トヨタ、経団連と明確に距離置く…日立製作所から会長・副会長“同時選出”の異常事態

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経団連会館(「Wikipedia」より)

 経団連の新体制が3月8日、発表された。6月1日の定時総会を経て新しい体制になる。定時総会で定款を改正して副会長の定員の上限を20人に拡大する。これまでは18人だった。新任される副会長の任期は2期4年である。中西宏明会長は病気療養が長引いているが、3月8日のオンライン記者会見で「あと1年強の任期を完遂したい」と語った。

 ディー・エヌ・エー(DeNA)の南場智子会長が副会長に就任するのが、今回の“中西人事”の目玉だ。当サイトでも1月に「中西会長が南場さんにご執心。南場さんが受ければ、それで決まり」と報じていた。女性の副会長起用は初めてである。南場氏を選んだ理由について、中西会長は「いろいろな会議でご一緒し、意見やアイデア、発信力に感銘を受けていた。ぜひ、お願いしたかった」と語った。DeNAが経団連に入会したのは3月1日。南場氏の起用に備えたものとみられている。

 副会長は5人が任期満了で退任し、7人が就任する。南場副会長は世間受けする人事だ。財界・経済界の首脳たちは、日立製作所の東原敏昭社長が副会長になることに強い関心を示している。中西氏は日立の会長であり、東原氏が副会長に就けば、同一企業から会長・副会長が出るという珍しいケースになる。経団連では「同じ企業から同じ時期に会長、副会長は出さない」という“不文律”があったとされるが、経団連人事について詳しい人物は「1980年から86年まで6年間にわたり新日本製鐵(現日本製鉄)の稲山嘉寛氏が第5代経団連会長で、斎藤英四郎氏が副会長だった。斎藤氏はそのまま第6代経団連会長になった」という。

 斎藤氏の時代には「お友達経団連」などと揶揄された。「斎藤さんの麻雀仲間が何人も副会長になっていた」(財界の長老)。新日鐵(現日本製鉄)が経団連に君臨していて、経団連がいわば私物化されていたわけだ。

 今回、日立から会長・副会長が同時に出るのは、この時以来のことになる。「日立による新しい経団連の支配」(外資系証券会社のアナリスト)といわれる異常事態だ。3月9日付日本経済新聞は「(中西氏は)自身の補佐役としての活躍を(東原氏に)期待しているが、東原氏を自身の代行とすることは否定した」と報じているが、東原氏の副会長選出について経団連の正・副会長会議などで、きちんと議論されたのであろうか。

トヨタ、副会長を出さず

 新任副会長にパナソニックの津賀一宏社長が就任する。これで「任期があと1年の中西会長の後継者の有力候補に浮上したことになる」(副会長経験者)。経団連会長になる必要十分条件の一つにメーカー出身者というのがある。

 もう一つ注目されているのは、トヨタ自動車が副会長を出さなかったことだ。早川茂副会長が経団連の副会長の任期を終え、審議員会の副議長に転じることになった。「トヨタに副会長を出してほしいと熱望した」(経団連関係者)が、トヨタは新しい役員をリストアップしなかった。経団連が日経連と統合して現在の体制となった2002年以降、トヨタ出身者が会長、副会長のいずれからも外れるのは初めてのことだ。

「トヨタの豊田章男社長が経団連とはっきりと距離を置いたということだろう」との受け止めが急速に広がっている。トヨタが経団連に三下り半を突きつけた、ということだ。

 ほかの副会長としては、日本製鉄の進藤孝生会長の後任には橋本英二社長、三菱電機の山西健一郎特別顧問の後釜には柵山正樹会長が就任し、日本製鉄、三菱電機の「企業枠」を埋める。

(文=編集部)