「経験は積んできた。会議でも発言できる。場の空気も読める。責任も役割も果たしているし、大体のことはわかる。毎日ちゃんと働いている――でもなぜかずっとしんどい」
「腹が立つはずのことに、何も感じなくなる。うれしいはずの評価にも、反応が薄くなる。休日に休んでも、回復した感じがしない。新しいことを考える余白もなくなる」――
このしんどさは、気のせいでも、年齢のせいでも、根性のせいでもない。本連載では、作業療法士としてのべ5万人の「働く人」と向き合ってきた著者が、「なぜかずっとしんどい」の正体に一つずつ名前をつけ、毎日の中で自分を取り戻していける小さな手がかりを提示する。答えは自分の中ではなく、働き方と身体の繋がり方の中にある。
ビジネスシーンで「しんどい」と聞くと、派手なものを想像しがちです。
朝、起きられない。
会社に行けない。
涙が止まらない。
何もかも投げ出したくなる。
もちろん、それも大事なサインです。
ただ、本連載のテーマである「しんどさ」は、もう少し地味で控えめ、それでいてとても厄介で根深いものです。
朝は起きる。
仕事にも行く。
会議にも出る。
メールも返す。
笑うこともある。
生活も、なんとか回っている。
でも、会議が終わったあと、椅子から立とうとして、手が机の上で止まる。
パソコンは閉じた。次の予定もわかっている。なのに、体の中だけが数分遅れている。
帰り道、信号が青に変わったことに一拍遅れて気づく。
歩き出してから、「あれ、いま何を考えていたんだっけ」と思う。
夜、布団に入ると、明日の会議、返していないメール、言わなかった一言が勝手に並びはじめる。
寝たいのに、頭だけがまだ仕事場にいる。
「動けているなら、大丈夫」
そう思いたくなるかもしれません。
たしかに、動けてはいます。
でも、「動けている」と「元気である」は、同じではありません。
ちゃんと働けている。
だからこそ、しんどさに気づけない。
この見えにくい重さに、まだ名前をつけられないまま過ごしていないでしょうか。
仕事は止まっていない。
生活も、完全には崩れていない。
誰かに迷惑をかけているわけでもない。
だから余計に、自分でも判断しにくいのです。
これはしんどいのか。
ただの疲れなのか。
年齢のせいなのか。
それとも、甘えているだけなのか。
でも、ここで一度だけ分けて考えてみたいのです。
できていること。
元気であること。
スマホの充電が5%でも、画面はつきます。
でも、それを「余裕がある」とは言わないはずです。
人も、これに近いことがあります。
外から見ると、普通。
でも内側では、残り少ない電池で動いている。
ここでは、この状態を「静かな過負荷」と呼んでみたいと思います。
処理しきれない負荷が少しずつ積み上がっている。
それでも、ちゃんと働けてしまう。
働けているから、周りは気づきません。
働けているから、自分でも気づきません。
「できている」は、外から見える結果です。
「元気」は、内側にある状態です。
壊れていない。
でも、余ってもいない。
その中間にある重さに、名前がついていなかっただけなのかもしれません。