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しおりを挟むラザル子爵夫人──オフィリアは、穏やかな表情で晩餐の様子を眺めていた。
末子の婚約者候補の令嬢が参加した晩餐である。
隣同士に座った彼らは、全体での会話を楽しみつつも、時折二人で何事かを話し合い、笑い合っている。
睦まじげに見つめ合うその様子が、母であるオフィリアには微笑ましい。
(⋯⋯まさか、こんな日が来るなんてね)
末子エリアーシュは、良く言えば大人びた、悪く言えば諦観した子供だった。
その聡さ故か相手の望みを汲むことが上手く、小さい頃からあまり手のかからない子だと言われていた。
騎士の家系に生まれた男児ということで、ラザル子爵家の三兄弟は幼い頃から騎士となるべく稽古をつけられた。
そんな中、才能が突出していたのは次男だ。
父や他の騎士たちにも褒められ、将来は素晴らしい剣士になるに違いないと期待されていた。
そんな次男に対し、三男のエリアーシュは、いつも二つ違いのそんな次男の影に隠れていた。
才能がないわけではない。
エリアーシュはただただ平凡だった。
だけど──母親であり、女だてらに騎士に囲まれて生きてきたオフィリアにはわかった。
エリアーシュは、あえてその能力──それも、尋常ならざる才能を隠しているのだと。
何事にも淡白なエリアーシュは、騎士としてのし上がることには惹かれなかったらしい。
稀代の騎士として名を馳せることもなければ、どうしようもない穀潰しになることもなく、ただ淡々と生きているようだった。
その理由に思い当たるものがあったからこそ、母親であるオフィリアはその生き方を咎めることはできなかった。
その原因は、おそらく次男だったからだ。
次男は、もともと非凡だった才能を研鑽によってさらに花開かせた、努力の天才だった。
加えて、天性の負けん気ももっていた。
それに対し、純然たる天才であったエリアーシュは、自らが労せず才能を発揮することは、兄である次男を潰すことになるとわかっていたのだ。
いつだったかに、長女であるウィレミナが言っていた。
『闘争心とか競争心とか、そういう類のものは次男がすべて持っていったみたいね』
まさしくその言葉通りだった。
二つ下の弟に負けることを、何事にも一番であることを求める次兄が許すわけがない。
だとするならば、その先に待つのは過負荷によって文字通り体を壊す次男の姿だ。
騎士として才覚を発揮することに特別な思い入れもなかったエリアーシュは、兄を潰すことよりも自らが埋もれることを選んだのだ。
そして、それによって自身に下された"平均以下"の烙印にも特に感慨をもつことなく、彼はこの16年間を生きてきた。
それに対し、本来は親である自分が何かしてやれなければならなかったのだろう。
だが、エリアーシュが真に熱中して打ち込めるものを見つけてやれることもできぬまま、ここまできてしまった。
──いや、本当は見つけていたのだ。
「──ああ。フィングレイ侯爵夫人ね。ええ、お父様の従妹よ」
騎士学校に入学してしばらく。
エリアーシュが突然フィングレイ侯爵家のことをオフィリアに尋ねてきたのだ。
他者に関心をもつことのなかったエリアーシュの質問に、たいそう驚きながら答えたのを憶えている。
「へぇ⋯⋯侯爵夫人の御子は?」
続けてそう尋ねたので、もしやと思ったのだ。
「ああ、嫡男の方は騎士学校に在学中のはずだったわね。それでなの?」
当たり障りのない人間関係しか築いてこなかったこの子が、とうとう仲の良い友達をつくったのかと思ったのだが──。
「え⋯⋯──ああ、うん」
その返事を聞いて、違ったのだと思った。
嫡男の方ではないということは──彼女が幼い頃に一度だけ会ったことのある、美しい少女の姿が過ぎった。
それと同時に、最近彼女が婚約したのだという話を聞いたことも。
「ちなみに、知っていると思うけれど、フィングレイ侯爵のご令息とご令嬢には、もう婚約者がいるのよねぇ」
そこでどうしてそんな返しをしてしまったのかと、本当に悔やまれた。
だがそのときのオフィリアは、初めて何かを欲しがったように見えたエリアーシュが後々傷つかぬようにと、牽制することしか思いつかなかったのだ。
「へぇ⋯⋯やっぱり高位貴族は違うね」
エリアーシュは何でもないようにそう返していたが、その胸中を思うとオフィリアは堪らなくなるのだ。
──だから、それから3年後。
次男の死に続いて友人である侯爵夫人の離縁を聞き、エリアーシュと腹を割って話そうと決めたのだ。
「⋯⋯お話とは何ですか、母上」
母の私室に呼び出されたエリアーシュは、怪訝そうな顔をしている。
オフィリアはソファに座らせると、頭の中で順序を組み立てていた話を早速持ち出した。
「二番目のお兄様に、プライセル公爵家への養子入りの話が来ていたのは知っていますね?」
「はい⋯⋯ですが、兄上が亡くなられて立ち消えになりましたよね?俺は相応しくないですし」
欲がないと言うよりは、興味がないのだろう。
エリアーシュは淡々と答えた。
「そうでしたが、少し事情が変わりました。お父様の従妹であるフィングレイ侯爵夫人が離縁し、プライセル公爵家に戻りました。⋯⋯それで、彼女のご令嬢が公爵家の後継と決まったようです」
告げた途端、明らかにエリアーシュの目の色が変わった。
これほどまでに何かに食いつく息子の目を、オフィリアは見たことがなかった。
「そのため、ご令嬢の夫──すなわち、公爵家の婿養子になる相手を探しているそうなのです」
「⋯⋯母上、そのご令嬢のお名前は⋯⋯」
珍しくも掠れたエリアーシュの声に、オフィリアは小さく頷いた。
「セシリア様とおっしゃるそうです」
──そう聞いたときのエリアーシュの瞳を、どう表現すればいいのだろう。
それまでの彼の目には、世界が無彩色でしか映っていなかったというように。まさにそのとき、色を得たとばかりに瞳が輝き出したのだ。
「エリアーシュ、畏れ多くもお前も候補に入れていただいたようです。ですが、プライセル公爵家は騎士団長を輩出するような武家の名門中の名門です。はっきり言って、お前では実力不足でしょう。⋯⋯お父様と相談した限りでは、候補から外していただこうかと──」
「相応しくなります」
すべて言い終える前に、エリアーシュがさえぎった。
その瞳には、変わらず強い光がある。
「必ず、プライセル公爵家に相応しい騎士になります」
「⋯⋯口では何とでも言えましょう」
呆れたようにオフィリアが言っても、彼の目の光は変わらなかった。
「5年以内に今の分隊の長になります。10年以内にいずれかの隊の長に。そして──15年以内に騎士団長になりましょう」
具体的な年数を挙げて言うエリアーシュの言葉には力があった。
オフィリアはしばらく黙り、やがて嘆息した。
「もう一つ、条件があります。シンシア──セシリア嬢のお母様は、彼女が幸せな結婚をすることを望んでいます。それは──」
「それこそ問題ありません」
エリアーシュは言い切った。
「プライセル公爵家に相応しい騎士となり、セシリア嬢を誰よりも幸せにする夫になると、この命に懸けて誓います」
その言葉は、あれほど何事にも淡白で執着しなかった息子と、同一人物とは思えぬほどの熱量と眼力とによる誓約だった。
「──いいでしょう。エリアーシュ、今の言葉をゆめゆめ忘れないようになさいね」
堅く厳しい声と表情でそう釘を刺したオフィリアだが──その胸中は、安堵と喜びにあふれていた。
(──本当に、こんな日が来るなんて)
何度目かの実感を覚えながら、年若い二人を眺める。
これほどまでに心からの笑顔を浮かべる息子の姿を、オフィリアは知らなかった。
(ありがとう、セシリアちゃん⋯⋯)
エリアーシュが令嬢の耳元で何事かを囁くと、途端に彼女の顔が真っ赤になる。
家族で囲む晩餐でもあることを忘れていないかしらと、それを見て少しも呆れはするが。
(──願わくは、この未来の夫婦に幸多からんことを)
オフィリアは、心の底からの願いを胸中で呟いた。
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