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LVI 美しい少女-II
しおりを挟む深夜2時。
セドリックが眠ったのを確認し、私はこっそりと家を出た。
幾ら夏でも、夜は気温が下がり肌寒い。しかし暖を取る為のストールを羽織る気にはなれず、薄着のままあの森の方面へと歩を進めた。
この時間に、外を歩いている人間は居ない。
路上生活者も身体にあるだけの布を巻き付け、道の隅や路地裏で身体を丸くして眠っている。
そんな光景を眺めながら、ただ歩き続けた。
ポケットの中には、あの黒い手紙。頭の中で繰り返すのは、その手紙の差出人である“メイベル・バルフォア”の名前。
噂では赤毛のシスターと言われていたが、私はその噂に関わっているのはあの白髪の女性ではないかと臆見していた。彼女がその廃教会で、暮らしているのではないかと。
もしくは、あの女性と同じ様な人間が複数存在するのかもしれない。ずっと思っていた事だが、マーシャの勘の鋭さも少々異様だ。まるで人の心が読めているのではないかと思ってしまう程である。
予言など、到底信じられない。しかし、この手紙を貰っている以上信じないと言い切る事は出来ない。それにマーシャの事もあり、心の何処かでその様な何かを持っている人間が存在するのではないかという考えが拭えずにいた。
歩き続ける事数分。辿り着いたのは、真っ暗で不気味な森の入り口。
昼間とはまた違った恐怖がある森は、とてもじゃないが1人で足を踏み入れようとは思わない。しかし、今の私にはこんな森など怖くは無かった。
仮に悪霊に憑り付かれようと、魔物に魂を取られようと、何も怖い事は無い。今の私が何よりも恐怖を感じている事は、セドリックが娘の様に私の元からいなくなってしまう事だった。
躊躇い無く森に足を踏み入れ、手探りで木の幹に触れながら進んでいく。
地上に露出した樹木の根に足を取られながらも、森の奥を只管に目指す。
こんな森に、足を踏み入れる人物など居るのだろうか。薄気味悪さを除いても、足場が悪く思う様に前に進めない。
やはり、噂話はただの噂話なのだろうか。もしかすると、子供の作り話が噂となって広まってしまったのかもしれない。
此処まで来て、そんな事が脳内を過る。
しかし私のその思考は、目の前に突如現れた灰色の煉瓦の壁に遮られた。
壁に伝う無数の蔦も、その壁も、もう10年以上が経つというのに何も変わらない。だが、近づいた先の教会の扉を見て、ふと違和感を抱いた。
――この教会の扉は、こんなにも綺麗だっただろうか。
扉に埋め込まれたステンドグラスは月明かりが反射してキラキラと光っている。罅や欠けも無く、埃が被っている様子も無い。
その違和感が濃くなっていくのを感じながら、一度当たりを見渡した後そっと扉を押し開いた。
錆を感じさせない、クリアな開閉音。内陣のステンドグラスとその前に聳え立つ十字架に目を惹かれながらも、足音を立てずに身廊を歩き進んでいく。
昔はあった筈の、椅子に張った蜘蛛の巣、ガラスの破片、汚い足跡。全てが綺麗に無くなっている。薄暗くて隅々までは見る事が出来ないが、この教会に人の手が入った事は一目で分かった。
まさか、あの噂は本当なのだろうか。本当に、此処にシスターが住んでいるのだろうか。
ぼんやりとステンドグラスを眺めながら十字架の前に佇んでいると、ふと背後から扉が開く音が聞こえた。
「――誰?」
やや冷たい、棘のある声音。しかしその声は幼く、何処か怯えが滲んでいる様に感じられた。
パッと振り返り、声の主に視線を向ける。
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