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第2部

第五章 暗躍①

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「……これでチェックメイトです」


 カチャリ、とチェスの駒を置くメルティアに、


「……ぐうう」


 ジェイクは、腕を組んで渋面を浮かべた。
 場所はレイハート家の別荘。一階の応接室。
 居残り組のメルティアとジェイクは、向かい合わせのソファーにそれぞれ座り、チェスの対戦をしていた。
 室内には、興味深けに見物しているアイリとゴーレム達の姿もある。


「……コレデ、メルサマ十連勝。ジェイク弱イ」


 と、零号が淡々と告げる。「……うん。ジェイク弱いね」と、アイリにまで言われ、ジェイクはますます渋面を浮かべた。


「いやいや、オレっちはそんなに弱くねえよ。メル嬢が強すぎんだよ」


 言って、深々と溜息をつくジェイク。
 ここまでボロ負けしたのは、初めての経験だった。


「コウタ相手でも、チェスなら十回に四回は勝てんだけどな……」


 と、微妙な戦績を告げると、メルティアはふっと笑った。


「私はコウタにも負けた事は一度もありません」


 ジェイクは、ギョッと目を剥いた。


「マジか!? メル嬢ってそこまで強えェのか!?」

「チェスなどのゲームは基本的に全く同じ戦力で戦います。なら、私がコウタに負ける要素はありません」


 と、大きな胸を揺らして自慢げに語るメルティア。
 対するジェイクは「へえ」と感嘆をもらして、


「流石はアシュレイ将軍の娘ってことか。メル嬢はすっげえ軍師になりそうだな」


 うんうん、と腕を組んで頷く。
 しかし、メルティアは困ったような笑みを浮かべた。


「私は軍師なんかにはなりません。と言うより、私は一生魔窟館に引きこもって、コウタといちゃいちゃしながら暮らすことを、人生の目標にしています」


 そう宣言され、ジェイクは「……おおう」と唸った。


「そいつは、また後ろ向き、でもないか? まあ、目標を持つのはいいことか」

「私達が十九歳になる頃には、第一子の誕生予定です」

「随分と具体的だな!?」


 どうやら、メルティアは本気で将来設計を立てているらしい。
 ジェイクは少し考えた後、改めて目の前の少女に訊いてみることにした。


「なあ、メル嬢」

「……? 何ですか?」


 キョトンとした表情で尋ね返すメルティア。
 ジェイクは、紫銀の髪の少女をまじまじと見据えて言葉を続けた。


「メル嬢の気持ちは決まっていても、アシュレイ家としてはそれでいいのか? メル嬢は跡取りなんだろ? いつかは縁談話もあるんじゃあねえの?」

「それはあり得ません」


 メルティアは、きっぱりと告げた。


「何故、アシュレイ家がコウタを騎士学校に通わせていると思っているのですか。父はコウタをアシュレイ家の跡取りとして考えているからです」


 と、そこで一拍置いて、彼女は少しだけ頬を染めた。
 そして、もじもじと指先を動かして、


「そ、その、騎士学校の卒業を機に、コウタは私の婚約者として社交の場で紹介されるそうです。こないだラックス――うちの執事長が多分そうなると言っていました」


 コウタ本人もまだ知らない計画を告げてきた。
 ジェイクは目を丸くする。


「おいおい、マジかよそれ」


 メルティアは真顔で「マジです」と答えた。
 これには、豪胆なジェイクも流石に驚いた。
 コウタは優秀とは言え、平民出身だ。それも本人いわく村人らしい。
 そんな出自の人物に、そこまで期待を寄せていようとは。


(うわあ、メル嬢の方は、すでに家族ぐるみってことかよ。流石は幼馴染。やっぱ、お嬢はかなり出遅れているよなぁ)


 思わずジェイクは内心で唸った。
 自分の都合もあって、リーゼに味方しているジェイクだが、協力している以上、やはり彼女には想いを遂げて欲しいという気持ちはある。
 まあ、リーゼの家も公爵家。障害は多いに違いないが、彼女ならば結構簡単に乗り越えそうなので特に心配はしていない。


(とにかく今回はチャンスだ。頑張れよ。お嬢)


 ジェイクがお膳立てしたサザンの散策。
 果たして、二人の心の距離はどこまで縮まるのか。


(今頃、二人が急接近でもしてりゃあ、面白いんだけどな)


 と、そんなことを想像しつつ。
 意外と奥手なリーゼでは無理かもな、とジェイクは苦笑をこぼすのだった。


       ◆


 ジェイクの勘は、意外と当たっていた。
 サザンの一角。袋小路になっている路地裏にて。
 コウタとリーゼの二人は、この上なく急接近していた。
 まさに息がかかるような距離で、コウタがリーゼを片手で抱きしめているのだ。
 ただし、彼らの表情は極めて緊迫したモノだったが。


「コ、コウタさま……」


 と、リーゼが不安げに少年の名を呼ぶ。
 彼女の肩は少しだけ震えていた。
 いきなり武器を持った複数人の覆面男に囲われては、恐怖を抱くのも当然だ。


「リーゼさん」


 コウタは自身の緊張は隠しつつ、穏やかな声でリーゼに声をかけた。


「こいつらは多分荒事のプロだと思う。けど、ボクらも訓練を受けている。落ち着いて対処したら、どうにかできるはずだよ」

「で、ですが、わたくし、対人戦の実戦は……」


 と、なお不安を抱くリーゼに、コウタは少し考えてから、


「大丈夫だ。リーゼ」


 やや強い口調で、あえて彼女の名前を呼び捨てにする。
「えっ」と呟き、リーゼの心音が高鳴った。


「君は優秀だ。こんな奴らに負けたりはしない」

「コ、コウタさま……」


 再び少年の名を呼び、リーゼは小さく息を吐いた。
 それから、トンと少年の胸板に額を預け、


「……そうですわね。考えても見れば、わたくしは騎士学校に入学する前から対人訓練は受けています。暴漢に怯えるのも馬鹿らしいですわね」


 そう言って、凛とした表情を見せる。
 そして、少し名残惜しむ様子でコウタから離れると、腰の短剣を引き抜いた。
 コウタもそれに倣うように、肩のサックを降ろし、短剣を抜刀する。
 それに対し、男達もナイフを身構えた。
 彼らは何も語らない。全員無言で目的さえ告げなかった。
 ただ、淡々とした殺気だけを放っている。


(……問答無用ってことか)


 コウタは、ちらりとこの路地裏に誘い込んだ帽子の男に目をやった。
 帽子の男は、針はすでに懐にしまい、武器をナイフに持ちかえている。
 その構えには隙がない。深々と被った大きな帽子のせいで表情は読めないが、緊張もしていないようだ。この状況に完全に慣れている証拠だ。
 コウタは、グッと短剣の柄を強く握りしめ、


(……あの男は、さっきリーゼさんに痺れ薬を使おうとした)


 この状況を冷静に分析する。


(と言う事は、リーゼさんを殺す気はない。彼女を攫うのが目的か。リーゼさんは公爵令嬢だし、誘拐目的の犯行なのか?)


 と、そんな可能性を考えるが、それはかなり低そうだった。
 今日、リーゼがサザンに訪れたのは、ただの偶然だ。
 誘拐目的ならば綿密に計画するはず。実行するのなら、彼女の行動が読みやすいパドロでだろう。公爵令嬢の誘拐計画とは考えにくい。


(なら、普通に人攫いってことか)


 リーゼは紛れもない美少女だ。凛とした顔立ちに、美しい蜂蜜色の髪。それに加え、しなやかな肢体が織りなす優雅な仕種は、かなり人目を惹く。
 たまたまこの街で彼女を見かけた人攫いが、欲を出したのかもしれない。
 そして彼らの殺意からすると、狙いはリーゼの拉致。コウタの方は排除すべき邪魔な連れといったところか。


(けど、そうだとしたら……)


 そこでコウタは内心で嘆息した。


(……はあ。ボクは人攫いと因縁でもあるのかな)


 額に裂傷を持つ、とある人物を思い出して、コウタは苦笑をこぼす。
 まあ、この連中の中に、あの怪物のような男と並びそうな人間がいないのは幸いか。
 いずれにしろ、自分の命は勿論、リーゼをこんな連中に渡す気はない。


「リーゼさん。気をつけて」


 コウタは隣に立つ少女に告げる。


「こいつらは強盗じゃない。狙いは多分君だ。拉致する気なんだと思う」


 それに対し、リーゼは「そういうことですか」と苦笑を浮かべた。


「営利誘拐、もしくは人身売買ですか。嫌になりますわね」

「まあ、そうだね。サザンの治安はいいって聞いていたけど、やっぱりこういう連中はどこにでもいるものなのか」


 と、コウタも苦笑いを見せて答える。
 リーゼはふっと口元を綻ばせ、短剣を水平に構えた。


「何にせよ、降りかかる火の粉は払わなければ。ああ、それとコウタさま」

「ん? 何かな、リーゼさん?」


 隙なく短剣を下段に構えてコウタが尋ねると、


「実は先程のことなのですが……」


 と、前置きして、リーゼは少し早口で告げた。


「今後、わたくしのことはリーゼとお呼び下さい。俄然士気が上がりますので」

「……へ?」


 キョトンとした声を上げるコウタ。
 リーゼは「お願いしますわね」とだけ言うと、一気に駆け出した。
 鋭い刺突が覆面男の一人を襲う――が、それは火花を散らして男に防がれた。


「え? ちょ、ちょっと リーゼさん!?」

「リーゼとお呼び下さい! 士気が下がってしまいますわ!」


 と、剣戟を繰り返しながら、リーゼが叫ぶ。
 コウタは少し困惑していたが、すでに戦闘に入った彼女を放置などできない。


「ああもう! 分かったよ! リーゼ!」


 そう叫び返して、コウタも彼女の元に駆け寄った。
 かくして。
 サザンの路地裏で、密かな戦闘が始まったのである。
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