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おやゆび姫

アルブレヒト

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 聞こえてきた賑やかな笑い声に執務室の窓から見下ろすとリードとエレナが仲睦まじく庭園を歩いていた。二人はすぐ近くにある噴水の側のベンチに腰を掛けて楽しげに話をしている。

 「リセ?」

 ぼんやりと二人を見ていたわたしは自分を呼ぶ声に驚いて振り向いた。

 「アルブレヒト様……ごめんなさい。気が付かなかったわ……」
 「……リセ……」

 視線の先にあったものに気が付いたのだろう。アルブレヒト様は顔を歪め不快感を剥き出しにした。だがわたしはそれには気付かぬふりをして明るい声を出した。

 「さぁ始めましょうか?」

 アルブレヒト様は兄さまの友人で共にオードバルに留学した経歴を持つ。アカデミーで学んだ国際学に明るくわたしの指導を任されている一人だ。小さな頃から兄さまに会うために頻繁に屋敷を訪れていたアルブレヒト様なのでもう一人の兄みたいな存在だったし、アルブレヒト様は兄さまを真似てわたしをリセと呼び妹のように可愛がってくれていた。

 「……わざわざあんな場所で……」

 苛立ちを含んだ声で吐き捨てるように言ったアルブレヒト様に背を向け、わたしは夕べ予習したノートを広げた。

 「エレナ様がお気に入りなんですって」
 「どんな理由で気に入ったのやら……」
 「アルブレヒト様!」

 小さな子どもを窘めるように名を呼ぶとアルブレヒト様は肩を竦めた。

 「あそこで派手な女と親密そうに語り合っているのは君の夫じゃないのか?」
 「そうね」
 「だったら何故リセは黙っているんだい?」
 「わたしが口を出せば何かが変わるのかしら?」

 わたしはつかつかと歩いてきてアルブレヒトの横に立ち、再び二人を見下ろした。

 「少なくとも『そういう』気持ちはどうにもならないんじゃない?」
 「リセっ……」
 「しかもあの方の振る舞いはわたしが妻だと承知の上でのことですもの。私に勝る何かを持っていらっしゃる自信がおありなんだと思うわ」
 「リセ!」
 「確かに妻だからって私と殿下の間に何があるかと考えてみたら何も思い浮かばないし。結婚した翌日からずっと離れて過ごしてきたのよ?わたし、王太子妃である自覚は持っているけれど殿下の妻となると……」

 思わずクフっと吹き出しながらアルブレヒト様を見た。

 「ここだけの話だけど全然実感がないもの」
 「だからこそこれから二人で育んで行く筈の物じゃないか。それなのにあんなにあからさまにリセを……」
 「そうね、蔑ろにされるのってこんなにも気分が悪いものなのかって思い知らされているわ。それなのに婚儀の準備で息つく暇もないんですもの。非合理だなって腹は立つけれど一体わたしに何ができて?」
 「リセ……」
 「わたしはね、王太子妃として前に進むしかないの。そしてもしも通せんぼをされたら……黙って、ううん違うわ。至らずに申し訳ございませんってお詫びの言葉を言いながら引き返すしかないのよ」
 「リセ…………」
 「アルブレヒト様ったら!」

 わたしはとうとうケラケラと声を上げて笑いだした。

 「6回よ?」
 「6回?」
 「えぇ、わたしの名前を呼んだのがね。しかもご丁寧に全部呼び方か違ってよ!」「り…………」

 うっかり呼び掛けそうになったアルブレヒト様は唇を噛んで眉間を寄せる。わたしは無邪気に笑い続けながら手を伸ばしその眉間を指先でトントンと叩いた。

 「さぁ先生。無駄話はもうおしまい。講義を始めて下さいますか?」

 雰囲気を変えようとアルブレヒト様に笑いから、それからわたしは何気なくもう一度池の側のベンチに目を向けた。

 そしてその視線は凍りついたように止まった。

 いつの間にかこちらを見上げていたリードの冷たい光を放つ瞳はわたしではなくアルブレヒト様に向けられていた。そしてリードを見下ろす抑えきれない怒りに火照ったようなアルブレヒト様の瞳。

 二つの視線はぶつかり合い静かに、しかし激しい火花を上げていた。
 

∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗


 「アンネリーゼ!」

 振り向いたわたしは訝しげに首を傾げた。リードが帰国してから名前を呼ばれたのはこれが初めてだ。今まで呼び掛けようとする素振りさえも見せていなかったのに、突然後ろから呼び止められた。何だというのかしら?何時にも増してすこぶる不機嫌ように見えるけれど?

 「あの男は誰だ?」
 「男?」
 「君の執務室に居ただろう?長身で若い……」
 「アルブレヒト様ですか?ジェローデル侯爵家のご子息で殿下もご存知のはずですわ。きっと留学されていたアルブレヒト様が帰国されたのと入れ違いに殿下がご出立なさいましたので、おわかりにならなかったのでしょう」

 わたしだって帰国したアルブレヒト様が身体の成長だけではなくすっかり落ち着きある大人になって別人みたいだと驚いたのだ。屋敷に遊びに来ていた彼はとんだ悪戯坊主でわたしをからかってばかりいたのに。

 それから更に3年以上もを隔てたのだからリードが気が付かなかったのも無理はないのだろう。しかしリードはより一層表情を険しくして近寄ってくる。

 「それがどうして君の執務室に居たんだ?」
 「アルブレヒト様からは二年ほど前から国際学の講義を受けておりまして、本日もお越し頂いたのですが?」

 そんな責め口調で聞かれても別に遊んでいた訳じゃないのに。それでなくとも婚儀の為多数の国賓の来訪を控えた今は、最新の国際関係を把握するためにアルブレヒト様の講義の時間を大幅に増やさなければならない。雑談なんてしたのは初めだけで、あれからは明け方までしていた予習で出てきた疑問を消化しようと必死に講義を受けていたのだから。

 これで納得しただろうと口を閉じたが、リードは不機嫌な表情のままわたしを見下ろし何も言わずに立ち去って行く。

 「アンネリーゼ……ですって……」

 遠ざかった背中に向かい小声で呟き溜め息をつくとくるりと振り向いて歩きだした。

 肩が小刻みに震えるのは笑い出すのを我慢していたからのはずなのに急に視界が滲んでぼやけ、わたしはこっそり目元を拭った。
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