あなたは自分の好きなところをいくつ挙げられますか?
「ない」と即答したあなた。もう少し考えをめぐらせて、どんなことでもいいので、しぼりだしてみましょうか。世間で「良い」とされるところじゃなくて、「好きなところ」を探してみるのです。
「そうは言ってもなぁ、得意なこともないし、別に真面目でもないし、優しいかといえば実はクールな方だし、好きなところって思いつかないなぁ」「考えてもやっぱり好きなところは見つからないなぁ」という声が聞こえてきそうですね。もしも好きなところが見つからなければ「自分らしいところ」を探してみましょう。下手だけど絵を描くのが好き、お菓子作りが好き、ボーッとするのが好き、という感じでいいのです。自分で自分を認めることは、自己肯定感を高めることにもつながります。
自己肯定感の低い人は、恋愛に対しても消極的です。好意を寄せる相手がいたとしても、「どうせ自分なんて」という考え方のクセが発動するからです。「どうせ自分なんて魅力的ではないし、相手にとってはつまらない存在だ」「振り向いてもらえるわけがない」「眺めているだけで十分」と最初からあきらめてしまう傾向があります。また、恋愛関係において、相手に依存したり、わざと相手を困らせるようなことをして相手の愛情を確かめたりする「こじらせさん」もいます。
Aさんは、最近マッチングアプリで出会った男性とお付き合いを始めることにしました。
何度かメッセージをやりとりして食事をするうちに相手から交際を申し込まれたのです。
けれども、自分の何を気に入られて交際を申し込まれたのか、本当に相手から好かれているのか、よくわかりません。もしかしたら、遊び相手としてからかわれているのかもしれない、他にも特別な関係の女性がいるのではないか、と相手を信じられずにいました。男性から優しい言葉をかけられても、「誰にでも同じようなことを言っているのだろう」「真に受けたら自分が傷つくだろうから、信じないようにしよう」という考えが頭をよぎり、ちっとも嬉しい気持ちになりません。
本当は、Aさんも男性のことが好きなのです。一緒にいるとドキドキしますし、また会いたいと思います。けれども、お付き合いしているにもかかわらず、片思いを続けているような気分を味わっているのでした。会えない時間は、「他の女性と会っているのではないか」と不安になりますし、メッセージ返信が遅いと「もう愛想を尽かされたのかもしれない」と落ち込みました。
次第に、Aさんは男性の気持ちを確かめる質問を繰り返すようになりました。「わたしのことどう思っている?」「あなたにとってわたしはどういう存在?」というふうに。そのたびに男性は「大切に思っているよ」「大好きだよ」と伝えてくれるのですが、「その場しのぎに、表面上、言ってくれているだけだ」「本当はわたしのことを面倒くさい女性だと呆れているに違いない」という考えが浮かび、結局のところ安心することはできず、ますます不安を募らせることになってしまうのです。
やがてAさんは、相手が自分のことを本当に受け入れてくれるのかどうか、試し行動をするようになりました。わざと男性の勤務時間に連絡をしたり、その一方で、相手からの連絡にはすぐに返信をしないで放置したりしました。そうやって、相手が怒るかどうか試すのです。
このような試し行動の例は、よく愛着障害を持つ人の行動として挙げられます。愛着障害とは、幼少期に養育者との間に一貫した愛着関係を築けなかったために、自己肯定感が下がり、人間関係において不信感、不安、葛藤を抱えやすくなることを指します。幼少期に愛着形成されると情緒の安定、社会活動の安定性がもたらされますが、愛着形成が十分でないと、相手との関係性に不安を感じやすくなるのです。
Aさんも、相手が怒らなければ自分は愛されているのかもしれない、自分の感じている不安な気持ちも受け入れてくれていると、つかの間の安心を得ようとするのでした。そして、このような試し行動をしている自分自身に罪悪感を抱き、自分のことを嫌な人間だと責めるのです。
一方、男性の方も、いつも寛大ではいられません。たまたま忙しく疲れていて、そっけない態度をとってしまうこともありました。そんなとき、Aさんは、「どうしよう、とうとう嫌われてしまった」「自分が相手を嫌な気持ちにさせてしまったのだから嫌われて当然だ」とますます落ち込みます。ついに「別れた方がいいのかもしれない」とまで思いつめるようになっていきました。つまりAさんは、「安心を得るための試し行動」を繰り返した結果、「より一層不安を作り出す」ことになってしまったのです。
Aさんの例は、自己肯定感が低いために、自分の価値に気づかず、相手の好意を素直に受け取れないことが要因となっています。どれだけ相手に好意を伝えてもらったとしても、それを信じられず安心できないのは、「自分が愛されるわけがない」「自分には価値がない」という考えが根底にあるからなのです。