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8.仕事終わりのデート③

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「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「口に合ったか?」
「はい。美味しすぎて、ついつい食べすぎちゃいました。もうお腹いっぱい……」

 ダイニングチェアに座り、いっぱいになったお腹をさすりながら微笑むと、先に食べ終わっていた良平さんが食後のコーヒーを淹れてくれる。

「それはよかった。椿のように美味しそうに食べてくれると作り甲斐があるよ」
「だって、本当に美味しいから……。あ、コーヒーありがとうございます」

 私の頭を撫でテーブルにコーヒーを置いてくれる彼にお礼を言って、そのコーヒーをひとくち口に運ぶ。豆乳たっぷりのまろやかな味わいが、胸の深いところにまでじんわりと広がっていき、私はホッと息をついた。


 彼が作ってくれたのは、こっくりとした味が特徴的なバターナッツスクワッシュの濃厚なソースが絡んだラビオリと、私が好きな鯛を使ったカルパッチョだった。どれもすごく美味しくて、ついつい食べすぎてしまったのだ。


「私、初めてラビオリを食べたんですが、すごく美味しかったです。可愛い形のパスタで、大好きになりました」

 コーヒーを飲みながらそう言うと、彼はそんな私を見て優しげに目を細めた。
 まるで愛おしいものを見るような視線に、どうしたらいいか分からなくなって、思わず目を伏せた。

「椿? どうした?」

 あっ、私ったら……
 突然目を逸らされたら変に思うに決まっている。慌てて顔を上げて、誤魔化すように笑った。
 
「いえ、はしゃぎすぎたかなって……」
「素直に喜んでもらえて、俺も嬉しい。だから、そんなこと気にするな」

 そう言って、良平さんが手を伸ばして私の頬に触れた。そして、その手が唇へと滑る。

「……っ」

 私を見つめる目も触れる手も、なぜか熱い。

 どうしよう。こういう時って、どんな反応をしたらいいの?
 経験がないから分からない。困り顔で彼を見つめると、くしゃっと髪を撫でられた。


「そういえば今日は泊まっていけるんだろ?」
「え……?」

 と、泊まる……?
 無理だと言いたかったが、乞うような目をする彼に、即答できなかった。

 自宅には――昼頃に『今日も研究所に泊まる』と伝えてあるので、私が今日帰らなくても問題はない。が、泊まる準備を何もしていないので物理的にも精神的にも難しい。

 それに、あの日はお酒が入っていたから、あのような行動を取れたのだ。今のシラフの状況では、どうしても恥ずかしさが先に立ってしまう。


「……そうか。ダメなのか。まあ急だもんな」

 良平さんは私が一向に返事をしないものだから無理だと思ったのだろう。しょんぼりと肩を落とした。その彼の悲しそうな表情を見た瞬間、恥ずかしさや戸惑いが霧散して、気がつくと首を横に振っていた。


「ダ、ダメじゃないです!」
「ということは、泊まっていってくれるのか?」
「は、はい……」
「それは良かった。じゃあ、そろそろ風呂に入ろう。コーヒーを淹れる前に湯を出してきたから、ちょうどいい頃合いだと思うんだ。椿、湯が張れているか、ちょっと見てきてくれないか?」
「えっと……」

 先ほどまでの悲しそうな表情は消え失せ、ニコニコととてもいい表情をしている彼に、私は目を瞬かせた。

 あれ? 私、まさかハメられた?

 彼の変わり身のはやさに戸惑っていると、彼が急かしてくる。

「ほら、早く見てきてくれ」
「はい。でもあの、良平さん。私……」
「どうした? 見てきてくれないのか?」
「あ……。いえ、見てきます」

 どう言っていいか分からず、とりあえず私はバスルームへ向かった。

 私をハメましたか? なんて聞けない……
 でも、彼のあの笑顔は私が泊まることへの嬉しさからくるものだ。だからきっと、私が泊まるって言ったから、悲しさがどこかに飛んでいったのよ。

 そうよね……。誘導的に「泊まる」と言わされたなんて考えすぎよ。考えすぎ。もう私ったら変なこと考えちゃった。

 苦笑いしながら、バスルームを覗いた。覗くと、そこには二人が余裕で入れそうなくらいの広いバスタブと大きな窓があった。


「わぁ! 夜景がとても綺麗」
「いいだろ、その窓。風呂に入りながら景色を楽しむことができて気に入ってるんだ」
「きゃっ!」

 窓に見入っていると、突然後ろから抱きつかれて飛び上がった。

 な、なぜ、いるの?
 見てきてって言っていたのに……。それに、突然抱きつくから心臓が止まりそうなくらいびっくりした。

 私はドキドキとうるさい胸を押さえながら、彼に抗議の視線を送る。


「椿は恥ずかしがりやだろうから、念のために言っておく。この窓は特殊なガラスだから外からは見えない。安心していいぞ」
「……」

 違う、違います。
 そんなことを心配しているわけじゃなくて……。突然現れたから驚いたんです。

 彼は私の抗議の視線を、大きな窓のせいで外から見えたらどうしようという不安な視線と勘違いしたらしい。


「……違います。突然良平さんが現れたから、驚いただけです。窓のことは心配していません」

 振り返りながら、困った顔で小さく首を横に振ると、彼は楽しそうに笑った。その笑みはなぜか挑発的だ。

 良平さん……?


「なら、大丈夫だな。じゃあ、一緒に入ろうか?」

 彼は私の腰に手をまわし耳元で囁いた。鼓膜を揺らす低い声音にぞくぞくしたものが背筋を走って身を捩る。

 なら大丈夫って……、何が大丈夫?

「やっぱり恥ずかしいのでお風呂は一人で入りたいです」
「それは椿が慣れていないだけだろ。なら、一緒に慣れていけばいいだけだ。逃げていたらいつまで経っても恥ずかしいままだぞ」
「で、でも……」
「それとも椿は俺と入るのは嫌か? 本当は耐えがたいのに我慢して言えないのか?」
「そ、そんなことはありません!」

 目を伏せて悲しそうに、そんなことを言い出した良平さんにギョッとする。

 耐えがたいなんて、そんなことあるわけない。私は思いっきり首を横に振った。


「じゃあ、俺と入っても問題ないよな?」
「はい! もちろんです!」

 あ……
 良平さんの問いかけに勢いよく頷いてしまい、慌てて口を手で覆った。

 わ、私……今。今、なんて言った?

 失敗したという顔で彼を見上げると、したり顔の彼と目が合う。その表情を見た時、自分がハメられたのだと悟った。

 やっぱり先ほどから良平さんは私が『No』と言えないように誘導しているんだわ。


「椿」

 彼は項垂れている私の名前を呼び、私の手を掴んで彼の胸の上に置く。そして秋波たっぷりに目を細めた。


「良平さん?」

 行動の真意をはかりかねて、彼の顔を訝しげに見つめると、彼は少し身を屈め、私の耳元で「脱がせろよ。一緒に入りたいんだろ?」とうそぶく。


「!?」
「ははっ、冗談だ、冗談。そんな顔するなよ。本当に椿は可愛いな」

 彼の言葉に動揺し後ろに飛び退いてしまった私を見て、くつくつと笑う。


「も、もう! バカにしないでください」
「バカになんてしてねぇよ。本当に可愛いなと思っているだけだ」

 彼は私の額にキスを落として、私のシャツのリボンをしゅるりと解いた。

「あ、良平さん。ダメです」
「ダメなのは椿のほうだろ。風呂に入るんだから服を脱ぐのは当たり前のことだ。いい子だから脱ごうな」

 諭すようにそう言われて、ゆっくりとボタンが外されていく。そのゆったりとした動きが、さらに羞恥心を煽る気がして、私はぎゅっと目を瞑った。


 ど、どうしよう。恥ずかしい……
 泣きそうと思った瞬間、彼の手がパッと離れた。

 え……?
 おそるおそる目を開けると、彼は仕方がないなという顔で笑っていた。そして、宥めるように私の背中をさすってくれる。


「悪かった。さすがに難易度が高すぎたよな。じゃあ、後ろを向いていてやるから残りは自分で脱げよ。タオル使って体隠してもいいから……。それならできるだろ?」
「は、はい!」

 それなら私でも大丈夫そう……
 彼の譲歩に頷くと、良平さんは私に背を向けてくれた。そそくさと自分のシャツを脱ぎ、スカートを脱ぎ落とす。

 下着を脱ぐ時に一瞬戸惑ったが、後ろを向いてもらっている彼を待たせるのも悪いと思い、目を瞑って勢いよく外し、バスタオルで体を隠した。

 その間、彼は約束どおり振り返らずに背を向けてくれている。


「あ、あの……良平さん。脱げました」
「分かった。なら、先に入っていてくれ。俺はさっき飲んでいたコーヒーのマグカップを片づけたら、すぐ入るから。体を洗って待っていてくれ」
「は、はい……」
「これ入れたらにごり湯になるから見えないぞ。それなら恥ずかしくないだろ? 椿が頭と体を洗い終えて、湯に浸かるまで待ってやるから……。だから、さっきみたいに泣きそうな顔をしないでくれ」

 良平さん……
 彼は私ににごり湯タイプの入浴剤を渡し、一度力強く抱き締めてからキッチンへ戻っていった。


 時折、意地悪な面も垣間見えるが、根本的に彼は優しい。その優しさに胸が熱くなって、私は彼が渡してくれた入浴剤を見て、ふにゃっと笑った。

 良平さん、私頑張りますね……!
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