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我が愛しの猟犬
0.白の署長室にて。或いは事の始まり
しおりを挟む「犬探し、ですか」
真田律華は、たった今耳に入ってきたばかりの言葉を繰り返した。
「そう、犬探しだ」
頷いたのは八津坂署の署長、白鳥梓である。やや女性的な響きを持つその名と同じく、柔らかな雰囲気をたたえた男は、署長室のデスクに掛けたまま指先で軽く眉間のあたりを揉んだ――疲労を覚えているらしい。
「嫌な顔をしないのだね、君は」
「はい。それが任務であれば、自分は遂行するのみです」
「頼もしいよ」
と、答える声は呆れているようにも聞こえた。大仰だとか、生真面目すぎるのも考えものだとか、そんなニュアンスが含まれているのだろうな――と律華は思った。
それも今に始まったことではないので、敬礼で返しておく。
「わたしとしても、君に当てつけようというわけではないんだよ――と、こういう言い方をすると、言い訳のように聞こえてしまうかもしれないが」
「問題ありません。九雀先輩から、過剰に反応しないよう言いつかっていますので」
「……九雀先輩から、か。まったく健気なものだ」
白鳥が苦笑交じりに呟いた。その言葉の意味は分からなかったため、沈黙したまま続きを待つ。ややあって、彼はいつもどおり単刀直入に切り出してきた。
「では本題に移ろう。君に探してほしい犬、というのは異能ペットと呼ばれるものでね」
「異能ペット、ですか」
「聞いたことはないかい?」
「はい」
「人間よりも動物の方が、感覚が鋭い。そのことは、君も知ってのとおりだ。我々が犬の追跡能力や臭気選別能力を捜査活動に用いるように、異能者もしばしば動物を仕込むことがある――というのは、受け売りだが……」
「つまり、異能者に仕込まれた特殊な犬が逃げ出した……そういうことでしょうか?」
訊ねる律華に、白鳥は神妙な顔で頷いた。
「そういう認識で問題ない」
「危険性はありますか」
「ないというのが先方の申告だが、わたしはあてにしてはいない。異能者は、式神や憑き物のことも平気で『危険性はない』と言う。異能の才がない我々にとって、異能者の手から離れたそれらがどれほどの脅威となりうるか、彼らは考えもしない。君も知る、異能者の傲慢――共感力の低さこそが、異能者たちに共通する欠点だよ」
白鳥梓は非異能者にしては珍しく、異能の脅威に敏感な人である。だからこそ呪症事件に関しても呪症管理協会に丸投げすることをよしとせず、八津坂署の中に異能対策課を置いた。異能事件に関しては異能者の権限が大きくなりがちだが、八津坂市において呪症管理協会と警察の力関係が拮抗しているのは、彼の手腕によるものだ――と律華は聞いている。
「なるほど、事情は心得ました.迅速な捕獲に努めます」
顎を引く仕草で応じると、白鳥はいつもどおり苦笑交じりに頷いた。
「君は――つくづく、話が早い。これが捜査資料だ」
律華はファイルを受け取り、中を確認した。白鳥の話は続いている。
「それから、捜索には異能者が同行することになっている」
「緒田原家の方でしょうか?」
件の犬は〈獣回し〉としても知られる緒田原家の所有だと、資料にはある。顔を上げる律華に、白鳥は小さくかぶりを振った。
「いや、丹塗矢家の当主だ」
「丹塗矢家……というと……」
祖父から聞いたことがある気がする。思い出そうとする律華に、彼が補足した。
「三輪一族に連なる家で、もっとも本家に近い血筋と言われている。当主の丹塗矢丑雄氏は、本家の跡継ぎ候補である三輪辰史氏と肩を並べるほどの異能者だ」
「大した人物のように聞こえますが……」
「まさしく大した人物なのだよ。京都府警は事件でたびたび彼に領分を侵されている――という言い方をするのは適当ではないが、我々警察組織と異能者との関係を考えれば言葉の意味は分かってもらえると思う」
つまり一族の後ろ盾があるだけではなく、本人も有能ということか。
「そういうわけで、捜索への協力を断れなかった。甚だやりにくいとは思うが、頼むよ。今までなら君向きではないと判断していたところだが、君が九雀や石川くんの影響を受けて変わってきていることは、わたしも知っている」
「はい、承知しました」
律華はいつものように敬礼を決め、署長室を後にした。
時刻は十時。
捜査資料に挟まっていたメモには、十三時に皇明館大学で――とある。そういえば皇明館大学の学長が、緒田原家の出身だったか。
(十三時まで、少し時間があるな。資料に目を通して、少し三輪の一族について調べてみよう。それから……)
迷った末に、携帯を取り出す。
非番の九雀に連絡をするのは気が引けるが、イレギュラーな事件だ。一応、彼の耳に入れておいた方がいいだろう。そうと決め、ダイヤルを押す――
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