副作用の1つ目は、モノや情報自体の差別化が難しくなってしまうことです。5G時代には、これまで以上にモノや情報が「誰でも」「いつでも」手に入る状態となり、それ自体で価値を生み出すことが難しくなってしまいます。
そして2つ目の副作用は「情報が流れるスピードの速さ」があなたを圧倒するがあまり、1つひとつの情報の「意味合い」や「解釈」が難しくなってしまうことです。5Gによって情報のスピードが加速度的に増えていくと、人は「情報に追いすがる」だけで精いっぱいとなり「情報を解釈し、推論を働かせる」ことに気が回らなくなります。これは、あなたも実感しつつあるのではないでしょうか。
そして3つ目の副作用は、私たちの働き方にマイナスの影響を与えかねないことです。情報やデータがリアルタイムに可視化されれば、リアルタイムな対応を迫られることになります。いわゆる「高速PDCA」です。しかし高速PDCAは、ややもすればPDCAサイクルを回す現場を単なる「PDCAマシーン」に変えてしまい「次の仮説を立てる」という仮説検証サイクルを回らなくしてしまいます。
一方で、近年では働き方改革が叫ばれ、限られたリソース(人・モノ・金・情報など)の中で、いかに生産性の高い働き方を実現していくかが問われています。これまで以上に情報やデータがあふれる中で、同じリソースでこれまで以上の成果を生み出すような働き方が求められているのです。
今年やってくる5G時代とは、これまで説明したさまざまな「副作用」が、今以上に表に現れてくる時代でもあります。だからこそ、あふれる情報の中から早い段階で「見えない前提」や「関連性」を見抜く「推論力」が求められてくるのです。
推論力とは「未知の事柄に対して筋道を立てて推測し、論理的に妥当な結論を導き出す力」のことを指します。それでは「推論力がある人とない人」では、何が違うのでしょうか?
推論力がない人は、つい「この世の中には、どこかに正解があるはず」と考えてしまいがちです。推論力がない人にとって重要なのは「自分が正解を知っているかどうか」であって、このようなメンタルモデルが回りだすと「正解を知らないこと」は「恥ずかしいこと」になってしまいます。しかし、情報が洪水のように氾濫する5G時代に「正解を探す」ことは簡単なことではありません。
一方で「推論力がある人」は「この世の中には、正解など存在しない。可能性があるだけ」と考えます。これは、考えてみれば当たり前のことかもしれません。なぜなら社会も、ビジネスも、そしてこれを読んでいるあなたも、つねに未来に向けて進んでいるからです。