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ヴェネツィア

僕とゲームをしませんか?

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 バカなことをしたわ……
 誰か私を愚か者と罵ってよ、と言いたくなるくらいにバカなことをした……

 結局トモはあれ以上何もしてこなかったが、変に乗せられて相手の好きなようにやらせすぎると自らを滅ぼす可能性がある。少し賢くなった……


 そして翌日の早朝。六時頃に目を覚ました私は、自己嫌悪からベッドの上で足を抱えて座っていた。溜息ばかりが何度も出る。

 自分の愚かさと浅はかさを示すように、ベッドにはトモが眠っている。

「はぁ~っ」

 あのあと、トモは仕事をしている以外は隙あらば触ってくるようになった。
 膝に座らせて髪を撫でたり額にキスをしたり、耳の縁を指でなぞってみたり――まるで付き合いたてのカップルのように容赦なくイチャイチャしてくる。


 間違いなく私が脚の傷を舐めることを許したせいよね。あれで火がついたのよね……

 隣に眠っているトモに視線を向けると、カーテンの隙間から差し込んでくる朝日が彼の整った輪郭を浮き彫りにさせる。私はその眠っているトモの髪に自分の指を絡ませた。


 本当なら……、トモは私を見つけだしたらすぐにでも日本に帰りたかったのよね。忙しそうだし。
 おそらく私が認めないので、そういった話ができないから時間をかけることにしたのだろう。

 親が決めた婚約者だということを明かして強行的な態度に出ることもできるのに、彼はそれをしない。あくまで私に白状させたいだけなのかもしれないが、そんな彼に助けられているのも事実だ。

「……」

 忙しいトモに時間を取らせていることを申し訳なく思いながらも、私は名乗り出たあとに変わるであろう関係性や状況に対しての覚悟が持てないのだ。このまま、何ごともなく約束の二週間が終わってほしいと考えている卑怯者なのだ。

 異国の地でたまたま出会った男女――ということで無事に終わって別れたい。

 トモの手は取れないけど、今トモの手を離したくない自分がいる。……これはひと夏の火遊びみたいなものだと思って、彼と二週間を過ごしたい。過ごしてみたい。


 私は絶対に日本には帰らない……。家に縛られずにただの『カリナ』として生きていきたい。それなのに、そんなズルいことを考えている自分がいる。


「きゃっ!」

 深い溜息をつき、ベッドから立ち上がろうとした途端、背後から腰回りに抱きつかれて、ベッドに引き戻されてしまう。

 私は不覚にも驚いてしまった心中を隠すように素っ気ない声を出した。

「起きたの? でもまだ六時だから、もう少し寝ていたら? 昨夜も遅くまで仕事をしていたんでしょう?」
「花梨奈さん、おはようございます。今日はサン・マルコ大聖堂を見学したらフィレンツェに移動する予定でしょう? だったら早起きしたほうがいいですよ。あ、フィレンツェにホテルを予約しておきました」
「ありがとう」

 私の腰回りに抱きついたまま話しかけてくるトモの額をお礼を言いながら指で弾く。

 まったく好き放題しすぎなのよ。


「ねぇ、花梨奈さん、僕とゲームをしませんか?」
「ゲーム?」

 トモは体を起こして、私の手にキスを落とした。

 ……?
 突然話題を変えられて思考がついていかない私は首を傾げた。


「別にいいわよ。ただ私、ゲームはあまり得意じゃないの。だから、私でもできるゲームにしてね」
「もちろんです。ゲーム内容は簡単なので」
「簡単なら……」
「僕が花梨奈さんをイカせられたら僕の勝ち。イカせられなかったら花梨奈さんの勝ちです。どうですか? 簡単でしょう?」
「は?」
「期間はバカンスの間です。このバカンスが終わる時に決着がついていない場合は僕の負けです」

 は? え? 今、なんて言った?

 トモの言葉が理解しきれずに硬直すると、彼が私をギュッと抱き締めて耳元で囁く。 


「花梨奈さんがたくさん気持ちよくなれるように頑張りますね」

 混乱する頭のまま、ゆっくりとトモのほうに顔を向けると彼がとても嬉しそうに笑う。


 え? な、何? 私を……?

 段々と言われている言葉の意味を理解すると、私は弾かれたようにベッドの上を後退った。それを見た彼は、とても残念そうにしている。


「どどどこが、どこが、ゲーム? レイプさせてくださいって言ってるようにしか聞こえないけど!」
「同意を求めているので、レイプではないです」
「あ、そっか……ごめん」

 いや、違う。ごめんじゃない。
 トモの調子に乗せられそうになっている自分を振り払うために、私はかぶりを振った。


「花梨奈さん。ちょっと前向きに考えてみませんか? 変なゲーム内容ではありますが、悪いことばかりではありませんよ。花梨奈さんが勝てば、僕はもう花梨奈さんを引き止めたりしません。君は自由です。今までどおりイタリアで好きなように過ごしてください」
「え?」
「だけど、僕が勝てばこのまま僕の側にいていただきます。結婚しましょう」

 ゲームに勝てば今までどおり。負ければ結婚……

「え? つまり、私が勝てばトモとバイバイってこと?」

 頭の中が混乱して、うまく働かない。が、頑張って震える声で疑問を絞り出すと、トモが「残念ですが、身を引きます」と頷いた。

 ……ということは私が勝てば、私を解放してくれるってこと?
 わざわざ私を調べて見つけ出し、親の会社の利益になるように政略結婚まで画策したのに、私が勝てば完全に解放してくれるの?

 私は驚きのあまり、目を白黒させた。

「本当に? 本当に私が勝てば、二度と関わらない?」

 もう一度確認すると、彼は真顔で頷き答える。
 そんな彼に私は動揺が隠せなかった。


「はい、二度と花梨奈さんに付き纏ったりしません。花梨奈さん、そろそろ決着をつけましょうか?」
「……」

 私はトモの言葉にゴクリと喉を鳴らした。

 私はトモとは結婚できない。なら、いつかは彼に話して分かってもらいお別れをしなきゃいけない日が来る。トモのことだから、バカンスが終わった二週間後に『はい、さようなら』とはいかないだろう。

 その時、駄々を捏ねられたらどうやって彼を納得させたらいいか私には見当もつかない。隙をみて逃亡もできなさそうだから、この提案は渡りに船を得たようなものかもしれない。

 で、でも、結果的には悪くはないんだけど、ゲームの内容が……。うんと言いたくないのよね。


「ゲームするのはいいんだけど。その変なゲーム内容はなんとかならないの? 内容の変更を求めたいわ」
「変更はしません。あ、もしや勝つ自信がないんですか? 花梨奈さん、まだ処女なのに感じやすいから、すぐイッてしまいそうで怖いんですね」
「なっ!! そ、そんなことないわよ!」

 クスクスと笑って揶揄ってくるトモに顔を真っ赤にして叫ぶと、彼は「なら大丈夫ですね」と笑い、また唇を重ねてきた。

 違う。全然大丈夫じゃない!

 彼の行動に反論したかったのに、その言葉はキスに呑み込まれてしまった。私の唇の隙間からわずかに舌が入り込んでくる――その熱いぬめりに眩暈がした。

 動揺とあがった息を悟られたくなくて目をギュッと瞑って乱れる呼吸を整えようとすると、舌を搦めとられ軽く吸われて、また息があがる。私が震える手でトモの服を掴むと、ゆっくりと唇が離された。

 トモの息が熱い。そう感じられるくらい、私たちの距離が近い。トモがぴったりと密着するくらいに抱き寄せてくるせいで彼の熱いものが私の太ももに当たっている気もする。
 その熱い感触に私の顔にボッと火がつくと、彼は私の頬を両手で挟み、チュッチュッと額や鼻、顔中にキスを落としてきた。


 私もそろそろ観念して勝負に出る時なのかしら……

「……分かったわ。但し、私が嫌がることはしないって約束して。初めてだから、やっぱり怖いもの。痛いこととかは嫌だわ。あと、最後までするのは結果が出てからがいいんだけど……」
「もちろんです。絶対に優しくしますし怖いことも痛いこともしません。花梨奈さんの気持ちが追いつくまで挿入もしないと誓います。必要なら誓約書を書きましょうか?」
「ううん、そこまではいいわ」

 当たり前だけどめちゃくちゃ本気なのね……
 まあトモが私に無体なことするとは思えないから大丈夫だとは思うけど。
 
 でも私処女なんだけど、処女ってイケるものなのかな? あ、だからバカンスの間にゲーム期間を設定してるのかな? 時間かけて体と心をほぐしてくれるつもりとか?


「あ! でも今日はダメよ。これから、サン・マルコ大聖堂に行って、そのあとフィレンツェに行くんでしょう? 私、楽しみにしているんだからね」
「それも、もちろんです」

 あと懸念なことは何かあるかしら。
 私が眉根を寄せて悩んでいると、トモが私の唇にチュッとキスをした。

「……!」
「不安なことが出てきたら、その都度言ってください。僕は花梨奈さんとこれからも一緒にいるために、このゲームを提案したのであって、貴方を追い詰める目的ではありません」
「そっか」

 そうよね……

 こくんと頷くと、トモが抱き締めてくれる。

 でも……本当なら、こんなゲームしなくても話し合えばすむ話なのよね。けど、トモは言い出せない私を分かっているんだ。そしてゲームに勝てば今まで通りという逃げ道も用意してくれてる。

 優しい人……
 そんな優しいトモに変なゲームを考えさせるくらい追い詰めてるんだろうな、私。

 彼と結婚したら幸せになれることくらい分かってる。婚約者としても結婚相手としても申し分ない。それを分かっているのに私は……

 抱き締めてくれている彼の服をぎゅっと掴んですり寄ると、額にキスが落ちてくる。


「花梨奈さん、そろそろサン・マルコ大聖堂に行きましょうか。今日はゲームのことは忘れて、観光を楽しみましょう」
「うん」

 そうは言っても、やはり気にしてしまう。観光中そればかりが頭の中を巡って、サン・マルコ大聖堂を心の底から楽しめなかった。

 トモが『昇天のクーポラ』を見ながら何かを言っていた気もするけど、いまいち覚えていない。


 本来ならヴェネツィア共和国の栄光の象徴は大興奮のはずなのに……私のバカ。
 

 ***


「花梨奈さん、すみません。ゲームの話を切り出すタイミングを間違えました。そんなにも悩ませるつもりじゃなかったんです」
「へ? だ、だいじょうぶ……大丈夫だから。私こそごめんね……!」

 列車に乗ると、トモが私の手を握り顔を覗き込んでくる。その表情を見るに、とても心配をかけているのが分かる。

「とりあえず今は少し眠っていてください。着いたからといって襲ったりしないので。今はゲームのことは忘れて休んでください」
「う、うん……。ありがとう」

 頭を撫でて彼の肩に寄り掛からせてくれる。その優しさと伝わる体温が――迷子になりそうな心に染み渡る。


 トモは私が結婚を受け入れられない理由を打ち明けたらなんと言うのだろう。家族のことを話して日本に帰りたくないと行ったらなんと言うのだろう。

 私はトモの肩に頭を置いたまま、彼の顔を盗み見た。トモはノートパソコンを開いて仕事をしていて、その表情は真剣そのものだ。

 きっと最大限寄り添おうとしてくれる。出会って間もないが、それだけは確信できた。
 もしゲームに負けた時は観念して不安なこと全部打ち明けてみようかな……


 私はそんなことを考えながら、彼の肩に頭を乗せたまま眠りについた。
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