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アンネリーゼ

トラス村

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 国境に近いルアール地方のその村は一年半前に山火事が延焼し壊滅的な被害を受けた場所だ。被災者支援が上手く行かず困窮し疲弊する村人達をどうにかしたいと色々提案したのだけれど一向に現場に反映されず、とうとうわたしはじっとしていられなくなって現地に行き陣頭指揮を執ったのだ。

 救援の兵士や騎士達は懸命に任務に当たってくれてはいたのだけれど、村人達の求める物と彼らの考えるものとでは解離があったのだろう。避難した人々は老若男女お構い無しに教会や公会堂に詰め込まれ食べ物は日持ちのする固いパンや干し肉ばかりが何日も出されていた。この非常時に風呂に入りたいとも言い出せず火傷や怪我が悪化していく。村人達は疲弊し気力も体力も失くしていた。

 今にして思えばあれはわたしが前世で被災はせずとも幾つもの大災害を見聞きした燕だったからこそ知っていた現場の声だったのだろう。現場に赴いたわたしは避難所に仕切りを設置してプライバシーを保てるようにし炊き出しで温かいものを振る舞い仮設の浴場を作った。持ち込んだ生理用品や赤ちゃんのオムツを見た女性達は歓声を上げ、絵本や玩具を手にした子ども達は落ち着きを取り戻していく。

 収穫間近の果樹園が全滅し生きる術を失くしたと茫然自失の男達には仮設住宅を建設する仕事を与え、畑を再建するための補助金を支給することを伝えた。

 嘆き悲しみ絶望するばかりだった村人達の瞳に僅かながらに輝きが戻ったのを見届けてわたしはあの地を離れた。あれから時は過ぎ、まだまだ収穫には至っていないがこの春ついにポツリポツリと林檎や杏の花が咲いたと報告書には記されていた。

 「嬉しそうだな?」

 急に声を掛けられて驚いて顔を上げたがリードの視線は手元の書類に向いている。だけど嬉そうな顔をしたのはどう考えても私一人なのだからやっぱり私に投げ掛けた言葉なのだろう。私は『えぇ』と短く答えリリアに話し掛けた。

 「トラス村の林檎や杏が花を咲かせたんですって」
 「まぁ!それでは秋には収穫が出来るのですか?」

 私は微笑みながら首を振った。

 「苗木を植えてから収穫迄は何年も掛かるの。村人達が元のように果樹園で生計を立てられるのは残念ながらまだまだ先ね」
 「トラス村……土埃にまみれた君が一人で丘に立っていた、あの村だな」

 そんなリードの声が聞こえた瞬間だった。

 突然目の奥で光が弾け直後に目の前が真っ暗になった。


 **********


 静まり返った暗闇の中、また頭上から光が差して足元の秘密箱を照らす。私は箱を手に取りただじっと見つめた。闇雲に動かしても箱は開かないし開け方もわからない。わたしがこの中に閉じ込めた何かは永遠に封印され続けるのだろう。

 そう思った時、側面の板が独りでにするんと動き光の粒がキラキラと輝きながら舞い上がった。それは私の前で集まり小さな球体を形作りふわふわと揺らいだかと思うと弾けるように飛び散って強い光を放つ。眩しさにぎゅっと目を閉じた瞼を上げるとそこはあのトラス村の丘の上だった。

 聞こえてきた馬の嘶きに振り向くと麓にポツンと立っている月桂樹の木に誰かが手綱をくくりつけ足早にこちらに向かって来る。茶色いマントのフードを目深に被った男性だ。

 わたしは慌てて周りを見回したが近くにいた筈の騎士たちの姿はどこにも無い。胸の中の不安が急速に大きさを増し激しく脈打つ心臓に息ができないくらいの苦しさを感じたその時、男性はわたしを見上げてフワリとフードを取り払った。

 「リセ!」

 名前を叫び丘を駆け上って来た男性を見たわたしは目を瞠った。良く知っているけれど全くの別人みたいに見えるその人は……

 やはりリードだった。

 見送った時はまだまだ少年らしさが残っていたリードは二年の歳月を経て背丈が伸びて身体付きが逞しくなり見違えるほどに大人らしくなっている。

 「リード?」
 
 どうしてここに?と呆気にとられ茫然と立ち竦むわたしに駆け寄ってきたリードはいきなり手を伸ばしてわたしの腕を掴んだ。

 「安全な城にいる筈の王太子妃がこんな所で何をしている!君の軽はずみな行動がどれだけの人達に迷惑を掛け危険に晒しているのか少しは考えろ!!」
 
 頭ごなしに凄い剣幕で怒鳴り付けられわたしは思わず身体を竦めた。滲んだ涙で二年ぶりに再会したリードの顔がぼやけていく。けれども俯いたわたしは掴まれた左腕を振り払いリードを真っ直ぐに見上げた。

 「安易な思い付きなんかじゃない、迷惑を掛けるのも色々な危険があるのも判っている。わたしだって悩んだわ。けれども困窮し生きる希望を失くしているのはこの国の民なのよ?そんな彼らに手を差しのべ立ち上がる勇気を与える為にはここに来るしかなかった。安全な城に居ては伝わらない事がある、足を運んでこそ伝えられる事があるの」
 「馬鹿を言うな!こんな危険な場所で陣頭指揮を執るなんて、君は王太子妃なんだぞ。少しは自覚を持て!」
 「わたしはファルシアの王太子妃よ。自覚ならずっとずっと前から持っている!守るべき民が救いを求めているのに危険を恐れて城から指を咥えて眺めているだけなんて、わたしには耐えられない。それならばわたしは何のために存在するというの?」
 「だからってここは危険すぎる。何か有ったらどうするんだ」

 リードは唸るように静かに言うとわたしの目を覗き込んだ。けれどもわたしに向けられた美しい碧紫色の瞳は今もまだ怒りで燃え上がるような光をたたえている。わたしは不機嫌に顔を曇らせてプイと横を向いた。

 
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