阪神大震災の渦中で拾った猫のピーちゃんに、救われ続けた私の25年間…人間なら120歳

猫のピーちゃん

 阪神・淡路大震災から1月17日で25年。避難生活のさなか、拾われた子が今も元気で暮らす。猫の平均寿命16歳を大幅に超え、やがて25歳になるが、人間なら120歳近いという。

 元気なメス猫はピーちゃん。神戸市垂水区に住む藤藪みさ子さん(67)は、震災発生時、灘区の石屋川近くの国道2号線沿いのマンションの7階に夫、長男の慎次さん(43)、長女のかおりさん(41)の4人で暮らしていた。1995年1月17日午前5時46分、一家は就寝中、激震に襲われた。

「あらゆる物が倒れて熱帯魚を飼っていた金魚鉢も割れてしまった」(みさ子さん)が、幸い誰にも怪我はなかった。しかしマンション自体は半壊状態になった。「エレベーターは動かず、外側の螺旋階段の溶接が外れて踏み板がぐらぐらしていて怖かった」

 危険なためすぐ横の、作家・野坂昭如の『火垂るの墓』の記念碑がある石屋川公園でテントでの避難生活が始まる。当時、慎次さんは専門学校生、かおりさんは高校二年生だった。

 2月のある日、慎次さんとかおりさんがJR六甲道駅に近い大和公園を歩いていると「ピー、ピー」と鳴き声が聞こえた。「なんの声だろう」。かおりさんが耳を澄ますと道路わきの側溝に、まだ目が開かないひよこくらいの子猫が寒さに体を震わせていた。手に乗せてやった2人は、「外では可哀そうだ」と連れ帰った。

 その頃は、修繕しているマンションとテントを行き来する生活だったが、マンションは猫を飼えない規則だった。それでも見捨てられず一家はこっそり育てていた。だが、人間の食料すら不足していた当時、猫の粉ミルクや哺乳瓶を探すのに苦労した。ペットショップを探し回ってやっと見つけて飲ませてやると、すくすくと育った。

 みさ子さんは当時、石屋川を南下した「神戸酒心館」に勤めていた。ノーベル賞の晩餐会に「福寿」を提供する蔵元として知られる。

「馴染みの丹波杜氏さんたちが無事だったと知って安心しましたが、会社に通いながらの避難生活は大変でした。昼休みに自転車で必死に戻ってピーちゃんにミルクをやりました」

 かおりさんは楽しみにしていた修学旅行が中止になってしまった。

一家にとって大きな癒し

 辛いことも多い中、ピーちゃんは一家にとって大きな癒しだった。

「将来への不安などで家族が喧嘩した時も、ピーちゃんが和ませてくれました」

拾った頃のピーちゃん

 だが人見知りが激しく工事の人たちが入ってくると怖がって姿を消してしまう。

「いくら探してもいないので逃げてしまったのかと心配したら、米櫃に潜んでいたんです」

 結局、震災から3年後に一家は垂水区の市営住宅に移った。一家の視線はいつもピーちゃんに向けられた。

「なぜかテレビの天気予報が大好きで天気予報になると、一生懸命に見るんです」

 少し緑内障があるそうだが目も濁っておらず、高齢とは思えない若々しさ。取材中に出された食事も、あっという間に完食してしまった。歯も強く今も固形状のキャットフードも平気。なかなか気は強く、炬燵に潜ったピーちゃんをからかうと「シャー」と歯をむき、パンチをしてくる。

「なぜかわからないけど今、一番甘えるのは私よりもかおりの高校生の娘なんですよ。膝の上におとなしくしています」

人間に対するように思いを寄せるみさ子さん

 みさ子さんは震災から約3年後に離婚し、垂水区に引っ越したが、元のマンションにはしばらく前夫が住んでいた。その後、ピーちゃんは、かおりさんが結婚して子どもたちと暮らすマンションにいた、隣人が管理人に通報したためにピーちゃんを飼っていることがばれてしまう。転々としたピーちゃんは最終的にみさ子さんのところに落ち着いた。