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アンネリーゼ

口喧嘩

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 「それならリードはどうなの?貴方こそどうしてここに来たのよ?しかも貴方……」

 わたしは月桂樹の木に繋がれて草を食んでいる馬に目をやった。

 「一人でここまで来たのね?」
 「だから何だ!問題なんか無い。誰にも気が付かれないようにこっそり抜け出して来たんだ」
 「呆れた!」

 わたしはまじまじとリードの顔を見つめ盛大にため息をついた。

 「自覚が無いなんてよくもわたしに言えたものね?貴方はファルシア王家の血を引くたった一人、唯一無二の王太子なのよ?王太子妃なら代わりを探せば良い、でも貴方は」「ふざけるな!!」

 雷鳴みたいな怒鳴り声と共に両肩を掴まれわたしは目を見開いてリードを見上げたまま凍りついたように動けなくなった。リードの両手は怒りでブルブルと震えブラウス越しにも氷のように冷えきっているのが判った。

 「君はリセだ。王太子妃である前にリセなんだ……………………」

 
 ∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗


 「妃殿下?」

 そう呼ばれはっと我に帰るとリリアが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 「どうかなさいましたか?」
 「……なんでもないわ。大丈夫よ」

 笑いながら首を振ってみせたけれどリリアは渋い顔で何か尋ねるようにアルブレヒト様を見た。アルブレヒト様は承知したとばかりに手を伸ばし私の額に指をかざして目を閉じた。

 「リセは怯えているんだ。封印したものと向き合うことに」
 「怯える?」

 目を開けたアルブレヒト様は大きく頷いた。

 「心の奥で拒んでいるんだ、当分封印は解けないだろうな。だけど厄介なことに中身の方が外に出たがって暴れ始めている」
 「……それでどうなるの?」
 「今みたいに僅かに緩んだ所から滲みででくる」
 「何か思い出したのか?」

 リードに聞かれて私は首を傾げた。

 「トラス村での事を少し。丘に立っていたら殿下がいらして……頭ごなしに怒られて……あの、殿下?」
 「……?」
 「わたくしはあんな風に殿下に…………」

 わたしは人見知りで大人しくてほんの一握りの心を許した人の前でしか本当の自分を見せなかった。兄さまが『内弁慶』って言った通りアンネリーゼという女の子は決して陰気な性格ではなくて、その人達にとってはお茶目でよく笑う明るい女の子だったのだ。

 丘の上でリードと向き合ったわたしは躊躇うことなくリードに思いの丈をぶつけていた。つまり……リードはわたしが心を許した一握りの中に含まれていると言うことなの?

 「あ……」

 急に襲われた息苦しさに胸を押さえて俯いた私を見てリリアが息を呑んだけれど、私は深呼吸を繰り返し息を調えて平気だと微笑んで見せた。私の身体がこれ以上話を続けるのを拒んでいる。根拠なんて何もないが私は直ぐにそれを悟った。

 「良いかリセ。無理にこじ開けようとする必要はない。むしろ何らかの閉じ込めなければならない理由があるからこそ封印したんだ。それは決して悪いことじゃない」
 「そうなのかしら?でも……凄く引っ掛かるのよ。何かとっても大切なものを閉じ込めてしまった気がして……」
 「開けてみれば案外ろくでもないものかも知れないだろ?ほら、八つくらいだったリセが宝物を入れたっていうクッキーの缶。何が入っているかとこっそり覗いたらカマキリの卵でさ、丁度羽化した小さいカマキリがワラワラ出てきたところで」

 ひっ!と短い悲鳴を上げてリリアが座席の角に張り付いた。

 「ちょっと、アルブレヒト様ったら!」
 「あぁ、これは失礼。でもリセの宝物はそんなやつばかりだったぞ?脱皮した蛇の皮とか蜥蜴のしっぽとか」

 青ざめたリリアが小刻みに震えている。堪り兼ねた私がアルブレヒト様の脛にハイヒールの爪先で御挨拶をすると、アルブレヒト様は声も出せずに涙を浮かべて悶絶した。

 「リセ……そろそろ手加減ってものを覚えようか……」
 「手加減なら知っていてよ?でも残念ながら足は思い通りになりませんの」
 「リセ……」

 バシン!

 リードが手にしていた書類を膝に叩きつけリリアが私の腕に飛び付いた。ガクブルのリリアがいるのに大きな音を立てるんだもの、可哀想に。不愉快な気分を隠すことなくリードを睨んだが、リードの視線はもう書類に戻っていた。

 「ハルメサン、王太子妃は僕の妻ではないかと思うのだが違ったかな?」
 「仰せの通りでございます」
 「ならば夫である僕の前で馴れ馴れしく愛称で呼ぶのはいかがなものだろう?」
 「申し訳ございません。妃殿下がお小さい頃よりそのようにお呼びしていたものですから」「だが!」

 リードはきっと鋭い視線をアルブレヒト様に向けた。

 「王太子妃はいつまでも八つの子どもではない!」
 「申し訳ございません」
 
 そう謝りながらもキラリと悪戯っぽく光ったアルブレヒト様の瑠璃色の瞳に私は嫌な予感を覚えた。

 「わたしが妃殿下に始めてお目に掛かった時は八つどころか六つでございまして、それはもう天使のように美しく愛らしいお子さまで」

 不審そうに顔を歪めたリードにはお構いなしにアルブレヒト様は楽しげに話を続ける。

 「おやつのタルトの苺を夢中になって食べ全部なくなってしまったことに気が付いてしくしく泣き出したり、ミルクティに浸しながら食べていたビスケットの最後の一枚をうっかりカップに落として取れなくなってしくしく泣き出したり、フルーツサンドウィッチにかじりついたら中身がずるんと抜けて膝に落ちてしくしく……いや、あの時には号泣されたのでしたね。いやー、実に可愛らしかった」

 私は『その話、即刻中断』と念を込めてアルブレヒト様を睨んだが、アルブレヒト様のおチビの私の黒歴史披露は延々と続いた。

 

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