日本にも、この財源不足を補う目的で2022年3月に運用を開始した「10兆円規模の大学ファンド」が存在する。2023年度は約9934億円のプラス、運用利回り約10%を記録するなど一定の成果を上げており、2025年度も運用開始以来最高水準の収益を計上したと報じられている。もっとも、この資金の主目的は「国際卓越研究大学」に指定された大学への重点支援であり、運用益がそのまま個々の大学の経常収支を直接的に補填する仕組みではない点には注意が必要だ。
「ハーバードの強さは基金の規模そのものより、”運用に賭けられる長期の時間軸”と”寄付文化に裏打ちされた継続的な資金流入”にある。日本の大学ファンドはまだ発展途上だが、方向性としては正しい。問題は、個々の大学がライセンス収入や産学連携収益を自ら生み出す仕組みが、米国に比べて未成熟なままだという点だ」(高等教育財政に詳しい経済アナリストの松田均氏)
大学が自己財源を確保できない状態が続けば、物価高や人件費上昇のたびに経常収支は圧迫される。今回の報道でも「研究者の削減不可避」という表現が用いられたが、前述のとおり東京大学はこれを否定しており、現時点で具体的な人員削減計画が確定した事実は確認されていない。
とはいえ、財務環境の悪化そのものは東京大学も認めている以上、任期付き研究者やポストドクターの雇用環境、若手研究者の新規採用枠といった部分に中長期的なしわ寄せが及ぶリスクは、他の主要国立大学も含めて引き続き注視すべき論点である。国際的な論文数シェアや研究力の相対的低下が指摘されて久しい日本にとって、大学の財政基盤の強化は一過性の話題ではなく、継続的に検証すべき構造的課題だといえる。
大学の財政状況にかかわらず、日本にはすでに構造的な課題がある。それは、博士号(PhD)を持つ高度研究人材の多くが、その専門性を十分に活かせる場を国内で見出しにくいという問題だ。
文部科学省がまとめたファクトブックによれば、日本の博士課程修了者のうち民間企業等(公的機関を含む)へ就職する割合は約4割にとどまり、他の主要国と比べて低い水準にある。一方で三菱総合研究所の試算では、2035年には日本全体で約190万人の人手不足が生じ、うち専門職人材の不足は約170万人に達すると見込まれている。生成AIやディープテック領域の研究開発を担う人材の獲得競争は世界的に激化しており、論理的思考力・実験計画力・専門知の深さを備えた博士人材は、企業のR&D部門や新規事業開発にとって本来、極めて希少な戦力となり得る存在だ。
「博士人材は”扱いにくい”のではなく、”評価する物差しを持っていない企業が多い”というのが実態に近い。専門性を正しく処遇できる制度があれば、博士人材は即戦力になり得る」(人事・労務コンサルタントの松本祐樹氏)
背景にあるのは、新卒一括採用と年功序列を前提とした従来型の賃金体系である。20代後半まで研究に専念してきた博士人材に対し、学部卒・修士卒と同一の初任給テーブルを適用する仕組みでは、専門性に見合った処遇を提示できない。加えて、研究職以外のキャリアパスが限られ、「専門性をどう評価すればよいか分からない」という採用現場の戸惑いも、ミスマッチを助長してきた一因とされる。
もっとも、この状況は近年変わりつつある。経済産業省が2023年度にまとめた調査では、日立製作所や富士通、中外製薬などが、ジョブ型人材マネジメントを軸に博士人材の採用・処遇制度を見直す取り組みを紹介している。富士通は2020年からジョブ型人材マネジメントを段階的に導入し、2026年度以降の新卒入社者について学歴別の一律初任給を廃止、ジョブレベルに応じた処遇へ移行すると発表した。高度な専門性を持つ人材については年収が約1000万円程度になる場合もあるとしている。日立製作所も2026年度採用計画で新卒採用の「ジョブ型採用」への完全移行と、博士人財の自律的キャリア形成支援を打ち出している。