愛恋の呪縛

サラ

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第106話

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 風が吹いていた。
 穏やかで、暖かくて、そして優しい。
 その風は、幼い子を抱く母の腕のように、包み込むようにして流れ込んでくる。
 そして微かに漂う花の香りは、日向の心を浮き上がらせた。



 (あれ……ここは……)



 ふと、閉じていた瞼を開ければ、そこは花畑。
 小さな虫が飛び、蝶も舞う。
 暖かな日差しをいっぱいに浴びる花畑は、とても優雅な目覚めへと誘ってくれた。

 一瞬で理解した。
 これは夢、最近よく見る鮮明な夢の中だと。
 だが、以前の真っ白な風景とは違う。
 風景がハッキリと見え、まるで現実に近い感覚だ。



 (また、不思議な夢……)



 横になったままそんなことを考えていると、ふと足音が聞こえてきた。



黒神こくしん様!】



 まだハッキリと目覚めていない日向の頭に聞こえてきたのは、若い男の声。
 日向が体を起こすと、若い男はこちらに向かってくる。
 しかし、顔も姿もぼんやりしていてよく見えない。
 でも確かに、こちらへと真っ直ぐ向かってきていた。



【黒神様ぁ!】



 (黒神……どこかで、聞いた気が……)



 初めてにしては、どこか聞き馴染みのある言葉。
 日向はまだぼんやりしている頭を懸命に動かし、その言葉をどこで聞いたのか、記憶を探る。
 少しずつ、少しずつ、男が近づいてくる。

 その時…………。


























































みやび……】





 誰かの声が、聞こえた。
 その声は、どこか胸を擽られて……

 以前の夢の中で、聞いた声に似ていた………………。





 ┈┈┈┈┈┈┈ ❁ ❁ ❁ ┈┈┈┈┈┈┈┈





「んっ……」



 風が頬を撫で、日向は瞼を静かに開ける。
 香る蓮の匂いに頭が覚醒し、ぼやけた視界をしっかりさせた。
 と、寝ぼけるのはここまで。



「えっ!?」



 ヤバい、と心の中で思った日向は、バッと起き上がった。
 それもそのはず、なぜ日向は寝ているのか。
 日向は、夏市に魁蓮を誘うために来たというのに、寝ているなど前代未聞。
 焦りと突然起き上がった影響で、心臓が早く脈を打つ。
 その音が、ドクドクと大きく聞こえる。
 疲れたのか、それとも何か起こったのか。
 何も変化がないのかと心配になった日向は、キョロキョロと身の回りを確認する。



 (あれ、これって……)



 ふと、日向は自分の体に視線を落とした。
 綺麗な黒くて長い羽織が、日向の体にかけられている。
 何度も見た事のある、この羽織。
 魁蓮の羽織だ、なぜこんな所に。



「あれ」



 気づけば、ここにいたはずの魁蓮がいない。
 ここへ来た理由である魁蓮が。



「えっ!?か、かいれっ」



 日向がぐるっと辺りを見渡すと……



「あっ……」



 少し離れたところで、どこか遠くを眺めている魁蓮がいた。
 腕を組み、静かにじっと、何かを見つめている。
 日向ははぁっと息を吐いて、安堵した。
 もしかして、魁蓮が羽織をかけてくれたのだろうか。
 いつの間にか眠ってしまった日向を、魁蓮は起きるまで待ってくれていたのだろうか。
 なんて自惚れたことを考えながら、日向は口を開く。



「魁蓮?」

「………………」



 日向は大きめの声で呼びかけるが、魁蓮は聞こえていない。
 というより、どこか上の空だ。
 どうしたのだろうかと気になった日向は、魁蓮の黒い羽織を持って、そっと後ろから近づいた。
 いつもなら、この時点で気づくというのに。
 警戒心が全く無いのか、それとも本当に気が散っているのか……。



「魁蓮」

「っ……」



 魁蓮の前に行き、顔を伺うように声をかける。
 すると、突然現れた日向に驚いたのか、魁蓮は少し目を見開いた。
 この反応からして、魁蓮はずっと日向が近づいてきていることに気づいてなかったようだ。
 その時点で、魁蓮がいつもと違うと感じる。

 直後、魁蓮はいつもの表情に戻った。



「起きたか、小僧。我の治療中に居眠りとは、生意気だなぁ?」

「あ、そ、それは……スミマセン」



 こればかりは、何も言い返せない。
 正直、日向は寝落ちた瞬間は覚えておらず、まさか眠ってしまったなんて未だに信じられない。
 だが、魁蓮がこう言っているのだから、突然寝落ちたのは本当なのだろう。
 この前といい、最近はよく眠るものだ。
 寝不足、という訳でもないのに。



 (あっ……)



 その時、日向は魁蓮の目の下のくまが、完全に無くなっていることに気づく。
 どうやら、眠る前に治すことができたようだ。
 その事実が分かり、日向は心の中で安堵する。
 ふと、日向は魁蓮の顔を見つめた。



 (やっぱり……何か、様子が変……?)



 何故かは分からないが、魁蓮の様子・雰囲気がいつもと違う気がした。
 どこが違うのかと言われると難しいが、何となく。
 直感が、そう言っている。
 彼のことを分かっているわけではないのだが、何かが違うと思うくらいには、魁蓮の様子がいつもと異なっている。
 先程の上の空といい、何かあったのか。

 すると、魁蓮は日向へ視線を落とし、口を開いた。



「小僧……お前に尋ねたいことがある」

「ん?何?」



 魁蓮の言葉に、日向は首を傾げた。
 ところが……



「……………………」

「……魁蓮?」



 尋ねたいことがある、と言った割には、魁蓮は直ぐにその内容を口にしない。
 考え事をしているのか、それともまだ言う覚悟が出来ていないのか。
 ただじっと見つめられるだけで、日向は戸惑ってしまう。
 そしてやっと、魁蓮は口を開いた、のだが……



「……いや、いい」

「え」



 魁蓮は尋ねることなく、強制的に話を終わらせた。
 なのに、その表情は、何かを納得していないような。
 どこか、引っかかっている表情だった。
 そんな表情、日向は見たことがない。
 明らかに、おかしい。



「ま、待って」



 日向はそっと、魁蓮に近づいた。
 なぜ尋ねるのを止めたのか、なぜ諦めたのか。
 何一つ、分からない。
 このまま済ますのも気が引けて、日向は思わず話を戻す。



「僕に、何か聞きたいことがあるんだろ?」

「……………………」

「なに?どうしたの?」



 なぜ黙っているのだろうか。
 聞きたくても、言えないことなのか。
 日向が戸惑っていると、魁蓮は重たい口を開く。





「小僧……お前と似た容姿の者はいるか?」

「……えっ?」





 いつになく真剣な眼差しで見つめる魁蓮に、日向は返答に詰まってしまう。
 なぜ、そんなことを突然。
 一体、どんな考え事をしていたら、そんなことを尋ねようと思うのだろうか。
 じっと日向の返答を待つ魁蓮に、日向は片眉を上げて口を開く。



「いやっ……少なくとも、僕が知る限りではいない、けど……自分でも、かなり珍しい見た目って自覚あるから、似た人がいたら気づくと思う……」

「……………………」

「な、なんでそんなこと聞いてくるの?」



 ここへ来ても、魁蓮はまた黙ってしまった。
 いや、これは違う、いつもと明らかに違う。
 きっと何かあったのだ。
 日向の容姿に似た人物など、そもそもいるはずがないのだが、それを気にして尋ねるということは……



 (何か……悩んでる?)



 瀧と凪から聞いた、伝説上での存在。
 妖魔が抱く彼の印象。
 肆魔から聞く彼の印象。
 その全てを持ってしても、魁蓮はあまり悩まない性格だと、日向は思っている。
 己の享楽のために動き、不快だと感じた瞬間に殺す。
 唯我独尊、それが魁蓮。

 と、思っているからこそ、魁蓮が何かに悩んでいるように見える姿は、極めて珍しく、想像など出来ないものだった。
 そして、決定的なものが、ひとつ……。



 (……そんな目、するのかよ……)



 日向は、魁蓮の目が切なく見えた。
 目を伏せて、考え事をすると共に、何かに思い悩むその姿は……
 何かを、追い求めているかのような、切なさを込めた表情と目。
 本人は自覚など無いのだろうが。

 どうしてか、日向はその表情に耐えられず、手を伸ばす。



「っ……」



 日向の手は、魁蓮の頬へと伸びた。
 温かみを感じる日向の手に触れられ、魁蓮はピクっと眉が上がる。



「……大丈夫?」

「………っ………」



 日向は、そう尋ねた。
 話してくれるとは思っていないが、せめて、自分は今心配しているのだと、それだけでも伝わって欲しかった。
 いつかは、話してくれるのだろうかと、変な期待までして。

 だが……



「触れるな、無礼者」



 日向の手は、少し不機嫌になった魁蓮の手によって弾かれた。
 まあ、何となく予想はついていた。
 しかし、いつもの魁蓮だと分かり、日向はホッとする。



「ははっ、悪ぃ悪ぃ。
 あっ!てか、早く行かないと!みんな待ってる!」

「司雀にはもう伝えておる。町中で合流する予定だ」

「あ、そうなんだ。よかっ……
 え?じゃあ、来てくれるの?」

「……後々、なぜ来なかったのかと詰め寄られる方が面倒だ……」

「……あっはは!確かに、僕もしちゃうかも。
 なら、行こうぜ」



 そう言うと日向は、笑顔で歩き出した。
 そんな日向の姿を、魁蓮はじっと見つめる。





【彼を殺してはいけません!でなければっ……
 貴方はまたっ、!!!!!】





 何度も、何度も蘇る、司雀の言葉。
 その言葉に、魁蓮は顔を歪ませる。
 何かを知っているような、あの言葉。
 全然分からない魁蓮は、その歯がゆさに苛立ちが募っていた。



 (我が苦しんだことなど……1度も無い……
  司雀……お前は一体、何を言っているのだ……

  誰のことを、言っている………………)



「魁蓮ー!帰り方、分かんない!どーすんのー?」

「……はぁ……莫迦め」

「息をするように悪口言うよなお前(怒)」



 怒った表情で振り返る日向に、魁蓮は眉間に皺を寄せた。



 (忌々しい……我は、人間など興味無いわ……)
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