2021東京ヤクルトスワローズ 高津流 燕マネジメント

後半戦のキーマンは奥川恭伸投手
チャンスを掴めるのは、チャンスを意識できる人

2020シーズン、未曽有の事態に見舞われる中で、リーグ最下位という悔しい結果に沈んだ東京ヤクルトスワローズ。今季は心機一転、投手陣の補強を最優先に掲げ、再起を誓う。
昨シーズンを踏まえ、「今年はさらに厳しくいく」と宣言する2年目の高津監督は、新戦力が加わった新たなスワローズをどのように変革し、リーグ制覇を目指していくのか。
本連載では、今年もインタビュアーに長谷川晶一氏を迎え、高津監督の組織論から、マネジメント術、若手育成術まで余すところなくお届けしていく。

(インタビュアー:長谷川晶一)

――首位阪神とは2.5ゲーム差での後半戦再開。2位巨人も含めて、僅差の中での熾烈な戦いが始まりました。どんな心境で後半戦を迎えたのですか?

高津 8月中の試合日程は緩やかだったけど、9月まで神宮球場には戻れないので遠征が続く点は「難しいな」と思っていました。コロナの問題がある中での遠征、移動は体調面、精神面ともにコンディションを維持するのは大変だと思います。

――オリンピックブレイクを経て、8月14日からの後半初戦、対横浜DeNAベイスターズ戦の先発マウンドを奥川恭伸投手に託しました。この日の試合が中止になると、翌15日に、奥川投手にとってはプロ初となるスライド登板を決めました。これほどまでに、プロ2年目の若き右腕にこだわった意図を教えてください。

高津 まず、スライド登板の件からお話すると、すごく考えました。彼にとっては初めての経験だし、一回飛ばして、次のジャイアンツ戦に登板してもいいのかなとは思いました。でも、僕は彼のことを「後半戦のキーマンの一人だ」と考えています。「ヤスでいいスタートを切りたい」という思いが強かったので、「よし、スライドさせよう」と決めました。

――後半戦の初戦を奥川投手に託そうと決めたのはいつのことだったのですか?

高津 「後半戦初戦を奥川でいこう」と考えたのは、その一カ月ぐらい前のことでした。それを想定して、エキシビションマッチのローテーションを組みましたから。それまで、ベイスターズ相手に投げたことはなかったんですけど、その後のローテーションを考えたときに、「彼が最初に投げた方が、他の投手も含めてうまく回るから」と考えました。

――その試合でも、見事に勝利投手となりました。今季開幕してから、どんどん調子が上向いているというのか、試合をしながら成長しているように感じられます。監督からは今季の奥川投手をどのようにご覧になっていますか?

高津 成績、数字がいいに越したことはないんですけど、僕はあまりその点は重要視していません。もちろん、負けがつくよりは勝ちがついた方がいいし、防御率も低い方がいいんだけど、一番大切なのは「この一年をどう過ごすか?」ということなんです。何試合投げて、どのくらいのペースで一年間を過ごせたかということがいちばん大事。打たれることもあるし、抑えることもあるとは思うけど、「目先のことに一喜一憂しない」ということは常に意識しています。あとはまぁ、「ヤスなら行けるだろう」という思いもありましたよ、正直言うと(笑)。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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