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第12部

第五章 隠れ里➂

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 それは、十分前のことだった。

 ――がしゅん、がしゅん、がしゅん。
 サザンXは一機、上機嫌な様子で板張りの廊下を歩いていた。
 愛用のスパナを片手に構え、『……ダダッ、ダッダダン! ダダッ、ダッダダン!』と謎の鼻歌 (?)を口ずさんでいる。
 時折、銃口を向けるように、スパナを構える。
 サザンⅩが歩くその廊下は、壁のように並ぶスライド式のガラス戸越しに、庭園と隣接する変わった造りだった。
 そのガラス戸を開ければ、すぐに庭園へと降りられる構造になっているのである。
 これもまた、アロンの様式だった。
 魔窟館とは全く違う趣なので、サザンⅩも興味はあるのだが……。

「……ヌウ」

 不満そうに呻く。
 コウタたちが眠る部屋を出てから、誰にも遭遇しないのだ。
 折角の探索も、誰とも会わなくてはつまらない。
 一旦、部屋に戻るか。
 そう考えて、振り向いた時だった。

「……ム?」

「…………」

 不意に、視線が重なった。

「……ムム?」

 サザンⅩは首を傾げた。
 振り向いた先。少し離れた場所に、どうしてか赤ん坊が座っていた。
 恐らく、生後、六ヶ月から七ヶ月ぐらいだろうか。
 最も愛らしい時期のその子は、アロンの和装を着た赤ん坊だった。
 まん丸な瞳を瞬かせて。小さな足を前に投げ出して。
 その子は、廊下の上に、ちょこんと腰を降ろしていた。

「……アカゴ、カ?」

 サザンⅩは困惑した。
 周囲には、人の姿はない。
 一人では歩けない赤ん坊が、どうして一人で――。
 と、疑問を抱いていたら、

「……だあっ!」

 赤ん坊が、突然声を張り上げた。
 それから、のたのたと両手を廊下につくと、前のめりになった。
 いわゆる「ハイハイ」の構えである。

「……ム!」

 サザンⅩは、身構えた。
 幼い赤ん坊から、何やら気迫のようなモノを感じたのだ。
 立たずにはいられない。そんな気迫だ。
 そして――。

「――だあっ!」

 赤ん坊が、手と足を動かし出す。
 生後半年過ぎぐらいの赤ん坊の「ハイハイ」。丁度覚えたてぐらいの時期だ。
 だが、その速度は、覚えたての速さではなかった。
 両手両足を滑らかに動かし、赤ん坊は、ぐんぐんサザンⅩに迫ってくる!

「……ヌヌウ!」

 サザンⅩが呻くと、赤ん坊は「だあっ!」と瞳を輝かせた。
 が、その途中で、手が空ぶってしまった。
 赤ん坊は前のめりにバランスを崩し、廊下の途中でひっくり返ってしまった。

「……ムム! アカゴヨ!」

 サザンⅩが、心配して駆け寄ろうとしたが、そこで言葉を失う。
 ひっくり返った赤ん坊は、亀のように背中を軸にして廊下の上を滑り出し、一気にサザンⅩの足元にまで、移動してきたのである。
 そして、ぱしっと。
 赤ん坊は、サザンⅩの右足を、小さな手で掴んできた。
 下を向くサザンⅩと、仰向けになった赤ん坊の視線が重なる。
 赤ん坊の瞳は、この上なく輝いていた。

「だあっ! だあっ、だあっ!」

 今度は、左手でぺたぺたっと廊下を叩き出す。
 その瞳が、こう訴えかけていた。
 ――抱っこしろ、と。

「……ムウ」

 さっきから呻き声しか出していない気がするが、サザンⅩは、愛用のスパナを腰の鞘へとしまい、赤ん坊を両手で抱き上げた。
 すると、赤ん坊はさらに瞳を輝かせて、サザンⅩへと両手を伸ばしてくる。

「だあ! だあ! だあァ!」

 凄い興奮ぶりだ。
 きっと、この子の目には、サザンⅩが、もの凄い玩具に見えているのだろう。
 ゴーレムたちは、子供たちには大人気なのだ。赤ん坊も例外ではない。
 当のサザンⅩたちとしては困ったものなのだが。

「……ムムム」

 サザンⅩは、改めて周辺を見やるが、やはり保護者の姿はない。
 非常に困ってしまう。これはどうすればいいのか。
 保護者もいないのに赤ん坊を一人には出来ない。

「……イッタン、モドルカ」

 サザンⅩには、荷が重い。
 ここは、コウタに任せることにした。
 サザンⅩは元気いっぱいの赤ん坊を抱えて、コウタのいる部屋に向かった。
 その間も、やはり人と出会わない。
 コウタの部屋の前に戻ったサザンⅩは、一旦赤ん坊を廊下に置いて襖を開けた。
 そうして、今に繋がるのである。



「………えっと」

 コウタは、赤ん坊を両手で抱き上げて、眉をしかめた。
 人懐っこい子のようで、知らない人に抱き上げられても、ニコニコとしている。

「ボクのところに連れてこられても困るんだけど……」

 なにせ、自分の状況さえも分からないのだ。
 と、その時だった。

「……あれ? 赤ちゃん?」

 不意に、背中から声が聞こえてきた。
 背負っているアイリの声だ。
 アイリは、コウタの背中越しに、赤ん坊を見つめていた。

「あ。アイリ。起きたんだ」

「……うん。けど、その子、どうしたの?」

 アイリが、コウタの背中から降りて尋ねてくる。

「いや。ボクにもさっぱり?」

 コウタが小首を傾げると、アイリが両手を伸ばしてきた。

「……抱っこさせて」

「あ、うん」

 コウタは、アイリの方に赤ん坊を差し出した。

「けど、気をつけて。赤ちゃんって意外と重いから」

「……うん。分かったよ」

 そう言って、赤ん坊を受け取るアイリだったが……。

「……あ」

 忠告されていても、想像以上に重かった。
 その上、「だあっ!」と赤ん坊がはしゃぎ始めた。元々、アイリ自身が同年代の少女よりも小柄で非力だったこともあり、大きくふらついてしまう。

「あ。危ないよ。アイリ」

 コウタは、アイリの背中を支えた。
 しかし、アイリの腕力では、そもそも赤ん坊を支えるのも厳しい。
 コウタは少し考えて、

「うん。アイリ。その子をしっかりかかえておいて」

「……え?」

 アイリが困惑していると、コウタは少し身を屈めて、アイリを赤ん坊ごと抱き上げた。
 アイリが目を瞬かせていた。
 すると、コウタは、ニッコリと笑った。

「降りたくなったら言ってね」

「……う、うん」

 アイリは頷いた。自分ごと抱き上げられているので、赤ん坊は、アイリの体の上に乗っかかるような形でいた。赤ん坊は、ニコニコと笑っていた。
 一方、アイリは、頬を赤く染めてた。
 これは何というか……。

(……将来の前倒しみたい)

 遠い未来のこと。
 自分と、自分の赤ちゃんは、コウタにこうやって抱き上げられる。
 そんな未来を想像した。いや、確信に似た直感を抱いた。

「…………」

 アイリは、耳まで赤くしたまま、自分の胸の上にいる赤ん坊の頬を、つんつんとつついた。赤ん坊はニコニコと笑ってくれる。
 そこで、アイリはふと気付く。

「……この子、おでこに角があるよ」

「あ、ホントだ」

 コウタも、赤ん坊の額に目をやった。
 赤ん坊の額には、一本の小さな角が、ちょこんと生えていた。

「一本と二本の違いはあるけど、アヤちゃんと同じだ。この子、アヤちゃんと同じ一族の子なのかな?」

 と、コウタが呟いた時だった。

「――タツマ!」

 不意に、襖が開けられた。
 コウタと、アイリ、サザンⅩは声の方に振り向いた。
 すると、そこには、

「――良かった! ここにいたのね!」

 ホッとした顔の、一人の少女がいた。
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