龍馬小説一覧

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 肥前長崎丸山遊廓、梅木楼抱えの秋野は、外出の帰り道に廓近くの思案橋の上で、稲佐山のなだらかな稜線を眺めながら、その向こう側にある故郷の福田村を偲ぶのを常としていた。元治元年春の夕方、思案橋の上で、稲佐山が福田から見るのとは左右あべこべに見える、と背後から秋野の心情を代弁するように言ったのは、勝海舟の供で初めて長崎を訪れていた坂本龍馬だった。  翌慶応元年夏の夕方、同じく丸山遊郭の門前橋の上で、秋野は長崎に亀山社中を設立して程ない無一文の龍馬と再会する。揚げ代を自らの借金にし、梅木楼で時を過ごしながら、福田から丸山へ売られた身の上を龍馬に語る。  慶応二年初春、「亀山の白袴の大将」と呼ばれ長崎の町で噂の種になっていた龍馬は、梅木楼を訪れ、昨夏のお礼にと、木製の紅い簪を秋野に渡す。以後、馴染みの情人(シャンス)となった龍馬から、梅木楼に面白可笑しい手紙が届くようになる。  慶応三年春、亀山社中改め海援隊の蒸気船いろは丸が、航海中に紀州藩船と衝突し、沈没してしまう。龍馬と、三味線を手にした秋野は、ふたりでいろは丸の唄を節付けする。その唄は丸山遊廓だけでなく、海難談判の場となった長崎で大流行し、海援隊は町の世論を味方に付けることに成功する。  同年秋、龍馬は長崎を発つ前日に秋野を誘い、婦人用ブーツを履かせ、夕刻から晩にかけてデイトする。眼鏡橋を渡って中島川沿いの上野彦馬撮影局でふたりの立ち姿の写真を撮り、旧亀山社中からの夕景と風頭山からの夜景を眺め、感動を分かち合う。別れ際に、秋野は龍馬から脇差を渡される。  同年晩秋、龍馬暗殺の報が長崎に届く。程なく年季が明け、秋野は紅い簪を髷に差し、シャンスからの数々の手紙が入った風呂敷を持ち、三味線を背負ってブーツを履き、懐にふたりの写真と脇差を納め、丸山遊廓を後にする。思案橋の中程で立ち止まり、稲佐山を眺めながら、零れそうになる涙を懸命に堪える。  この作品は「ノベルデイズ」にも投稿掲載しています
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小説 183,838 位 / 183,838件 歴史・時代 2,109 位 / 2,109件
文字数 10,916 最終更新日 2021.04.05 登録日 2021.04.02
近代日本への足がかりとなった薩長同盟。歴史には維新の雄、坂本龍馬が中岡慎太郎と共に成し遂げたとされているが史実として彼等はある男の手足として奔走したにすぎない。 ある男とは土佐藩士土方久元。彼は明治維新後、新政府の右大臣として天皇を補佐した三条実美公爵の側近中の側近である隋身として三条公を仕えた。禁門の変によって朝廷から福岡太宰府まで追放された三条公の朝廷復帰のために心血を注ぎ、その手立てとして薩長同盟を画策した。その策略のために奔走したのが三条公の衛士(警護)であった中岡慎太郎であり、それに賛同したのが西郷と面識のあった坂本龍馬である。 彼らを命がけで奔走させた行動力に共通するのは土佐勤皇党の尊皇攘夷という志であった。
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小説 183,838 位 / 183,838件 歴史・時代 2,109 位 / 2,109件
文字数 52,273 最終更新日 2018.11.21 登録日 2018.11.21
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