コロナ騒動で激売れする小説「ペスト」の中身

今の新型コロナウイルスを巡る混乱を彷彿とさせるとSNSでも話題の小説「ペスト」が話題になっている(写真:ロイター/Ahhit Perawongmetha)

新型コロナウイルスの影響でいまだ十分な供給の目処が立たないマスク、SNS上の誤った情報をもとに買い占めが発生したトイレットペーパーと同じように、全国の書店で品切れが続出している本がある。

フランスのノーベル文学賞作家、アルベール・カミュ(1913~1960年)が1947年に発表した『ペスト』だ。舞台は1940年代のアルジェリア・オラン市。高い致死率を持つ伝染病ペストの発生が確認され、感染拡大を防ぐために街が封鎖される。外部と遮断された孤立状態の中で、猛威を振るうペストにより、突如直面する「死」の恐怖、愛する人との別れや、見えない敵と闘う市民を描いた作品だ。

新型コロナが話題になる前の13倍に

発売元の新潮社によると、1月下旬から売り上げが急増。営業担当者がその理由を探してTwitterでタイトルを検索すると、「武漢の状況を見ると『ペスト』を思い出す」という投稿を大量に発見した。

その後、書店からの注文が相次ぎ、2月中旬~3月で1万4000部の増刷を決めた。直近の売り上げは、新型コロナウイルスが話題になる前の13倍を超える。50年前に邦訳版が刊行された書籍が、ここまで大きな反響を得ることは極めて異例だ。

なぜ、いまここまで『ペスト』が読まれているのか。本文の一部を引用すると、

「徹底的な措置をとらなきゃ、なんのかんのいってるだけじゃだめだって。病疫に対してそれこそ完全な防壁を築くか、さもなきゃ全然なんにもしないのもおんなじだって、いったんです」(p.92より)、「世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる」(p.193より)

――など、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の対応に後れを取り続けた行政や、悪意なくデマ情報を拡散し、日用品の品不足を誘発するSNSアカウントなど、新型コロナウイルスをめぐる日本の現状が次々と目に浮かぶ。

感染が拡大し、街に疫病の脅威が襲い掛かる描写はとても70年前に描かれたとは思えないリアリティがある。そこで本稿では、『ペスト』本文より、街にペスト流行の前兆が現れた冒頭の一部を掲載する。

4月16日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで1匹の死んだ鼠(ねずみ)につまずいた。咄嗟に、気にもとめず押しのけて、階段を降りた。しかし、通りまで出て、その鼠が普段いそうもない場所にいたという考えがふと浮び、引っ返して門番に注意した。ミッシェル老人の反発にぶつかって、自分の発見に異様なもののあることが一層はっきり感じられた。

この死んだ鼠の存在は、彼にはただ奇妙に思われただけであるが、それが門番にとっては、まさに醜聞となるものであった。もっとも、門番の論旨ははっきりしたものであった――この建物には鼠はいないのである。医師が2階の階段口に1匹、しかも多分死んだやつらしいのがいたといくら断言しても、ミッシェル氏の確信はびくともしなかった。この建物には鼠はいない。だからそいつは外からもってきたものに違いない。要するに、いたずらなのだ。

またしても鼠が

同じ日の夕方、ベルナール・リウーは、アパートの玄関に立って、自分のところへ上って行く前に部屋の鍵を捜していたが、そのとき、廊下の暗い奥から、足もとのよろよろして、毛のぬれた、大きな鼠が現われるのを見た。鼠は立ち止り、ちょっと体の平均をとろうとする様子だったが、急に医師のほうへ駆け出し、また立ち止り、小さななき声をたてながらきりきり舞いをし、最後に半ば開いた唇から血を吐いて倒れた。医師はいっときその姿を眺めて自分の部屋へ上った。