第1回文学フリマには約80の個人や団体が出店し、約1千人が来場した。友人が撮った当時の写真を見ると、白いタイル張りの部屋に長机が並び、おのおのが自身のブースに同人誌をところ狭しと並べている。規模としては大イベントとは言えないが、それでも会場は高揚感に満ちていた。その熱気は、当時の文学を取り巻く状況とも関わっていたように思う。
背景にあったのは出版不況だ。書籍は1996年、雑誌は1997年をピークに出版販売額が減少に転じていた。Windows95が発売され「インターネット元年」と称されるのが1995年。ネットが広まり、メディア環境は数年で一変していた。当然、文学の世界にも影響はある。文学フリマの開催と前後して、文芸界隈では新たな雑誌が相次いで創刊された。大塚さんと批評家の東浩紀さんが責任編集となり生まれた『新現実』(2002年)、ジャンル横断をうたった『重力』(同年)、評論家の福田和也さんや坪内祐三さんらが編集同人となった『en-taxi』(2003年)――。それぞれカラーは異なれど、文学作品が売れなくなっている状況を背景に、新たな「文学」の場を創造しようとする試みだったと言えるだろう。
第1回文学フリマの熱気というのは、こうした状況の中で自らが文学と信じるものを手売りし、同じく文学に関心のある人たちと同じ場所を共有することで生じる共感のようなものから生まれていた気がする。
出店者の中で特に長い行列ができていたのが、エンターテインメント作品を対象とするメフィスト賞でデビューした作家の佐藤友哉さん、西尾維新さん、舞城王太郎さん、そして講談社の編集者だった太田克史さんによる『タンデムローターの方法論』のブースだった。今で言う“推し”の作家にサインしてもらったと喜ぶ先輩の、ほくほくとした笑顔が忘れられない。なお、この同人誌は翌年に創刊され一世を風靡する雑誌『ファウスト』のプレ創刊号のような存在だったと、佐藤さんは取材に答えている。覆面作家の舞城さんが『阿修羅ガール』で三島由紀夫賞を受賞し、話題となったのも2003年。当時、文学の世界で新しいムーブメントが起きている空気のようなものを僕も学生ながら感じていて、文学フリマに参加することでその空気を吸っている気がした。
午後には大塚さんと、『重力』の編集に携わっていた文芸評論家・鎌田哲哉さんらのトークイベントが催された。登壇者が席に座って聴衆に向け話をし、聴衆は地べたに座って耳を傾けた。参加者がひとところに集まって、主催者らの言葉を共有していた当時の光景を思い返すと、なかなか象徴的だと感じる。
大学卒業後、僕は海外放浪や大学院進学など紆余曲折を経て、共同通信社の記者になった。8年間の地方勤務を経て東京の文化部に異動し、2年目の2019年からは文芸担当に。その間、ほとんど同時代の日本文学とは接点がなくなっていたので、13年ぶりに文学の世界を垣間見ることになった。その世界は、学生時代と様変わりしているように感じた。
もう出版不況は当たり前のこととなり、昔ながらの町の本屋がいくつも姿を消していた。文芸書も売れていない。大学時代に創刊された、先に挙げた雑誌は全てなくなっていた。直木賞を受賞した作家に、担当編集者が「本業」を辞めないように忠告していたと聞き、驚いた。もちろん(というのも変だが)芥川賞を受賞した新人作家の多くは、別の仕事をしながら作品を発表している。専業作家は一部の人気作家を除いて、成り立たなくなっていた。
他方で、独立系書店と言われる個性的な本屋が各地に生まれ、作家によるトークイベントなどを開いては熱心なファンを集めていた。「韓国・フェミニズム・日本」と題した特集を組んだ文芸誌『文藝』2019年秋号は、交流サイト(SNS)などで話題を呼び、創刊以来86年ぶりに2度増刷された。初刷り8千部ということなので「マス」の人気というわけではないが、「ニッチ」というか「ミニ」というか、深く刺さる人には刺さっている。これと関連して、いわゆる大衆文学を扱い部数の多かった小説誌は大幅な減少が続いているが、純文学を扱う文芸誌は部数の減り方が緩やかだ。娯楽が多様化する中で、文学は誰もが注目する「メインカルチャー」から、一部の愛好家が支える「サブカルチャー」へと移行しているようだった。いや、むしろ「メイン」も「サブ」もなくなったという方が正確だろうか。