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三章
偽りの優しさ、それは贖罪
しおりを挟む私ははあはあと肩で息をしながら、手をきつく握った。声が震え、理由の分からない涙が瞳に膜を張る。
「あ、あなたは誤解している。勘違いしている。わ、わたしをすき、ですって?ふ、ふふふふ!ばかみたい。ばかみたいだわ!!あなたは勘違いしてるのよ。私が死にかけたから、私が目の前で死にそうになったから!あなたはそれに囚われているだけ!自責の念に囚われ、後悔しているだけ!」
「メリューエル、きみ」
ミュチュスカが何か言いかけた。
私はそれを遮って、叫ぶように言った。
「それを何と呼ぶか知っている?吊り橋効果って言うのよ!私を失うかもしれないと思った?だから、悔やんだの?もっと大切にすれば良かった、って?どうせ死ぬのならもう少し、優しくしてやればよかったって?」
私はミュチュスカの顔を見ることなく、慟哭した。
「そんなの、私は求めてない!お情けの優しさなんて、欲しくない!あなたの気遣いは、私の心を殺す剣だわ!わたしは、わたしはそこまで惨めな女じゃないのよ!!お情けで優しくされて、それで喜びを感じるような、かんじる、ような………」
もう、その先は嗚咽が込み上げて、言葉にならなかった。顔を手で覆ってみっともなく泣きじゃくる私に、ミュチュスカは呆気にとられたようなだった。
だって、そうだろう。
いきなりミュチュスカが私を好きだ、と言うなんて。おかしい。おかしいに決まってる。
おかしいおかしいおかしい!!
だってミュチュスカは聖女に惹かれていて。
聖女もまた、ミュチュスカを好きなのに。
それなのに、ミュチュスカは自責の念に駆られて、それを捨て、私を選ぶというの!?
私は、そんな女になりたかったわけじゃない!
後悔や責任感だけで、ミュチュスカを縛り、そばにおきたかったわけじゃない!!
だってそれではあまりにも、あまりにも!
私は愚かで、哀れで、可哀想な女じゃない……!!
ミュチュスカの手が、私の肩に触れた。
びくりと肩が揺れれば、彼は熱いものに触れたかのようにて手を離した。
だけどすぐにそろそろと手を再び伸ばし、今度はそっと、肩に触れてくる。その時は、私も震えることはなかった。
顔を覆ってさめざめと泣く私に、ミュチュスカは何を思うだろう。
鬱陶しいと思うだろうか。
面倒くさいと、そう思うだろうか。
怖くて、怖くて、もう、確かめられない。
私の計画は頓挫した。
私は、失敗したのだ。
もう私に残されている手はない。
もう、どうすればいい?
聖女とミュチュスカが互いに思いながらも、私の存在に苦心して、切なく想い合うのを黙って見ていることしかできないの?
私にはもう、そうすることしかできないの……。
「……ごめん。ごめん、メリューエル」
「な、に……」
鼻声で酷い有様だ。
顔はもっと酷い。
きっと、見せられるものでは無い。
顔を伏せたまま、手のひらで涙を拭い、激しい嗚咽に呼吸に苦しみながら返答した。
「……苦しめて、ごめん」
「それなら……!」
「だけど、信じて欲しい。俺の気持ちは、真実だ」
「嘘。信じないわ」
鼻で笑うような声になった。
今更、誰がそんなに偽りを信じるというのか。
あなたに狂っている馬鹿な女なら、その優しい嘘にあっさり浸り、騙せると思ったのだろうか。
そう思うと、悲しいくらい苦しいのに、嬉しくて、困る。もう、自分で自分の感情が分からない。
ミュチュスカは私をそっと抱きしめた。
押し返す気力はなかった。
「……確かに、きっかけはきみが崖から落ちたことだったのかもしれない。でも、気持ちに気がついたのもっと前」
「……信じないわ」
「聞いて」
ミュチュスカは私の髪を撫でた。
短い、私の髪を。
淑女として有り得ない様の、私の髪を彼は優しく撫でる。短いからすぐに髪先に辿り着いては、また頭に触れる。それを何度も繰り返した。
「俺は、愚かだった。餓鬼のように意地を張り、本来守るべき婚約者のきみを傷つけた。俺は、驕っていたんだ。きみなら、傷つけても構わないときっと、どこかで思っていた。……騎士失格だ」
ミュチュスカの声を、どこか遠くに聞いていた。泣きすぎてぼんやりとした頭を、ミュチュスカの胸に預ける。
彼は、泣き止んだ私の背をそっとさすった。
「それに気がついたのは、きみを失うかもしれないと、それを思い知らされた時。俺は、その時になってようやく、きみの婚約者である意味を思い出した」
「………」
「意地になっていたんだ。『きみ……なんかを好きになっている』と、『メリューエルに惹かれている』と……そう思いたくなかった。それに気がついたら、今まできみを嫌い、嫌悪し、忌避していた過去の自分が……あまりにも愚かになるから。俺は、愚者になることを恐れて、きみを傷つけた。そうすることで、俺は自身の愚かさに気づかずに済むから」
私は答えなかった。
ただ、静かに彼の声が耳朶を打つ。
場違いなほど、落ち着きた声だった。
「………きみが、信じないというのならそれでもいい。それでも俺はきみを愛しているし、きみだけをずっと想っている。信じなくていいから、俺がきみを想うことだけは、許して欲しい。……きみが、大切なんだ。……大切なんだよ、メリューエル……」
ミュチュスカの声、ぼんやりと聞いていた。
彼の話は真摯で、真っ直ぐな声だ。
聖女と似ている。
そう思いながら顔を上げる。
信じられなさすぎて、現実味がなくて、何を言っているのか、大半は聴き逃してしまった。
それでも、抱いた感情があった。
「……なんだかミュチュスカではないみたい、ね」
泣き腫らして、酷い顔だろう。
私に、ミュチュスカは笑った。
泣きそうな、情けない顔だった。
彼のそんな顔を、私は初めて見る。
「……そうだね。でも、もう、きみの前で仮面を被るのはやめたんだ。……そうでないと、大切なものは、大切にしたいものは……この手から零れ落ちてしまうと知ったから」
「……あなたは、馬鹿だわ。馬鹿。……とても、馬鹿」
「……そんなに言われると、さすがに堪えるな」
「だって、そうじゃない。よりによって、私よ?こんな……こん、な性格の悪い……醜、い、女を……」
また、涙がこぼれてきた。
ミュチュスカは恐ろしく、人を見る目がない。
誰もが、普通の感性を持つ男なら──。
こんな、性格に難がある、浅慮で、愚かな女など選ばない。直情的で、攻撃的な思考を持つ女など選ばない。
ミュチュスカは馬鹿だ。
「……例え、そうだとしても。俺には一番可愛く見えるから、それでいいんだ」
ミュチュスカが囁くように言った。
ミュチュスカは馬鹿だ。こんな女に本気になるのだから。
せいぜいが愛人止まりの女に、本気になる。愚かな男。
でも、もっと愚かなのは……そのミュチュスカの言葉で、苦しいくらい喜んでいる、私だ。
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