なんの楽しみがあろうか。犯人が分かっている推理小説を読むようなものではないか。

「それに、十年前に戻ってしまったら。クラウス様は、私の知っているクラウス様ではないかもしれません。それはイヤです」

 今ここにいるクラウスがいいのだ。ルルの思いが伝わったのだろう。クラウスは真っ赤になっている。

「ルルを必ず守る。そして犯人を特定し、相応の報いを与える」

 クラウスはルルの手を持ち上げると、優しく手に口づけた。


 そんなわけで、二回目の階段落ちである。

 風が吹き、ルルのスカーフが飛ばされ、侍女が後を追う。護衛は何かに引っかかって階段の手すりにしがみつく。ルルの足元がツルンと滑る。

 ルルは階段を思いっきり蹴った。高く、なるべく高く。
 
 ルルは小脇に抱えていた配膳用のトレーを足の下に当てる。滑車がついている下の方の台を持ってきたのだ。重心をやや後ろ側にし、後輪で着地し、そのまま階段をカタカタカタと降りていく。

 カタタン 軽やかに階下に降り、ルルは台車トレーに乗ったまま、シャーッと涼しい顔で貴族たちの前を通り過ぎた。

「ルル様」

 後ろから慌てて護衛と侍女が追いかけてくる。ルルはふたりを待って、悠々と馬車に乗り込むと無事に侯爵家まで戻った。

「スキーが得意でよかったわ」
「ルル様、さきほどの技はいったい」
「スキーみたいなものよ。今日は階段に注意って占いに出ていたから。ホホホ」

 ルルは震える膝をさりげなく止めて、朗らかに侍女に笑って見せた。



 それからのことは、クラウスがやってくれた。王家の影が目撃した情報をもとに、疑わしい者を追い詰めていく。ルルは侯爵家で大人しくクラウスの訪れを待っている。

「まず、ルルの妹。階段にピアノ線を張っていた」
「あらまあ。まさか、自ら手を汚すなんて。おバカさんにもほどがあるわ」

「思っていたより驚かないね」
「妹は、以前から私のものを欲しがる、ねだり魔でしたから。おおかた、私がクラウス様と婚約して腹が立ったのでしょう」

 欲しがりの妹を持つ姉、よくある話だ。自分の物は自分の物、姉の物も自分の物。そういう考えなのだ。ルルにはちっとも理屈が分からないが、なぜか妹はそう信じて疑わない。

「次、ルルの元婚約者。今はルルの妹の婚約者だね。階段のいくつかを、氷魔法で凍らせていた」
「まあ、道理で。ツルッと滑りましたものね」

「なぜそんなに落ち着いているのだ」
「配膳トレーで階段落ちをしたことに比べれば。屋敷の客室で聞く暗殺ばなしは、それほど怖くありませんわ」

「うまくいって本当によかった。私は生きた心地がしなかったよ」

 クラウスがルルの手をそっと包み込む。クラウスの手のぬくもりで、こわばっていたルルの手がほどける。

「彼はね、婚約解消したとき、ルルがあっさり受け入れたのが屈辱だったらしい。泣いてすがってくると思っていたそうだよ」

「あきれたこと。そもそも政略での婚約で、愛情なんてありませんでしたのに。彼は妹とベッタリでしたし、せいせいしておりましたわ」

「私は、ルルを一生大事にするから。ルルのことが大好きだから」
「クラウス様。私もクラウス様が大好きです」

 甘い空気に包まれ、見つめ合うふたり。しばらくして、侍女が新しいお茶とお菓子を持ってきてくれた。クラウスはハッとして話を続ける。

「生徒会役員たちは、ルルの妹に連れて来られたらしい。何かおもしろいことが起こると聞いていたらしいよ。理由を知って震え上がっていた。もう、妹と関わるのはやめるそうだ」
「そうですか。それならいいのです。ただの野次馬ですわね」

 ルルは興味なさげに頭を軽く振る。

「兄上の婚約者は、ルルのことが気に食わなかったらしい。ルルのスカートにインクをかけようとしたけど、モタモタして間に合わなかったそうだ。泣いて謝っていた」

「ホホホ、うっかりさんですわね。彼女とは仲良くなれるかもしれませんわ。しばらくネチネチいじめてからですけれど」

 ホホホとルルは楽しそうに笑う。命を狙ったわけではないなら、構わない。貴族なんて、殺伐とした界隈なのだから。

「兄上の側近は、ルルがひとりで歩いていたら、少しイタズラしようと考えていたらしい。ルルの評判を貶めて、私の派閥を弱らせたかったそうだ。ルルに護衛がついていたから、スカーフを飛ばしただけにしたらしい」

「最低ですわね」

 ルルは唇を噛みしめる。クラウスの心配そうな目を見て、ルルは唇を噛むのをやめて、微笑んでみせた。

「ルル、無理に笑わなくていいよ。必ず、追い詰めて罰するから」
「いいえ、クラウス様。私は誰も罰してほしくはございません」

 ルルは静かに告げる。

「なぜ? 命を狙われ、尊厳を傷つけられようとしたのに?」
「クラウス様、せっかくの切り札です。切り札は、切ってしまったらおしまいですわ。いつ使うか分からないからこそ、いいのです。脅しと抑止力ですわ」

「ルル、本当にいいの? 盛大にざまあして、溜飲を下げたくはないのかい?」
「いいえ。それより、いつ罰せられるか分からず、ビクビクしている彼らを見ている方がおもしろいではないですか」

「ルル、なんて恐ろしいことを言うのだ。最高だ」

 クラウスはルルを抱きしめる。


 誰も罰せられなかった階段落ち事件のウワサは、王国を駆け巡った。クラウスは王位を継ぐことはなかったが、しかとした実権を握り続け、王国を支えた。

 王国の影の支配者は、クラウス殿下とルル殿下であると、まことしやかにささやかれている。

 王国は今日も平和だ。

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