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おやゆび姫
エレナ
しおりを挟む「リード……」
馬車から現れたジークフリードに駆け寄ろうとしたわたしは思わず足を止めた。
チラリとこちらを見たリードは何も言わずに振り向くと馬車に向かって手を差し出す。その手に乗せられた白くなめらかな手。馬車を降り立つと白い手は何の迷いもなくリードの腕に絡んだ。まるで私のものだと宣言するかのように。
何が起きているのか理解できず呆然としてしまっていたけれど、「妃殿下!」と小声で耳打ちする侍女のリリアの声に我に帰った。王太子妃たるもの、どんな事が起きようとも狼狽えてはならないのに。わたしはは自分を奮い立たせるように背筋を伸ばし微笑みを浮かべてからスカートを摘まんで優雅に礼をした。
「お帰りなさいませ」
「この方が王太子妃でいらっしゃるのね?まぁ、なんて可愛らしいこと」
顔を上げると白い手の主が笑いかけてきている。それに戸惑う私の不出来を責めるようにリードは冷たい瞳をジロリと向けてきた。
「オードバルのエレナ王女だ。しばらく城に滞在することになったと知らせが届いているはずだが聞いていないのか?」
「申し訳ございません」
お忍びだとしても王族の来訪を失念などするはずがないし、家臣達が知らせを受けながらわたしの耳に入れないなんてどう考えてもあり得ないこと。それなのにリードの詰るような問いかけは鋭く冷ややかでわたしは俯いた。
「ジークったらそんなに怖い声で。可哀想に怯えていらっしゃるじゃないの!」
馴れ馴れしくジークと呼びながら王女はリードを見上げて諌めるが、その言葉の中から子ども扱いし小馬鹿にしたトゲが突き出しわたしを次々と突き刺している。
リードは眦を下げて微笑み腕に回された白い手にそっと触れた。繊細な硝子細工に触れるかのように優しくそっと。そして長旅で疲れたエレナ王女を気遣う言葉を掛けながらわたしの横を通り過ぎて行く。
「…………戻りましょう」
リリア達に告げ踵を返した話の視線の先には楽しそうに言葉を交わしながら腕を組んで歩くリードとエレナ王女の姿がある。
わたしは動揺を見せぬようにと二人から目を逸らすことなくゆっくりと歩を進めた。胸の中に得体の知れない黒雲がもくもくと広がっていくのを感じながら。
使者の到着は二人よりも半日も遅れてのことだった。急な決定だったために先を急ごうと距離は近いが険しい峠道を選んだところ、崖崩れが起き通行止めになってしまったらしい。王女はジークフリードの親しい友人として訪ねるのだから国賓としてではなくただの客人として受け入れて欲しい、国王からの親書にはその様にしたためられていた。
「仲の良かった第二王子のお兄様を落馬事故で亡くされたばかりで気落ちされていてね。その上懇意にしていたジークフリードの帰国が近付いてすっかり塞ぎ込まれてしまったそうで、お父上である国王陛下が気晴らしに滞在したらどうかと勧められたんですって。元々あなた方の婚儀には参列して下さることになっていらしたから、それが終わってから帰国なさるそうよ」
呼び出された王妃様からことの次第を聞いて思わずあんぐりと口を開いた。
あの王女が気落ちしている?塞ぎ込んでいる?そんなバカな!
懇意って……仮にも妻帯者である男性にあんな態度を取るのが懇意なのかしら?
それに……
「婚儀まで……こちらに滞在なさるんですか?」
署名式で書類上は夫婦になってはいるもののわたし達はまだ式を挙げていない。婚約当初からわたしが成人するのを待ってという予定だったのだ。挙式はわたしの18歳の誕生日。まだまだ先だ。そんなに長い期間エレナ王女と顔を合わせなければならないなんて。
あの出迎えだけで、わたしはすっかりエレナ王女が苦手になっていたのだ。
「お気の毒なお方ですから何かと気にかけて差し上げるのですよ。それなのに貴女ったら先にエレナに気を使わせてしまったようよ?」
「……は?」
「ジークフリードと仲が良いから嫉妬をしたようだって心配していたわ。アンネリーゼ、貴女、エレナにご挨拶をしなかったそうじゃないの!」
何も言い返せなかった。
状況はともかく王太子妃でありながら外国の王族に挨拶をしなかったのは事実なのだ。リードが王女だと話した時点で王太子妃の自分が名乗るべきだったのに、混乱してしまったのだから確かに非はこちらにある。いくら相手の態度が不遜だったとしても理由にはならない。
「それでもエレナは貴女と仲良くしたいと言っているの。ここでの滞在が少しでも心を癒すように優しくしておあげなさい。それにエレナは オードバルの王女、王室の一員として見習うべき所が沢山あるはずです。丁度良い機会に恵まれて幸運でしたね」
自身も隣国の王女であった王妃様は全く悪気など無いながらもわたしの血筋への不満を口にすることがある。わたしに目を留めた人物こそがこの王妃様で、期待に応えなければと努力をしている事は承知していて下さるし王妃様なりに可愛がって頂いているのもわかっている。しかし高貴な血への誇りから、無意識にわたしを尊いものを持たぬ存在としてチクリと突き刺すのだ。
理不尽でしかないお説教から開放されたわたしは廊下に出るとこっそりと溜息をついた。
「リリア、エレナ様にご都合を聞いてきてもらえるかしら?ご挨拶に伺いたいの」
王太子妃付き侍女のリリアは一礼してエレナ王女の元に向かった。我慢ならなかったのかほんの少しだけ眉間を寄せてから。わたしは心配するなと言うように笑顔を浮かべた。
やっぱりそういうことなのだとわたしが確信するまで大した時間は必要なかった。
わたしとは短い言葉を交わすことしかできていないのにエレナ王女はいつもリードの傍にいた。一日の大半をリードと共に執務室で過ごしあれこれと世話を焼いているという。わたしとは時間が合わないからと昼食もお茶を飲むのもエレナ王女と。家族が揃う夕食の席では何故かリードの隣にはわたしではなくエレナ王女が座った。
大人しく口数の少ないわたしとは違い、華やかなな雰囲気を持つエレナ王女は的確な話題を選び場を盛り上げるのがうまかった。朗らかで愛嬌のあるエレナ王女は直ぐに国王夫妻とも打ち解け二人が好印象を抱いているのは傍目にも明らかだ。今まではわたしと国王夫妻の3人で静かに過ごしていた晩餐の時間はすっかり賑やかなものになった。
リードは何度となくエレナ王女と顔を見合わせ笑い合う。その一方で存在など忘れているかのようにわたしには話し掛けもしなければ視線を向けることも無い。
「アンネリーゼ様は本当にお可愛らしいこと。お人形さんみたいだわ」
エレナ王女はしきりとわたしを『可愛らしい』と褒めた。だがそこにはいつもたっぷりの嘲りが含まれているのをわたしは知っていた。リードと同じ年で大人っぽく艶めいているエレナ王女は『可愛らしい』という言葉で垢抜けない子どもだと見下しているのだ。それに気の効いた話の一つもできないわたしを黙ってそこに座っているだけの人形のようだとも……
力のない愛想笑いを浮かべつつ『お褒めにあずかりまして恐縮でございます』と答えるわたしに、エレナ王女は艷やかな赤い唇の端をくいっと引き上げて笑いかける。けれども真っ直ぐに見つめる視線は敵意剥き出しの鋭さでわたしに向けられていた。
しかし何よりも胸を抉ったのはそんな時にだけわたしを見つめる嫌悪に歪められてたリードの表情だった。
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