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8巻

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    †


 リズたちはまず大通りに向かった。そこは食事処、日用衣料から防具まで揃えた店など、実用的な店が多く並ぶ。さらに奥まった通りには食料市があり、さらには武器屋・鍛冶屋かじやがひしめいていた。
 キュウビが言っていた掘り出し物を扱う骨董品店は、旧市街である貴族街近くに多いそうだ。要は昔から変わらず、区画整理にあわなかった店が穴場らしい。
 クイナは通りをきょろきょろ見回し、おののきながらつぶやく。

「ひ、広いです……。わたしの村の何倍……?」
「ハイドラよりも何回りか大きいくらいだからね。国の中心とうたうだけあって見栄みばえはいいが――」

 珍しく大通りに出店している武器屋の店先に飾られている剣を、リズは見た。つかさやに精細な装飾がほどこされており、値段も金貨三枚と相当な額である。
 しかしながら、彼女からすると残念の一言に尽きる。評価はため息一つであった。

「それだけだね。大方、騎士の正装用か。店の奥には太刀たちもあるが、金貨うん十枚の品なんて実用のために置いているとは思えんね」
「ええ。太刀たちは美術品としても実用品としても上等ですが、数と耐久力にとぼしいもの。得物として使い続けるには、厳しいのです。しかし、付加武装にすれば難点だった耐久力は解決します。ですので好んで使う人もそこそこいますわ」

 キュウビはそう語るが、金貨十枚以上はとんでもない値段である。この世界では、家が買えるレベルだ。

「狼さんの太刀たち――蛍丸ほたるまるはここの刀に引けを取らないどころか、むしろまさるくらいです。付加した素材はシルバーゴーレムの魔石。これ以上となると、ミスリルやオリハルコンといった伝説級の素材と、それらでできたゴーレムの魔石くらいでしょう。もっとも、そのレベルの魔物を倒せるものなのか、わたくしにはわかりません。確実に最高位の装備なので、安心なさいな」

 キュウビはリズを見つめる。

「そうだね。十分に惚れているから手放す気なんぞないよ」

 リズは肩をすくめ、かついでいる太刀たちの蛍丸をくいと上げた。
 彼女はそれを肌身離さず持ち歩いており、戦闘する時も大いに活用している。小物はともかく、ミノタウロスのような大物狩りでは使い勝手がいいし、ただの竜種なら輪切りにできる武器だ。この場で売るとしたら、金貨数十枚は下らないだろう。
 そこでリズは、キュウビの手元に目をやる。

「ところでお前は迎賓館げいひんかんを出る時、シンゴから何を受け取ってきた?」
「これのことですの?」

 キュウビは手に持っている袋を見た。大きさはかなりのもので、幼子おさなごを抱くように運ばれているくらいだ。リズはその正体がずっと気になっていた。
 キュウビはふふんと楽しそうに口元を緩める。

「これはタマちゃんのきばうろこですわ」
「は? なんでまたそんなものがある?」
「長命な種族は数十年置きに歯が生え変わりますし、ドラゴンのうろこもごくまれに落ちることがあります。特にタマちゃんは幼いので、ちょうど生え変わる時期だったのでしょうね。それをシンゴ様が保管していたそうですわ」

 ドラゴンのきばうろこといえば伝説級の素材である。そんなものを売り払うのは、並みの店では無理だろう。国と商談できるほどの代物しろものだ。
 どこに売りに行くのかとリズが問いかけると、キュウビは首を振る。どうやら売るのではないらしい。彼女は、つと、クイナを見やった。

「わたくしのおお薙刀なぎなたを仕上げた古い知り合いが、このあたりにいるのです。どうせ帝都にしばらく滞在するのですから、その間に仕立ててもらいましょう」

 視線を送られたクイナは、ビクッとしてキュウビの様子をうかがう。

「な、なんでわたしを見てるんですか。キツネ様?」
「それは当然、あなたのための武器だからですよ」
「え」

 クイナは一音を発したのち、たっぷり何秒間も固まっていた。

「え、えええぇぇぇーっ!?」

 伝説級の素材でできた武器を、自分なんかに。驚いたクイナは素材袋を取り落としてしまう。
 落とした衝撃でぼきっと何かが折れた音を耳にして、彼女は酷く青ざめたのだった。


 ふわふわと踊る九つの尾に先導され、リズとクイナが訪れたのは帝都でもかなり古めかしい一角であった。

「この帝都は設立当初、数多くの敵に攻め込まれたため、民家をわざと迷路状に配置させたそうですわ。ここはその名残なごりです」

 年季を感じさせる土色のレンガが目立つ場所だ。風通しがあまりよくないためか、黒いコケやカビがそこかしこに生え、一層周囲を暗くしている。
 人通りも少なく、まるで夕暮れ時や深い森を歩いているようだ。

「こういう道で迷わせて各個撃破っていうのは、よくやる手だね。その上、城門もあったとなると攻略は厄介か」
「迷路の攻略はさほど難しくありません。家屋ごとぶち抜いてしまえばいいのです。このあたりの家屋は延焼には強いものの、対爆仕様も耐震仕様も大したことはありませんでした」

 そこにどことなく知識以外の匂いを感じ取ったクイナは、キュウビの横顔を見つめる。

「……え。ぶち、抜いて……? でしたっていうのは、なんですか……?」

 だが、キュウビは着物の振袖で口元を隠し、こんこんと狐らしい笑みを浮かべるのみだ。
 それについて語ろうとしたところ、彼女はふと気付いて足を止める。

「あら、目的地に着いてしまいましたわ。続きについてはまたいずれにしましょう」

 大きな煙突があり、玄関先に無骨な金属盾などが置かれた古レンガの家屋だ。煙突から煙が上がっているので、留守ではないらしい。ここが目的である知り合いの家なのだろう。

「ごめんくださいな」

 そう言いながらキュウビは家に入っていく。
 室内の至るところに木や金属の工作品や武具、装飾品が置かれており、手狭で雑多なイメージだ。丁寧に作られたテーブルやイスも、もはや作業机と化した様子だ。
 家の奥から、かんかんと一定のリズムで金属を叩く音が聞こえた。
 それを頼りにキュウビは家の奥へ進むので、リズとクイナもその後に続く。
 すると作業場に家人がいた。金床かなとこ鍛冶火箸かじひばしや水桶に取り囲まれ、汗を拭く間も惜しんで金属を打つ姿は、まさに誰もが思い描く鍛冶師かじしそのものだろう。

「ごめんくださいな」

 作業場の入口でキュウビが再び言うと、家人は顔を上げる。

「その声は――おやおや。やっぱりお前さんか。久しいのう」
「ええ、お久しぶりですわ」

 熱が入り赤く光った金属をつちで打っていたのは、ひげがもっさりと伸びたドワーフであった。
 そのそばにはもう一人、ドワーフがいる。身長は百五十センチほどで、大人の人間の太ももより太い腕を持つ。キュウビに声をかけたドワーフより若く、彼にそっくりなひげの癖や目と髪の色から察するに、せがれなのだろう。

「で、どうした。今日も薙刀なぎなた磨きの依頼かの?」
「いえ、今回はそちらではなく、素材を売りに。ついでにこれを武器に仕立ててもらえませんか?」
「ふむ……?」

 彼は作業の手を止めると、丸めていた腰を伸ばしながら、「うぉぁたたたた……」と声を出す。そしてゆっくりとキュウビのもとまで歩いてきて、彼女が持つ袋を覗き込んだ。
 するとドワーフは急に目の色を変え、おぉと感嘆の声をらした。

「アースドラゴンのきばうろこですわ。うろこ砥石といしとして使い、きばを短刀にしてほしいのです」
「ほうほう、確かにこりゃあ地竜のうろこだ。なんとまあ立派と思ったら、ドラゴンのものとはの。これまた、とんでもない代物じゃて」

 硬度が高い物質は、研磨するためにそれと同じか、より硬度の高い砥石といしが必要となる。
 普通の竜種のうろこは薄く盾のような形をしているが、アースドラゴンのうろこは鉱石じみた無骨さを誇っているので、砥石といしとしてもぴったりらしい。
 老ドワーフはうろこを手に取ると、目をらしたり、指でなぞったりして具合を確かめる。そして、深々と頷いた。タマのうろこはお眼鏡にかなったようだ。

「これだけの素材、引き受けないと損じゃわい。製作に数日はかかるじゃろう。それから、誰が使う? お前さんか。それとも、太刀たちを持ったお嬢さんか?」
「いえいえ。ここに隠れているこの子ですわ」
「うふぇっ!?」

 老ドワーフにおびえて隠れようとしていたクイナの背を、キュウビが前に押し出す。
 彼はすぐに彼女の全身を眺め、続いて手のひらを覗き込んだ。すでに採寸を始めているのだろう。そこには職人だましいを感じるが、威圧感は一切ない。
 だというのに、クイナは恐々こわごわとした様子で立ちすくんでいた。
 老ドワーフはすぐにそのことに気付いたようだ。木板に走り書きをしながら、たるんだまぶたに潰されかけた細い目で、クイナの顔を見た。

「なんじゃろうのう。お前さんは何か心配事でもあるのか?」
「そ、それは……。だってわたしの身の丈に合わない武器になりそうで……」

 クイナの答えに、老ドワーフはほうと相槌あいづちを打つ。

「お前さんがそう思ったとしても、奴めは違うのじゃろう。武器なんてただの道具じゃ。その怖さと重みがわかる持ち手なら、ワシャ、誰にでも作ってやる。いて言うとしたら、身の丈に合うよう、精進し続けられる持ち手こそ望ましいがのう」

 続けて彼は「まあ、最低限は使いこなさんと道具に失礼じゃがの」と呑気に笑う。その言葉にクイナは声を詰まらせていたが、彼は悪気など微塵みじんもなさそうだ。

「お前さんは何が欲しいかの?」
「何って、作ってくれるのは短刀じゃないの?」
「そうではあるが、違う。ワシが作るのはただの道具じゃ。道具には必ず、用途がある。使い方などどうでもええ。お前さんは何を目的とした道具が欲しい?」

 老ドワーフにとって、武器を作る上で大事なことなのだろう。
 クイナは相変わらず戸惑い、仲間に視線を送る。しかしキュウビは楽しそうに見つめるばかりで特に何も言ってこない。リズも同様である。

「わたしは――……、シンゴの役に立ちたくて……」
「ドラゴンのきばじゃ。どんな形でも、並み以上には役に立つじゃろう」

 だからもう少し踏み込んだ答えを、と老人の瞳は求める。
 答えが曖昧あいまいだと、打ち上がる形も自然と曖昧あいまいで中途半端に成り果ててしまうという。
 持ち手に馴染なじませるには、形とめいが揃わねば意味がない。想いを定めて使う力と、ただの力は似ているようで決定的に違う。かたな鍛冶かじはそんな美学を、みずからの一刀にそそいでいるそうだ。
 クイナはその意味を正しくは理解していなかったが、なんとなく感じた部分があるのだろう。ごくりと唾を呑むと、狼狽うろたえるのをやめた。

「わ、わたしは、わたしを助けてくれた人を守りたいです。それができるものが欲しくて……」
「うむ、そうか。なるほど、なるほどのう」

 深く頷いたドワーフは、メモを書き終えるとそれを机に置いてキュウビに向き直る。

「いいじゃろう。数日後にもう一度来てくれれば、つかを手に合わせて調整しよう。それでしまいじゃ。よいかの?」
「ええ、構いませんわ。支払いはそのうろこと、飛竜のうろこでよろしいですか? あと、この子が持っている素材も、よろしければ引き取ってくださいな」
「お前さんはワシを素材屋と勘違いしとらんか? ワシはしがない鍛冶屋かじやなんじゃが」

 やれやれと息を吐くと、ドワーフは腰を曲げ、リズが持っていた素材も確かめ始める。そして粗方あらかたの勘定を済ませ、売却金の残りを算出した。
 それを受け取ると店を出て、リズは息をついた。

「これで用事は終わったね。適当に土産みやげでも見繕みつくろって帰るかな」
「狼さんの目的は最初からそれだけでしたものね。ええと、薬屋はどこにあったでしょうか」

 人を見透みすかしたようなことを言うキュウビを、リズはするどい視線で突き刺す。しかしキュウビは、はてとわざとらしく首をかしげるのみだ。

「そうそう。確かあちらでしたわ。ついでに骨董屋や魔石屋でも見て回ってみましょう」

 案内を任されたからか、今日のキュウビにはいつも以上に遠慮がない。リズとクイナはぼやくもなく手を掴まれ、日がな一日連れ回されるのであった。


    †


 リズらが買い物に出てから数時間が経過したが、風見は未だに迎賓館げいひんかんの自室でダウンしていた。気持ち悪さは治まってきたものの、もうじき次の酒宴が開催されると思うと、憂鬱ゆううつになる。

「ああ、昼の部をなんとか乗り越えたっていうのに、まだ本番の夜が待っているのか……」
「風見様は英雄というだけでなく、稀代きたいの学者でもありますから。普通の英雄に比べて、興味を持たれる層が広くなってしまっているのだと思います。胃薬です、どうぞ」

 ベッドに伏したまま起き上がろうとしない風見に、クロエがそっと薬湯を差し出してくれる。そこに添えられるのは、いつもながらいやされる笑みだ。

「ありがとな、クロエ。薬の渋さが染み入る。ああ、晩御飯は湯豆腐だけでいい……」
「それもいいですね。けれど、貴族の方がご自慢の料理人を派遣していたので、どこかの貴族のお嬢さんがお皿を持ってくることになるかと」
「うう……ここにいる限りはそうなるよな。普通の宿に泊まっても、何かと理由を付けて誰かが訪ねてきそうだし……。どこかに静かな滞在先はないかな?」

 風見は思案し始める。クロエはそんな彼に、一つ提案をしてくれた。

「あの、風見様。でしたら、私の家にいらっしゃいませんか?」

 彼女は照れて伏し目がちだ。同性の友人ならともかく、風見に言うのは相当勇気が必要だっただろう。

「クロエの家?」
「はい。ここと違って質素ですが、静かにはなると思います。律儀に貴族の招きに応じている風見様ですから、私の父の招待を受けたと説明すれば、問題ないかと。……あの、いかがでしょうか?」

 風見が少しでも嫌がる様子を見せたなら、クロエは慌てて申し出を引っ込めそうな様子である。
 しかし、それは風見にとって天の助けだ。クロエが貴族の娘ということは以前から聞いていたが、まさか帝都出身だったとは。申し出を断る選択肢なんてない。

「そうだな。日頃お世話になっているし、クロエのご両親にも挨拶あいさつしておきたいな。ご両親の都合がよかったら、何日か泊めてもらってもいいか?」
「りょ、両親への挨拶あいさつですかっ!?」
「大人の常識として、それくらいするさ」
「そっ、そうなのですか……!」

 クロエは頬を染める。
 彼女は即座にきびすを返すと、「で、ではそのように連絡してきますっ!」と部屋の戸口へ向かう。

「あ、ああ。ええと、どうしましょう。風見様がうちに。それも挨拶あいさつに……!」

 そんなことをつぶやきながら、クロエは何故かほわほわとした様子で、正面扉に手をかけた。
 その直前に扉が開いたことに、彼女は気付かない。

「あうっ」

 結果、扉にひたいを打ち、クロエはその場にうずくまった。

「おい、シンゴ――っと、クロエ? すまん、私が不注意だったかな」

 扉を開けて入ってきたのは、リズだった。その後ろにはクイナとキュウビもいる。
 ノックもなしに開けたことを反省し、罪悪感に駆られるリズ。心配しながらクロエの顔を覗き込めば、彼女はひたいを押さえながらも、にへらと表情を崩していた。

「だ、大丈夫です。大したことはありません。ところで、手に持っているものはなんですか?」
燻製くんせいにした豚のきもだよ。帝都では豚が多く出回っているらしくて、安く手に入った。胃腸疲れにはこれが効くみたいだね。どこかの誰かが肝臓かんぞうほろぶとうるさいから、差し入れに来たんだ」

 リズは、大きな葉でくるみ、縄で縛った小包を掲げて言う。彼女は他にも干し肉やら果物やらを持っている。半分は自分のための物なのだろう。
 しかし、満足いかない買物だったのか、彼女の表情は優れない。

「それにしても、このあたりは穀物やパンが高いね。肉の方が安いくらいだ」
「上流階級向けの商品が他の街より多いからですね。帝都周辺は穀物の栽培にあまり適さない土壌どじょうだそうで、根菜類の方が豊作です。そんな環境だからか、豚肉と根菜のスープがこのあたりの家庭料理ですよ」
「何故焼かない? 焼いて食べた方が美味うまいだろうに」
「根菜は火が通りにくいですし、肉は焼くとあぶらが落ちてしまうので、もったいないのだとか。その点、スープなら肉から溶け出たあぶらも摂取できるので、一般家庭では人気が高いのです。ステーキや生ハムといったものを食べるのは、貴族だけですね」
「ふむ、なるほどね」

 帝都の食事情に、リズは納得して頷く。そして話を切りかえた。

「それで、クロエはそんなうわの空で、どこに行くつもりだったのかな?」
「私はちょっと実家まで。うたげばかりなので避難しませんか、と風見様に提案したんです」
「ほう、帝都の出身だったか。確かに私も騒がしいのはかなわんよ。あと、シンゴに付き合わされてひらひらしたドレスを着せられるのも、うんざりだ。あんなのがないなら歓迎するね」

 リズの弁で、過去に同席した会食での様子が思い出される。太刀たちを持ち歩こうとしたら警備に止められ、慣れないハイヒールを履いていたせいで、ちょっとした段差につまずいて顔面からこけ――。そんな不満を、きゃんきゃんえ立てて風見にぶつけていた彼女だ。
 しまいには、キュウビにあんよが上手などと言われながら、幼子おさなご扱いで歩き方をレクチャーされていた。もうあんな席には出ないと言うリズの表情は、酷く苦み走っている。

「そうですね。少なくともこちらよりは気楽な生活ができると思うので、少々お待ちください」
「期待しているよ」

 そう言ったリズにぺこりとお辞儀をし、クロエは貴族街にある自宅に向かった。


 クロエが迎賓館げいひんかんに戻ってきたのは、一時間後。ここからそれほど離れていないが、久方ぶりの再会で少々時間を取られたらしい。彼女は早速本題に入る。

「父も母も、風見様にぜひお会いしたいそうです。宿泊は何日でもと言っていました」
「そうなのか? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいたいな」
「はい。私も精一杯もてなしますので、うちでゆっくりなさってください!」

 そんなわけで、今後の予定は決定した。
 彼女の家に行くのは、この日の会食を消化して翌日からになるだろう。クライスに、体調不良を理由に明日以降の招待を断ってもらうなど、行動を始める。
 マラソンのゴールが見えてきた時のように、ようやく風見に光明が差したのだった。


    †


 翌日。風見らは揃ってクロエの実家に向かった。
 彼女の実家――ウェルチ家の屋敷は、貴族街の一角にある。
 ぜいを尽くした迎賓館げいひんかんにはかなわないが、それでもハリウッドスターの豪邸と遜色そんしょくない。門をくぐると、よく手入れされた広い芝生の庭があった。そこで、一匹の大型犬と、ダックスフントのような胴長短足の犬が数匹、たわむれている。番犬としてしつけられているのだろう。侵入者を見つけた瞬間の視線は厳しい。けれども、クロエに気がついた途端、犬たちは警戒を解いて飛び付いてきた。

「きゃっ……!? そ、そこはめちゃダメですからっ。もうっ」

 千切ちぎれんばかりに尻尾を振った犬数匹に寄りかかってこられては、さすがのクロエもたまらない。困り半分嬉しさ半分で顔をかばい、犬が落ち着くのを待っていた。
 野性が失われた姿には同じ犬として軽蔑けいべつするのか、リズはふんと鼻を鳴らす。

「この様子だと番犬には使えんね。尻尾を振るばかりの犬を飼う意味がわからんよ」
「そうか? 俺はこういう犬も好きだけどなぁ」
「趣味が悪いね。いいように飼い慣らしすぎだ」

 この犬たちに反応したのはリズだけではない。クイナも別の意味で反応していた。
 ウェアキャットのクイナはキュウビの背後に隠れ、小さくなっている。

「あらあら、どうしたのですか?」
「い、犬は苦手なんですっ……」
「こんなに可愛いわんちゃんですのに。そういう反応をするから寄ってくるのですよ?」
「だ、だって、キツネさまぁ……!」

 そうしてこそこそしているクイナを見つけた犬は、クロエから離れ彼女のもとにやってくる。一人だけ違った行動をしているので気になったのだろう。

「よ、寄るなっ……!」

 大型犬ともなると、クイナの体より若干大きいくらいになる。敵意はなくとも、怖いのだろう。彼女は隙を見て逃げ出したが――悲しいかな、それは鬼ごっこ開始の合図になってしまう。
 本物の動物の足にかなうはずもなく、彼女は犬に後ろから飛び掛かられて捕まった。し掛かられ、全身ペロペロの刑にしょせられる。
 蹂躙じゅうりんされるクイナは、きゃあきゃあと悲鳴を上げていたが、しつけが行き届いている犬なので問題はなかろう。風見はあっさり視線を外し注意しておく。

「クイナ、あんまり汚れると大変だから、犬と遊ぶのも大概になー?」
「あそっ、遊んでないっ!」
「えっとですね、それはともかく家はあちらです」

 クロエが指差すのは、二階建ての洋館だ。入口には数人の使用人が風見らを待ち構えていた。
 彼らに出迎えられて洋館に入ると、すぐに金髪碧眼の男女がやってくる。
 手を差し出してきたのは風見と同じくらいに見える男性だ。クロエが十五なので、ぎりぎり二十代かもしれない。こちらの世界では一般的なことでも、風見としては複雑な気持ちである。

「ようこそ、カザミ殿。私はクロノス、クロエの父です。娘は粗相をしていないでしょうか?」
「何度となく助けてもらっています。とても真っ直ぐで素敵な娘さんだと思っていますよ」
「そのようなお言葉をいただけて感無量です」

 クロノスは細くすっきりした体形ながらも、握手をするとよくきたえているのがわかる。屋敷には使い込まれたよろいや長騎剣が飾られていて、馬小屋もある。クロエの父はきっと騎士なのだろう。
 一方、女性は自身の足に隠れる幼い男の子をうながす。クロエの母と弟だと思われる。

「お姉さんが帰ってきましたよー? 一緒にいるお兄さんたちにも挨拶あいさつなさい。さん、はい?」
「ごきげん、うるわしゅう?」

 男の子の挨拶あいさつに、クロエは笑顔で応じる。

「それはお別れの挨拶あいさつですね。それから、私に対しては砕けた挨拶あいさつでもいいですが、他の方に対しては少しかしこまった方がいいので『お会いできて光栄です』などでしょうか。もう少ししたら必要になるでしょうし、頑張って覚えてください。さて、お母様。ただいま帰りました」
「はぁい、おかえりなさい。クロエちゃんもこうやって男の人を連れてくる年齢になったのね。女の子として成長しているのねぇ」
「い、いえ、そんな……」

 うふふと微笑んで風見を見つめる女性もまた、男性同様かなり若く見える。
 彼女はクロエとよく似ていて穏やかそうな外見だ。古きよき日本のお母さんを、欧米風に仕立て直したといった雰囲気である。長い金髪をクロエと同じように三つ編みにしていて、姉妹と言われたら信じてしまうかもしれない。
 そんな彼女は妊娠中のようで、服の上からもお腹のふくらみが見て取れた。この若さで三児の母となろうとしているらしい。
 風見は驚愕きょうがくを通り越し、戦慄せんりつの表情でそのお腹を見つめる。

「三人目のお子さんがもうすぐ生まれるんですね」
「はい。クロエが家を出てからというもの、急に寂しくなってしまって、子供がたくさん欲しくなりましてね。家を継いでくれる男児にも恵まれ、ほっとしています」
「お若いご家族ですね。俺なんてまだ結婚もしてないのに……」

 複雑な気持ちを、風見は笑ってごまかした。
 ウェルチ家はクロエの母であるレアの家だそうだ。クロノスは騎士として出世し、レアとの純愛の末に婿入りして貴族に仲間入りしたという。
 挨拶あいさつが済むと、客室に案内してくれる。風見とクライスは、クロノスにそれぞれの部屋へ通された。リズたちはクロエに連れていかれる。

「カザミ殿はこちらのお部屋をお使いください。使用人は昼に数人、夜には老執事が一人住み込みで控えていますので、御用の時はそちらに」

 案内された部屋は、アンティーク調の小ざっぱりした部屋だ。棚と大きめのベッド、あとは机があるくらいと、シンプルな様式になっている。色彩は落ち着いているし、何より広すぎない。風見としては妙に安心感を覚える部屋だった。

「なめっ、めるなバカぁーっ! 追いかけて、くるなぁっ……!」

 どこかからクイナのそんな声が聞こえてくる中、窓から見える庭に見惚みとれること三十分。呼びに来たクロノスに連れられ、風見は一階に下りた。
 食堂に通されると、ほのかに料理の香りがただよってくる。

「娘から、会食でお疲れと聞きました。田舎いなか料理が多いかもしれませんが、今宵こよいは妻と娘の手料理をどうぞ味わってください」
「奥さんとクロエが作っていたんですか?」
「あの子が十歳で家を出るまではそうでした。それからは使用人が妻の補助をする形に。娘の料理は数年ぶりなので、実は私も今晩の食事は心待ちにしているのです」

 貴族らしくない、かなり砕けた印象だ。日本の一般家庭と似通った生活感覚だろうか。


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