2020ヤクルト 高津流スワローズ改革!

苦い結果となった2020年シーズン、
「監督1年目を終え、プロ1年目の頃を思い出した」

一軍監督のあり方が見えてきた

――かつて野村克也監督は「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かす」と宣言し、見事に就任3年目に優勝しました。改めて、1年目を終えた今、2年目に向かう、今の心境を教えていただけますか?

高津 正直言えば、手探り状態で進んだ1年目でした。「こういうときは何をすればいいのか?」「こんなときはどんな手を打てばいいのか?」を手探りで探している感じでした。野村監督の言うような「種をまく」ということがきちんとできたのかどうかは、今はまだ自分ではわかりません。ただ、自分が現役だった頃、プロ1年目のオフのことを、ふと思い出したんです。

――プロ1年目のオフ、どんなことがあったのですか?

高津 プロ1年目、僕はリリーフをやったり、先発を任されてみたり、いろいろなことを経験しました。その年のオフの秋季キャンプで野村監督と面談があったんです。そこで、「この1年どうだった?」と聞かれて、僕は「選手としてうまくいくかどうかはまだわからないけど、プロ野球の世界というのは大体こんな感じなんだなということが理解できました」と言ったんです。今年、初めて一軍監督として過ごしたけど、まさにプロ1年目が終わった心境と一緒なんです。

――一軍監督というものが「大体こんな感じなんだな」というのがつかめたということですか?

高津 そうですね。一軍監督のやるべきこと、あり方というのがかなり見えてきた気がします。もちろん、たった一年では深いことはまだわからないかもしれない。10あるうちの、せいぜい1か2程度の理解かもしれない。でも、まったくの0から始まった今年の開幕を思えば、確実に1か2かはわからないけど、理解できたことが増えました。野球は生き物だから、今年の野球と来年の野球は決して同じものじゃない。それはわかっているけど、今年経験したこと、感じたことは絶対に来年に生かさなければいけない。それは強く思っていますね。

――「今年、つかんだこと」とは、具体的にはどんなことですか?

高津 たとえば、一軍と二軍の連携です。自分も二軍監督だったから、その点は理解していたつもりだったけど、いざ自分が一軍監督となってみると、二軍にかなりの負担をかけてしまうこともありました。選手たちに迷惑をかけることもありました。その点はしっかり反省して、来年に備えたいと思います。

――次回は新コーチ人事や、新外国人獲得も含めて、「来季の展望」を伺いたく思います。引き続き、よろしくお願いいたします。

高津 こちらこそ、また次回、よろしくお願いします。

 

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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