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プロイデンの燕
月の光
しおりを挟むゆっくり、ゆっくりと。私の心が動き始め身体の中を温かいものが巡り、ナイフを下ろした私の両目から次々と涙の雫が転がり落ちた。
「リセ……僕のリセ……世界にたった一人の……愛するリセ……」
喘ぐようなリードが紡ぐことばが耳に流れ込む。それは今迄のみたいに通り過ぎては行かず、一つ一つが私の心を鷲掴みにして捉えていた。
不意に吹いた風でカーテンがそよいだ。そしてほんの少しだけ開いた隙間から柔らかい光が部屋に差し込み、私は空を仰ぎ見た。
今夜は満月だった。
あの夜と同じ月が私を、私達を照らしている。
私はナイフを持ったまま窓の側まで行くとカーテンを開け放ち月を見上げた。チカチカと目の奥に火花が散っている。それは次第に激しさを増し遂には爆発するように弾け……
私は暗闇の中に立っていた。
暗闇を照らす一筋の光。その光を辿るとさっきと同じ月が輝いている。
「お月様、あなただったのですね。あなたが私の秘密箱を照らしていたんですね」
見上げた月はぐにゃりと形を歪め、私は俯いて涙を拭いそして足元にある秘密箱を手に取った。
あのひび割れは修理されたようにピッタリと閉じた一本の筋になっている。もう引っ掛かることはない。私は帰りの列車の中で何度も繰り返した順番で秘密箱を動かしていく。そして十番目に蓋に指をかけると呆気ないほどにするりと開いた。
**********
「もう行かないと。約束の日に戻らなかったら二度と城から出られないと思いなさいって王妃様に言われてるんですもの」
丘の上に並んで座り絡められていたリードの指を解いて立ち上がるとリードは縋るような目で見上げ、それから自分も立ち上がった。
「困ったな。もうリセと離れたくない、それで頭が一杯なのに」
「リード……」
肩を抱いたリードの顔が近づいて来てわたしの胸がトクンと大きく跳ねた。震えるわたしの唇にキスをしたリードはそのままわたしを抱き締めて愛おしそうに髪を撫でてから力を抜いて一歩後ろに下った。
「リセ、君は気付いていなかったみたいだけど、僕は君が好きだ。きっと出会ったあの時からリセに恋をしていたんだと思う」
リードの碧紫の瞳の中には目を瞠るわたしがいる。
「リセ、愛してる。リセ……僕のリセ……世界にたった一人の愛するリセ……」
丘の麓から駆け上がって来るように風が吹き上げて来た。丘を渡る風を受けて乱れたわたしの髪を耳にかけたリードは、微笑んだわたしを見て急に顔を逸して頬を赤らめている。
わたしは逞しくなった腕に捕まりながら精一杯背伸びをしてリードの耳に口を寄せた。
「わたしもよ……わたしもリードが好き。リードを愛してる!」
**********
秘密箱の中にはもう何も残っていない。最後までわたしが閉じ込めていたリードを想うわたしの大切な大切な気持ち。その想いは解き放たれて私の心に戻ってきたのだ。
リードが好き、リードを愛してる。だから貴方がどこの誰だとしても胸を張って隣に立てるわたしになりたい……そう願ったわたしの恋心。
窓を大きく開けた私は庭園を見下ろしナイフを持つ手を振りかぶって力の限り遠くに投げた。それは池に落ちドボンという音と共に淡い光を放ちながら消えて行った。
「リセ……」
呼び声に振り向くといつの間にかリードが両手を広げて立っていた。
「好きだよ、リセ……愛しているよ、僕の奥さん」
私はリードの腕に飛び込んだ。そして海原を渡る風のように絶え間なく繰り返される愛の囁きとその力強い腕に包まれて、シーツの波に身を委ねた。
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