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20.噂の真相(良平視点)

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「そういえば、社長と専務がなんだって?」

 食後、コーヒーを淹れるお湯を沸かしながら、食洗機に食器を入れている椿に問いかける。すると、彼女はその手を止め、きょとんとした。その表情が可愛すぎて、一瞬目を奪われてしまう。

 椿は以前から可愛かったが、こんなにもだっただろうか。あの日――彼女の想いに触れ、彼女を抱いてから、その可愛さが日に日に増していっているように感じる。あの日までの自分の目が節穴だったと思うほどに、それは顕著だ。

 やばいな。凄まじい勢いで落ちていっている気がする。恋は落ちるものだとは聞くが、ここまでとは……。いざ自分が経験してみないと分からないものだな……


「お父様とお兄様ですか?」
「あ、ああ。帰る時に父と兄からのメッセージを確認していたと言っていただろ? 同棲のことで何か言われたんじゃなかったのか?」

 彼女の可愛さに一瞬逸れそうになった思考が戻ってくる。俺は帰り際に彼女が言っていたことについて訊ねた。


「えっと……お父様が次の休みの日に良平さんを連れて帰ってきなさいと言っていました」
「本当か? それは嬉しいな。是非とも挨拶に行こう。認めてもらえるように頑張るよ」
「いえ……。お父様に認めないという選択肢はないと思います。むしろ良平さんの普段の仕事ぶりから、信用ができる相手だと大喜びしているに決まっています。会いに行けば、確実に結納や結婚の話が出てきそう……」

 はぁ~っと大きな溜息をつく椿の言葉に小さく目を見開く。
 付き合ったばかりでやや強引に同棲に持ち込んだので怒鳴りつけられる覚悟をしていていたんだが、まさか喜ばれているとは……

 少し困った顔をしている彼女とは対照的に、俺は嬉しさから顔が綻ぶのを止められなかった。その想いを隠さずに彼女に微笑みかける。


「俺としては結納や結婚まで話が進むのは大歓迎だ。すぐに結婚とはいかないまでも、とりあえず婚約はしておければ安心だよな」
「えっ? 婚約?」

 俺の言葉に椿が驚いてマグカップを落としそうになり、慌てて持ち直す。俺はそんな彼女を見てダイニングチェアから立ち上がり、キッチンにいる椿に近づいた。そして背中から抱き締め、マグカップをその手から取り上げる。


「そんなに驚くなよ。愛してるって何度も伝えているだろ。椿は? 椿はどうなんだ? 社長に挨拶をして正式に結婚が決まるのは、嫌か?」
「嫌じゃ、ありません。私が好きなのは貴方だけです。これから先もそれは絶対に変わらないと思うので、私としては形のある約束ができるなら嬉しいと思っています。ただ……ここ最近目紛しく自分の置かれている状況が変わっているので戸惑ってしまって……」

 まあ確かに……
 こういう関係になって、まだ一週間も経たずして同棲やら親への挨拶やらと話が一気に進んでしまっているのは分かっている。そりゃ戸惑うだろ。せっかちすぎだという自覚はもちろんある。

 俺だって最初から、ここまで一気に話を進めるつもりはなかったんだが……如何せん椿が可愛すぎるのが悪い。


「椿はふわふわとどこかに行ってしまいそうだからな。こうやって捕まえていないと……」
「良平さんったら。私はどこにも行きませんよ」

 一層強く抱き込むと、腕の中で椿が可愛らしく笑う。

 本当に可愛すぎだろ。帰ってきてから二回も彼女を抱いたのに、また押し倒したくなるじゃないか……

 俺は己の劣情に苦笑いをして、椿の額や瞼、頬、唇へと軽いキスを落とす。その間、彼女は毛繕いされている猫のように気持ちよさそうに目を閉じている。


「椿。俺はもう君を手放す気はない。手放せない。絶対に幸せにすると誓うから、俺と結婚してほしい」

 彼女の左手を持ち上げて薬指にキスしながら囁くと、彼女の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。そして何度も頷いてくれた。
 
 椿……。嗚呼、なんて愛おしいんだ。
 スピード結婚をする人間の気持ちが痛いほどに分かる。皆、見つけたのだ――自分だけの相手を。そこに早いも遅いもない。


「なら、次の休みに指輪を選んでから社長にご挨拶に行こう」
「はぅ」
「椿、返事は?」
「は、はい……行きたい、ですっ」

 彼女の薬指に吸いつきキスマークをつけて指輪の予約をすると、彼女は体を小さく跳ねさせて俺の腕にしがみついてくる。


「可愛い。ほら、湯が沸いたみたいだぞ。食後のコーヒーを淹れようか?」
「はい……」
「椿はコーヒーと紅茶、どっちにする?」

 腕にしがみついている椿を反転させて向き合う形で抱きしめる。彼女の髪を耳にかけ耳元に唇を寄せると、彼女は突然ハッとした表情で顔を上げた。


「良平さんは疲れているんですから座って休んでいてください。コーヒーは私が淹れますから……」
「いや、疲れているのは椿のほうだろ。これくらい俺にやらせろよ」
「ダメです! 良平さんは美味しい夕食を作ってくださったんですから、次は私が美味しいコーヒーを淹れる番です」

 少し頬を膨らませた彼女に背中をぐいぐいと押され、キッチンを追い出されてしまう。


「分かった。椿が淹れたコーヒーを飲みたいから大人しく待っている」
「~~~っ」

 彼女の膨らんだ頬に手を伸ばして唇を奪ってから、俺は鼻歌混じりにダイニングチェアへ座り直した。

 椿は俺がキスした唇を両手で押さえながら、頬を赤らめている。耳まで真っ赤だ。


「可愛いな、本当に可愛い。そんなに可愛いと襲うぞ」
「~~~っ、りょ、良平さん……」
「冗談だ、冗談。明日も仕事なのに、これ以上君に負担はかけられない」

 俺がそう言って笑うと、椿は少し残念そうな顔をしたあと、「少しくらい大丈夫なのに……」と小さな声で呟いた。


「っ! 頼むから煽らないでくれ……」
「え?」
 
 俺はダイニングテーブルに肘をつき、深い息を吐いて、己を落ち着けようと試みた。

 頼むから無自覚に煽らないでほしい。


「何がですか? あ、そういえば……相談があるんですが……」
「相談?」

 椿は先ほどの呟きが俺に聞こえたなんて露ほども思っていないのだろう。俺の反応に首を傾げながら、コーヒーが入ったマグカップ二つを持って近寄ってくる。

「社内の噂の原因はお兄様かもしれないんです。お兄様、お父様含め役員の方々に報告しちゃったんですって。だから、こんなにも早く私たちの交際が社内に広まったのかもしれません。上層部……というより確実に社内に吹聴してまわった気がします。どうしましょう?」

 おろおろと困った顔をしている彼女からコーヒーを受け取り、俺は今朝の専務とのやり取りを思い出した。

 
 実は――今朝椿と駐車場で別れたあと、本社ビルの入り口前で「見ぃちゃった」と言われ、専務に捕まったのだ。その上、昨日の帰り際の俺たちも見ていたらしく、彼はすぐに社内に噂が回るように手を打ったと言っていた。

 俺はコーヒーをひとくち飲んだあと、口を開く。

「それくらい許してやれよ。椿が心配なんだ」
「心配? なら、そっとしておいてくれたほうが嬉しいのですが……」
「専務は、『僕が君たち二人を応援していて、その邪魔をする者は絶対に許さないつもりだ』という噂もセットで流しておけば、俺に片想いしている女性社員から少しは君を守れるはずだと言っていた。だから、許してやれよ。専務なりの兄心なんだ」

 椿は俺の言葉を聞いて、目を瞬かせた。
 と言っても、俺に片想いしてる奴なんてもういないと思うけどな……。告白してきた人たちは全員断ったし。それに……

「俺としては、そんなふうに影から専務に守ってもらわなくても椿を守る自信はある。いや、これからは絶対に俺が守ると約束する。だから、不安なことや何か困ったことがあったら、ちゃんと言えよ」
「はい、ありがとうございます」

 そう言って少し照れながら嬉しそうに微笑んだ彼女の笑顔が眩しくてたまらない。
 俺は湧いてくる劣情にかぶりを振って、椿が淹れてくれたコーヒーをぐいっと飲んだ。
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