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チャプター【036】
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「おまえが言ったように、2000年は長い。式鬼だって、そのころのように連帯しているわけじゃないんだよ」
それは、紫門の隣りに坐っていた。
霊獣であった。
その姿はねずみといったところであろうか。
だが、その全長は紫門と同じほどもあった。
側頭部には丸い耳がふたつあり、その耳の分だけ紫門よりも上背がある。
その霊獣は、紫門の持つ霊晶石に宿る式鬼、柳水(りゅうすい)だった。
「いまじゃ、他の式鬼が、どこでなにをしているのか見当もつかない。よほどのことでもない限り、思念を飛ばしたって梨の礫だよ」
柳水は、突き出した口を動かし、流暢に人の言葉を話した。
「なるほど。相手の式鬼から思念が返って来ぬかぎりは、なにもわからぬということなのだな」
無面が言った。
「だから、そう言っているだろ? いまの話だって、おまえから聞いて初めて知ったんだ。しかし、まさか闇に降るなんて……。その式鬼は、だれとだれだ」
「霧縄と紅蓮よ」
「霧縄と紅蓮だって? どっちも、おれとおなじ冬ノ州(ふゆのくに)の守護じゃないか……。式鬼は、なにがあろうとも、継ぐべき者の意思に従う――いったい、継ぐべき者になにがあったんだ」
柳水は訊いた。
「それは、仲間になればわかることよ。なあ、紫門よ」
無面は、話の矛先を紫門に向けた。
「改めて聞くが、どうだ、仲間になる気はないか」
「――――」
紫門は何も言わない。
無面に眼を向けたままだが、いまは向けていた太刀を下ろしている。
「さっきも言ったが、闇も変わったのだ。望むものは和よ」
「なに! 和だと?」
紫門が声を荒げた。
「ふざけるなよ。おまえのような妖物が湧いて出てきては和を乱しているというのに、よくもそんなことが言えたものだな」
「だからよ」
「だから?」
「冥王羅紀様は、封印された中で考えつづけたのだ。闇がこの世界に、どう影響すべきかをな。しかし、初めの1000年は、そうではなかった。羅紀様には、封印されたことへの憎悪と怒りしかなかった。そうした中で復活された羅紀様ではあったが、式鬼との壮絶な戦いの末にまたしても封印されてしまった。12人の継ぐべき者によってな……。羅紀様は、さらなる時を待つあいだ、ただひたすら考え抜かれて答えを得たのだ。そしてまた1000年が経ち、羅紀様は再び封印を解かれて復活なされた。その羅紀様が言われたのが――」
「おい、待て」
無面が言うのを、紫門が制した。
「羅紀が封印を解いただって?」
「そのとおりよ」
無面が答えた。
「やはり、そうだったか」
そう言ったのは柳水だった。
その柳水に、紫門は顔を向けた。
「どういうことだ」
「凄まじい霊気は感じてはいたんだ。でもそれは、おれの知っている羅紀の霊気とは質が違っていた。以前の羅紀の霊気は、凶々しい邪気そのものだったが、いま感じる霊気には邪気を感じない」
「どうしてそれを、おれに黙っていた」
紫門は訊いた。
「その霊気が、羅紀のものだという確信が持てなかった。だから、紫門には言わずにいたんだ」
そう言う柳水の貌を、紫門はわずかに見つめていたが、
「そうか」
ひとつうなずくと無面へ顔をもどし、
「それで、羅紀はなんて言ったんだ」
そう訊いた。
「羅紀様は、もう戦うことは無意味だと、そうおっしゃった。どれほど戦おうと双方に益はない、とな」
「フン、戯言(たわごと)だ。羅紀は、なにを企んでいる」
紫門は冷ややかに言った。
「なにを言うか。羅紀様が、戯言など申すものか。ましてや、企みなどあろうはずもない」
無面が言った。
「そうか。なら、おれたちを仲間にしようとしているのは、なぜだ。和を望み、戦うことが無意味だと言うなら、おれたちを仲間にする必要はない。話し合うことですむことだろう」
紫門がそう返す。
「確かにな。ぬしが言うのは正しい。俺の言葉が、少し足りなかったようだ――羅紀様が望むのは、真の和よ」
「真の和だと?……」
「そうだ」
「真の和とは、なんだ」
「秩序と調和よ。弱き者の存在しない世界。そして、争いや苦しみのない世界。その世界では、あの少年のような殺され方をすることはない」
「――――」
紫門はまた押し黙った。
その表情には、怪訝なものが浮かんでいる。
「信じられぬ、といった顔だな。だが、それも当然の反応と言うべきものであろうよ。我ら闇のこれまでの所業を考えればな。ならば、無理に信じることはない。我らの仲間になりて、冥王である羅紀様の動向をその眼で確かめればよい」
「――――」
紫門も柳水も、黙したままでいる。
無面はつづける。
「人間は大きく成長し、繁栄した。2000年前と比べれば天と地よ。その人間が成長しうるには、闇の力は必要不可欠だった。ぬしたちは認めたくないことであろうが、それは確かだ。しかし、人間は成長するとともに、闇の力を必要としなくなった。まあ、ぬしたちに阻まれたということでもあるが、それだけではない。人間たちは、自ら闇を抱えるようになったのだ。その闇は、我らの闇ではない。もともと、人間の心の淵にあったものだ。とはいえ、その心の淵に潜む闇を、引きずり出してしまったのは、我らであったかもしれぬがな――闇を抱えた人間は、他を陥れ、貪り、我のみの益を求めはじめた。いまのこの国の有りようを見てみよ。和など名ばかりの上辺だけのものではないか。力ある者だけが富を得、力なき者は貧困に喘いでいる。貧富の差は歴然としているだろうよ。持つ側が持たざる側から搾取する。富を得た者だけがさらに富を得る仕組みが、この世界には平然となりたっているのだ。そんな世界が、ほんとうに和と言えるのか?」
「――――」
紫門は返す言葉もなく、奥歯を噛みしめた。
瞼を閉じる。
今日起きた出来事が、瞼の裏に鮮明に甦る。
おまえのせいだ――
ソーラの声が響く。
『おまえのせいで、コーヤは殺されたんだ。おまえがもっと早く、そいつをやっつけてくれてたら、コーヤは……、コーヤは死なずにすんだんだ!』
亡骸となった弟を抱えたソーラの涙に濡れる眼には、憎しみがこもっていた。
無面が言ったことは確かだった。
いまのこの州は、持つ側と持たざる側の格差があまりにも激しい。
州中(くにじゅう)を旅した紫門には、それがよくわかる。
州があり、城があり、そして城下町がある。
権力を持った者や富を得た者は揃いも揃って、その城下町に家や屋敷を構えている。
そしてその城下町を囲うように、貧困の民たちのあばらやが並んでいるのであった。
城下町を離れた町や村々であっても、格差はやはりあった。
町村の長を初めその親族、地主、問屋、医者などは持つ側であり、それ以外の者は持たざる側だった。
ほとんどの者が、あばらやでの生活を余儀なくされていた。
それでも、まだましな生活ができているのは、農家や畜産、漁業を営む者と町の商店を営む者たち。
そして城下町に露店を出す商人や、手に職を持っている者たちである。
農家、畜産、漁業は、州が指定した卸し問屋に品物を安値で買い叩かれてしまい、商人はその逆で高値で買わされる。
手に職を持った者たちも、州が決めた安い賃金で働かされ、手に職のない者はさらに低い賃金で働かされているのだ。
そのうえで、税が課せられる。
皆、その日その日を、生きていくことだけで精一杯というのが現状だった。
それだけに、持つ側だけが肥え太っていき、持たざる側は痩せ衰えていった。
しかし、それが州の政(くにのまつりごと)なのである。
なぜ、そのような偏った政が、まかり通っているのか。
紫門はそう思った。
州主(こくしゅ)はなぜに、そんな悪政を正そうとはしないのか、と。
それが正されていれば、ソーラのような子供が、生活のために盗みを働かなくてもすむのではないのか。
弟のコーヤが命を落とさずにすんだのではなかったか。
これが、ほんとうに和と言えるのか――
紫門は、胸の中で呟いていた。
それは、紫門の隣りに坐っていた。
霊獣であった。
その姿はねずみといったところであろうか。
だが、その全長は紫門と同じほどもあった。
側頭部には丸い耳がふたつあり、その耳の分だけ紫門よりも上背がある。
その霊獣は、紫門の持つ霊晶石に宿る式鬼、柳水(りゅうすい)だった。
「いまじゃ、他の式鬼が、どこでなにをしているのか見当もつかない。よほどのことでもない限り、思念を飛ばしたって梨の礫だよ」
柳水は、突き出した口を動かし、流暢に人の言葉を話した。
「なるほど。相手の式鬼から思念が返って来ぬかぎりは、なにもわからぬということなのだな」
無面が言った。
「だから、そう言っているだろ? いまの話だって、おまえから聞いて初めて知ったんだ。しかし、まさか闇に降るなんて……。その式鬼は、だれとだれだ」
「霧縄と紅蓮よ」
「霧縄と紅蓮だって? どっちも、おれとおなじ冬ノ州(ふゆのくに)の守護じゃないか……。式鬼は、なにがあろうとも、継ぐべき者の意思に従う――いったい、継ぐべき者になにがあったんだ」
柳水は訊いた。
「それは、仲間になればわかることよ。なあ、紫門よ」
無面は、話の矛先を紫門に向けた。
「改めて聞くが、どうだ、仲間になる気はないか」
「――――」
紫門は何も言わない。
無面に眼を向けたままだが、いまは向けていた太刀を下ろしている。
「さっきも言ったが、闇も変わったのだ。望むものは和よ」
「なに! 和だと?」
紫門が声を荒げた。
「ふざけるなよ。おまえのような妖物が湧いて出てきては和を乱しているというのに、よくもそんなことが言えたものだな」
「だからよ」
「だから?」
「冥王羅紀様は、封印された中で考えつづけたのだ。闇がこの世界に、どう影響すべきかをな。しかし、初めの1000年は、そうではなかった。羅紀様には、封印されたことへの憎悪と怒りしかなかった。そうした中で復活された羅紀様ではあったが、式鬼との壮絶な戦いの末にまたしても封印されてしまった。12人の継ぐべき者によってな……。羅紀様は、さらなる時を待つあいだ、ただひたすら考え抜かれて答えを得たのだ。そしてまた1000年が経ち、羅紀様は再び封印を解かれて復活なされた。その羅紀様が言われたのが――」
「おい、待て」
無面が言うのを、紫門が制した。
「羅紀が封印を解いただって?」
「そのとおりよ」
無面が答えた。
「やはり、そうだったか」
そう言ったのは柳水だった。
その柳水に、紫門は顔を向けた。
「どういうことだ」
「凄まじい霊気は感じてはいたんだ。でもそれは、おれの知っている羅紀の霊気とは質が違っていた。以前の羅紀の霊気は、凶々しい邪気そのものだったが、いま感じる霊気には邪気を感じない」
「どうしてそれを、おれに黙っていた」
紫門は訊いた。
「その霊気が、羅紀のものだという確信が持てなかった。だから、紫門には言わずにいたんだ」
そう言う柳水の貌を、紫門はわずかに見つめていたが、
「そうか」
ひとつうなずくと無面へ顔をもどし、
「それで、羅紀はなんて言ったんだ」
そう訊いた。
「羅紀様は、もう戦うことは無意味だと、そうおっしゃった。どれほど戦おうと双方に益はない、とな」
「フン、戯言(たわごと)だ。羅紀は、なにを企んでいる」
紫門は冷ややかに言った。
「なにを言うか。羅紀様が、戯言など申すものか。ましてや、企みなどあろうはずもない」
無面が言った。
「そうか。なら、おれたちを仲間にしようとしているのは、なぜだ。和を望み、戦うことが無意味だと言うなら、おれたちを仲間にする必要はない。話し合うことですむことだろう」
紫門がそう返す。
「確かにな。ぬしが言うのは正しい。俺の言葉が、少し足りなかったようだ――羅紀様が望むのは、真の和よ」
「真の和だと?……」
「そうだ」
「真の和とは、なんだ」
「秩序と調和よ。弱き者の存在しない世界。そして、争いや苦しみのない世界。その世界では、あの少年のような殺され方をすることはない」
「――――」
紫門はまた押し黙った。
その表情には、怪訝なものが浮かんでいる。
「信じられぬ、といった顔だな。だが、それも当然の反応と言うべきものであろうよ。我ら闇のこれまでの所業を考えればな。ならば、無理に信じることはない。我らの仲間になりて、冥王である羅紀様の動向をその眼で確かめればよい」
「――――」
紫門も柳水も、黙したままでいる。
無面はつづける。
「人間は大きく成長し、繁栄した。2000年前と比べれば天と地よ。その人間が成長しうるには、闇の力は必要不可欠だった。ぬしたちは認めたくないことであろうが、それは確かだ。しかし、人間は成長するとともに、闇の力を必要としなくなった。まあ、ぬしたちに阻まれたということでもあるが、それだけではない。人間たちは、自ら闇を抱えるようになったのだ。その闇は、我らの闇ではない。もともと、人間の心の淵にあったものだ。とはいえ、その心の淵に潜む闇を、引きずり出してしまったのは、我らであったかもしれぬがな――闇を抱えた人間は、他を陥れ、貪り、我のみの益を求めはじめた。いまのこの国の有りようを見てみよ。和など名ばかりの上辺だけのものではないか。力ある者だけが富を得、力なき者は貧困に喘いでいる。貧富の差は歴然としているだろうよ。持つ側が持たざる側から搾取する。富を得た者だけがさらに富を得る仕組みが、この世界には平然となりたっているのだ。そんな世界が、ほんとうに和と言えるのか?」
「――――」
紫門は返す言葉もなく、奥歯を噛みしめた。
瞼を閉じる。
今日起きた出来事が、瞼の裏に鮮明に甦る。
おまえのせいだ――
ソーラの声が響く。
『おまえのせいで、コーヤは殺されたんだ。おまえがもっと早く、そいつをやっつけてくれてたら、コーヤは……、コーヤは死なずにすんだんだ!』
亡骸となった弟を抱えたソーラの涙に濡れる眼には、憎しみがこもっていた。
無面が言ったことは確かだった。
いまのこの州は、持つ側と持たざる側の格差があまりにも激しい。
州中(くにじゅう)を旅した紫門には、それがよくわかる。
州があり、城があり、そして城下町がある。
権力を持った者や富を得た者は揃いも揃って、その城下町に家や屋敷を構えている。
そしてその城下町を囲うように、貧困の民たちのあばらやが並んでいるのであった。
城下町を離れた町や村々であっても、格差はやはりあった。
町村の長を初めその親族、地主、問屋、医者などは持つ側であり、それ以外の者は持たざる側だった。
ほとんどの者が、あばらやでの生活を余儀なくされていた。
それでも、まだましな生活ができているのは、農家や畜産、漁業を営む者と町の商店を営む者たち。
そして城下町に露店を出す商人や、手に職を持っている者たちである。
農家、畜産、漁業は、州が指定した卸し問屋に品物を安値で買い叩かれてしまい、商人はその逆で高値で買わされる。
手に職を持った者たちも、州が決めた安い賃金で働かされ、手に職のない者はさらに低い賃金で働かされているのだ。
そのうえで、税が課せられる。
皆、その日その日を、生きていくことだけで精一杯というのが現状だった。
それだけに、持つ側だけが肥え太っていき、持たざる側は痩せ衰えていった。
しかし、それが州の政(くにのまつりごと)なのである。
なぜ、そのような偏った政が、まかり通っているのか。
紫門はそう思った。
州主(こくしゅ)はなぜに、そんな悪政を正そうとはしないのか、と。
それが正されていれば、ソーラのような子供が、生活のために盗みを働かなくてもすむのではないのか。
弟のコーヤが命を落とさずにすんだのではなかったか。
これが、ほんとうに和と言えるのか――
紫門は、胸の中で呟いていた。
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