小川ヤクルト 躍進へのマネジメント

今季限りでの辞任を決めた
小川監督が語る退任の経緯

「つなぎの監督」として、
次の監督にバトンを渡したかった

――「最後までやり遂げる」というのは、後任者への負担や周囲への迷惑を考慮した上でのお考えだったのですか?

小川 総合的に考えたときに、そう判断しました。とはいえ、正直、何がよくて何が悪いのかはわからないですけど、自分としては次の監督のことを考慮に入れたということもあります。たとえば、「次期監督候補」と言われていた宮本(慎也ヘッドコーチ)が引き継ぐことになるのならば、「最後まで僕がやった方がいい」と考えて、「もしも宮本が来年の監督になるのであれば、新たに一からスタートした方がいい」と判断しただけです。結果的に、宮本も一緒に退団することになってしまいましたが……。

――その後、辞意を固め、球団に報告したのはいつのことでしょう?

小川 8月中には球団の上層部に伝え、9月に入ってから社長に伝えて了承してもらいました。このときに宮本には電話で「今年限りで責任を取るつもりだ」と伝えています。本当ならばそのままシーズン終了までいければよかったんですけども、僕の自宅前で記者が待ち構えている状況が続き、9月8日の新聞報道で世間に知られることとなりました。

――今、お話に出た宮本ヘッドについて伺います。17年オフ、小川監督就任にあたって、宮本さんに古巣への復帰を呼びかけたのは、当時シニアディレクター(SD)だった小川さんでした。しかし、宮本さんもまた今年限りでの退団を発表しています。

小川 宮本が辞めるというのは、正直言えば考えていませんでした。先ほど言ったように、彼に電話したときに「監督だけの責任ではないので、僕も辞めるつもりです」と言うので、「お前が辞める必要はないよ」と言いました。ただ、彼はその前からいろいろ感じるところがあったようで、早くから決断していたんだと思います。

――宮本さんを招聘する際には「次期監督候補」としての期待も大きかったし、球団内にもその考えがあるように思っていましたが。

小川 球団上層部の考えを、僕が勝手に想像して答えることはできませんけど、当時SDだった立場として言わせてもらうと、僕の中にはそういう考えがあったのは確かです。僕自身は二度目の監督就任でしたから、「つなぎの監督」と自分で言ってはいけないけど、次の監督につなぐ役目もあるとは思っていました。宮本の場合は現役引退後、ずっと評論家だったので、「ぜひ、もう一度ユニフォームを着てほしい」という思いもあったし、監督という役目を任せられる人間だと思っていました。

――期せずして小川監督、宮本ヘッドは同時に就任し、同時に退任していくこととなりました。宮本ヘッドの功績について、改めてどうお考えですか?

小川 一番は「厳しさの注入」だと思います。それは狙い通りでした。ただ「厳しさがあったから昨シーズン2位になった」というのも短絡的な発想なのかな、という気がします。確かに、宮本ヘッドだけではなく、石井琢朗、河田雄祐両コーチなど、新しいコーチ陣は評価されましたが、大切なのはそれを2年目以降も継続できるかという部分だと思います。選手たちの中にも「厳しさに対する免疫」ができる中で、どのように指導するのか、技術面よりもメンタル面の指導の難しさを感じました。

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プロフィール

小川淳司
小川淳司

千葉県習志野市出身。習志野高校卒業後、中央大学に入学。1981年ドラフト4位でヤクルトに入団。1992年現役を引退すると、球団スカウトやコーチなどを経て、2010年シーズン途中に監督に就任。2014年シーズンまでチームを率いる。退任後は、2017年シーズンまでシニアディレクターを務め、2018年から再び監督となる。

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