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第十六章
16-26.人望
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ファレスが崩れ落ちたエリーネを見下ろす。その視線は鋭いながらも、どこかホッとしているようでもあった。
ファレスは自身がそうであったように、エリーネもガウェイン一派、おそらくエルヴィナ辺りに偽りの情報を一方的に渡され、それを信じてしまったが故の行いだと考えていた。奴隷契約で直接的にコーデリアを裏切る行為は不可能なため、今もエリーネがコーデリアの奴隷である事実が確認された以上、心から裏切ろうと思ってしたことではないことはわかっているのだ。
魔王妃というアーティファクトの効果すら書き換えてしまうような未知の存在がいることから、何か抜け道のようなものがあるのではないかと警戒していたが、眼前のエリーネの様子を見る限り、そういうわけではなさそうだった。
「敵ではないと言うのなら、すべて話してくれますね?」
「……はい」
エリーネが僅かに顔を上げた後、再び俯いて観念したように小声で話し始めた。
エリーネの話によると、ファレスの予想通り、奴隷騎士隊がまだ転移用アーティファクトの警戒任務に向かう前、エリーネが一人でいるところを見計らったようにフードの女性が現れたようだ。
後にエルヴィナであることが判明したその者は奴隷騎士隊に後日言い渡される任務を言い当て、このままではコーデリアの身に危険が及ぶと語った。そして、その原因は帝国とエルフの里、そしてメルニールの間で暗躍する魔王を騙る存在、即ち仁にあるのだという。
帝都でドラゴンを倒した英雄が仁であることはエリーネもコーデリアやセシルから聞いて知っていたが、その一方で帝国と戦って大きな被害を出した人物だということも当然知っていた。
そのため、直接仁と面識のないエリーネは仁の人物像が上手く描けず、判断に困ったようだ。
しかし、奴隷時代に男性主人からいろいろとひどい目にあわされてきたエリーネには少しだけ男性不信の気があり、最終的には同じ女性であるエルヴィナを信じたいと思ってしまった。
そういうわけで、どこか怪しさは感じながらも、エリーネは既にセシルが仁の毒牙にかかっていると聞かされ、セシルとファレスが争うようなことがあればファレスに味方するよう命じられたという。
加えて、もし任務中に仁が現れた場合は不審な行動がないか見張り、帝都帰還後に詳細に報告するよう依頼されたのだった。
「皆が捕らわれているところにあなたがいなかったのは、その報告をしていたためですか」
「は、はい……。その途中で、急に人質役をするように言われて……」
「そうですか……」
ファレスは仁と共に投獄されているときからエリーネを怪しんでいて、仁にも警戒するように伝えていた。しかし、そうなると仁たちの脱走を知らせたのはエリーネではないことは確かだった。他に共犯がいるかもしれないと考えたが、他に姿の見えなかった隊員はいなかった。
エルヴィナがどうやって脱走をいち早く察知したか気になっていたが、先ほどエリーネが言っていた遠くから監視する魔法というものが実在するのであれば可能かもしれない。
これまでの常識ではそのような魔法はあり得ないと断言できるが、仁が遠隔魔法という常識外の魔法を使っている場面を間近で見ているため、ファレスはもしかしたら可能かもしれないと思ってしまう。
そう考えたとき、ふと、脱走してコーデリアの部屋に向かう途中の出来事がファレスの頭を過った。ちょうどエルヴィナがエリーネを人質としていたとき、通路の向こう側にいたファレスたちを、弱い風の刃が襲ったのだ。
もしあれがエルヴィナの遠隔魔法による攻撃だったとするなら、それを応用してエリーネの言うような魔法を編み出していてもおかしくないように思えてきた。ファレスは身を震わせ、仁と再会できたら対策を相談しようと心に決める。もしエルヴィナが遠隔監視魔法を使えるのであれば、今この瞬間にも見張られているかもしれないのだ。
「副隊長……?」
表情を硬くしたファレスの耳に、エリーネの不安そうな声が届く。
「何でもありません。続けてください」
「は、はい」
再びエリーネはポツポツと話し始める。
仁を警戒していたエリーネだったが、魔人擬きから命を救われたことや実際に仁と接しての印象で、仁が裏で何かを企んでいるようには思えなかった。
セシルの仁に対する敬意や、ファレスの仁に対する信頼も、騙されてのものには見えず、エリーネの心の内で葛藤が生まれた。しかし、エルヴィナはそのお人好しの善人そうに見える外面こそ、仁の最大の武器だと言っていたのだ。
表面上はいい人に見えても心の中では違う男性を散々見てきたエリーネは、迷いながらも仁を信じるには至らなかった。
それでも心のどこかで仁を信じたい気持ちがあったのか、帝都に先触れとして赴いた際、仁が同行していることを伝えるべきかエリーネは思い悩んだが、既にそのことを把握していたエルヴィナはエリーネの来訪を待ち構えていて、隠し立てはコーデリアのためにならないと言い切られたのだという。
その後、エリーネは報告のために一人エルヴィナの元へ連れられ、仁に対する人質となった。
エリーネは当然通路でのガウェインとのやりとりについてエルヴィナに詰め寄ったが、仁を拘束するための演技だと告げられた。どこか納得できない思いを抱きつつも、それがコーデリアにとっても最善であり、何の心配もいらないと語るエルヴィナを、信じるしかなかった。いや、信じたかった。
そして、エリーネはコーデリアや他の奴隷騎士たちの状況を知らなかったため、仁の暴走を止めるための人質を演じていたが、仁がファレスを助けたとエルヴィナが口にしたのを聞いて、少なくともファレスが助けられるような状況に陥っていたことを知り、違和感を大きくした。
それも仁がファレスやコーデリアを陥れるための行動である可能性もありはしたが、ガウェインの部下ではないと言ってエルヴィナが逃げ出したことで、エリーネはエルヴィナに騙されていたのではないかという、薄々は感じていた事実を受け入れた。
それからは罪の意識に苛まれていたが、自ら告白する勇気がなく、誰にも指摘されないのをいいことに、隠したままここまで来てしまったのだと、エリーネは涙ながらに語った。
ファレスとしてはエリーネがドレックに魔人薬を飲ませたのもエルヴィナの指示だったのではないかと睨んでいたが、それは違ったようだった。
「申し訳ありませんでした……」
「謝る相手を間違えていますよ」
ファレスが自分の肩越しに背後を見遣ると、コーデリアが近付いてきていた。その斜め後方でセシルが頷いたのを受け、ファレスは部下たちに武器を下げさせた。
何度も謝罪を繰り返すエリーネと、それを受け入れるコーデリア。その様子を眺めながら、ファレスはエリーネを裏切り者と断罪した自分に恥じ入る。自ら買って出た役目ではあるが、自分を棚に上げた物言いに、心の底から吐き気がする思いだった。
そんなファレスの肩を、セシルが優しく叩いた。
ファレスは寛大な主人と隊長を裏切ることにならずに済んだことを改めて嬉しく思い、今も他者のために戦っているであろう仁の姿を思い浮かべた。
「それにしても、直接会っても誤解が解けないなんて、ジンには少し人望が足りないようね」
気持ちをぶちまけて落ち着いた様子のエリーネを前に、コーデリアが肩を竦めた。
「私の部下にこんな顔をさせるなんて、今度会ったら文句を言ってやらないといけないわね」
本気か冗談か、そんなことを言うコーデリアをセシルがやんわりと窘める。かつて帝都の城の一室で何度も目にしたような二人のやり取りを、ファレスはとても懐かしく思った。
「エリーネ。その、私は副隊長という立場上、あなたがご主人様に救われる前のことも少しは把握していますし、当初ジン殿、いえ、ジンさんを完全に敵だと断じていた私に言えた義理ではないことは重々承知していますが、ジンさんはあなたの目には信用できない男に見えましたか?」
何だかんだ言いながらもファレスがもはや仁に一定以上の信頼を寄せているのは自他共に認めるところだろう。実際、仁にさしたる否はなく、主従共に助けられているのだからおかしなことではないのだが、命を救われて尚も疑惑の目を向けていたエリーネに比べて、ファレスは自身が簡単に手のひらを返したように思えてしまったのだ。
エリーネは真剣に問うファレスの顔をマジマジと眺めた後、チラリと自らの主人を見遣る。コーデリアもそれに気付き、首を傾げながらも興味深そうな目をエリーネに向けた。
コーデリアとファレス、ついでにセシルの視線までも受けたエリーネは三人の間で視線を彷徨わせた。
「そ、その。コーデリア様はジン様のことを事あるごとに変態魔王と呼んでおられましたし、いくらかっこよくて頼りになっていい人そうに見えても、この人は変態なんだから騙されちゃダメだって思ってしまって……」
エリーネがそう言って、顔を俯かせながら上目遣いでコーデリアを窺い見る。ファレスとセシルがコーデリアに目を向けると、コーデリアは気まずそうな顔で、そっと三人から視線を逸らした。
「コーデリア様も、ジンさんに謝った方がいいかもしれませんね」
苦笑いを浮かべるセシルに、コーデリアは拗ねたように唇を尖らせ、そっぽを向いたのだった。
ファレスは自身がそうであったように、エリーネもガウェイン一派、おそらくエルヴィナ辺りに偽りの情報を一方的に渡され、それを信じてしまったが故の行いだと考えていた。奴隷契約で直接的にコーデリアを裏切る行為は不可能なため、今もエリーネがコーデリアの奴隷である事実が確認された以上、心から裏切ろうと思ってしたことではないことはわかっているのだ。
魔王妃というアーティファクトの効果すら書き換えてしまうような未知の存在がいることから、何か抜け道のようなものがあるのではないかと警戒していたが、眼前のエリーネの様子を見る限り、そういうわけではなさそうだった。
「敵ではないと言うのなら、すべて話してくれますね?」
「……はい」
エリーネが僅かに顔を上げた後、再び俯いて観念したように小声で話し始めた。
エリーネの話によると、ファレスの予想通り、奴隷騎士隊がまだ転移用アーティファクトの警戒任務に向かう前、エリーネが一人でいるところを見計らったようにフードの女性が現れたようだ。
後にエルヴィナであることが判明したその者は奴隷騎士隊に後日言い渡される任務を言い当て、このままではコーデリアの身に危険が及ぶと語った。そして、その原因は帝国とエルフの里、そしてメルニールの間で暗躍する魔王を騙る存在、即ち仁にあるのだという。
帝都でドラゴンを倒した英雄が仁であることはエリーネもコーデリアやセシルから聞いて知っていたが、その一方で帝国と戦って大きな被害を出した人物だということも当然知っていた。
そのため、直接仁と面識のないエリーネは仁の人物像が上手く描けず、判断に困ったようだ。
しかし、奴隷時代に男性主人からいろいろとひどい目にあわされてきたエリーネには少しだけ男性不信の気があり、最終的には同じ女性であるエルヴィナを信じたいと思ってしまった。
そういうわけで、どこか怪しさは感じながらも、エリーネは既にセシルが仁の毒牙にかかっていると聞かされ、セシルとファレスが争うようなことがあればファレスに味方するよう命じられたという。
加えて、もし任務中に仁が現れた場合は不審な行動がないか見張り、帝都帰還後に詳細に報告するよう依頼されたのだった。
「皆が捕らわれているところにあなたがいなかったのは、その報告をしていたためですか」
「は、はい……。その途中で、急に人質役をするように言われて……」
「そうですか……」
ファレスは仁と共に投獄されているときからエリーネを怪しんでいて、仁にも警戒するように伝えていた。しかし、そうなると仁たちの脱走を知らせたのはエリーネではないことは確かだった。他に共犯がいるかもしれないと考えたが、他に姿の見えなかった隊員はいなかった。
エルヴィナがどうやって脱走をいち早く察知したか気になっていたが、先ほどエリーネが言っていた遠くから監視する魔法というものが実在するのであれば可能かもしれない。
これまでの常識ではそのような魔法はあり得ないと断言できるが、仁が遠隔魔法という常識外の魔法を使っている場面を間近で見ているため、ファレスはもしかしたら可能かもしれないと思ってしまう。
そう考えたとき、ふと、脱走してコーデリアの部屋に向かう途中の出来事がファレスの頭を過った。ちょうどエルヴィナがエリーネを人質としていたとき、通路の向こう側にいたファレスたちを、弱い風の刃が襲ったのだ。
もしあれがエルヴィナの遠隔魔法による攻撃だったとするなら、それを応用してエリーネの言うような魔法を編み出していてもおかしくないように思えてきた。ファレスは身を震わせ、仁と再会できたら対策を相談しようと心に決める。もしエルヴィナが遠隔監視魔法を使えるのであれば、今この瞬間にも見張られているかもしれないのだ。
「副隊長……?」
表情を硬くしたファレスの耳に、エリーネの不安そうな声が届く。
「何でもありません。続けてください」
「は、はい」
再びエリーネはポツポツと話し始める。
仁を警戒していたエリーネだったが、魔人擬きから命を救われたことや実際に仁と接しての印象で、仁が裏で何かを企んでいるようには思えなかった。
セシルの仁に対する敬意や、ファレスの仁に対する信頼も、騙されてのものには見えず、エリーネの心の内で葛藤が生まれた。しかし、エルヴィナはそのお人好しの善人そうに見える外面こそ、仁の最大の武器だと言っていたのだ。
表面上はいい人に見えても心の中では違う男性を散々見てきたエリーネは、迷いながらも仁を信じるには至らなかった。
それでも心のどこかで仁を信じたい気持ちがあったのか、帝都に先触れとして赴いた際、仁が同行していることを伝えるべきかエリーネは思い悩んだが、既にそのことを把握していたエルヴィナはエリーネの来訪を待ち構えていて、隠し立てはコーデリアのためにならないと言い切られたのだという。
その後、エリーネは報告のために一人エルヴィナの元へ連れられ、仁に対する人質となった。
エリーネは当然通路でのガウェインとのやりとりについてエルヴィナに詰め寄ったが、仁を拘束するための演技だと告げられた。どこか納得できない思いを抱きつつも、それがコーデリアにとっても最善であり、何の心配もいらないと語るエルヴィナを、信じるしかなかった。いや、信じたかった。
そして、エリーネはコーデリアや他の奴隷騎士たちの状況を知らなかったため、仁の暴走を止めるための人質を演じていたが、仁がファレスを助けたとエルヴィナが口にしたのを聞いて、少なくともファレスが助けられるような状況に陥っていたことを知り、違和感を大きくした。
それも仁がファレスやコーデリアを陥れるための行動である可能性もありはしたが、ガウェインの部下ではないと言ってエルヴィナが逃げ出したことで、エリーネはエルヴィナに騙されていたのではないかという、薄々は感じていた事実を受け入れた。
それからは罪の意識に苛まれていたが、自ら告白する勇気がなく、誰にも指摘されないのをいいことに、隠したままここまで来てしまったのだと、エリーネは涙ながらに語った。
ファレスとしてはエリーネがドレックに魔人薬を飲ませたのもエルヴィナの指示だったのではないかと睨んでいたが、それは違ったようだった。
「申し訳ありませんでした……」
「謝る相手を間違えていますよ」
ファレスが自分の肩越しに背後を見遣ると、コーデリアが近付いてきていた。その斜め後方でセシルが頷いたのを受け、ファレスは部下たちに武器を下げさせた。
何度も謝罪を繰り返すエリーネと、それを受け入れるコーデリア。その様子を眺めながら、ファレスはエリーネを裏切り者と断罪した自分に恥じ入る。自ら買って出た役目ではあるが、自分を棚に上げた物言いに、心の底から吐き気がする思いだった。
そんなファレスの肩を、セシルが優しく叩いた。
ファレスは寛大な主人と隊長を裏切ることにならずに済んだことを改めて嬉しく思い、今も他者のために戦っているであろう仁の姿を思い浮かべた。
「それにしても、直接会っても誤解が解けないなんて、ジンには少し人望が足りないようね」
気持ちをぶちまけて落ち着いた様子のエリーネを前に、コーデリアが肩を竦めた。
「私の部下にこんな顔をさせるなんて、今度会ったら文句を言ってやらないといけないわね」
本気か冗談か、そんなことを言うコーデリアをセシルがやんわりと窘める。かつて帝都の城の一室で何度も目にしたような二人のやり取りを、ファレスはとても懐かしく思った。
「エリーネ。その、私は副隊長という立場上、あなたがご主人様に救われる前のことも少しは把握していますし、当初ジン殿、いえ、ジンさんを完全に敵だと断じていた私に言えた義理ではないことは重々承知していますが、ジンさんはあなたの目には信用できない男に見えましたか?」
何だかんだ言いながらもファレスがもはや仁に一定以上の信頼を寄せているのは自他共に認めるところだろう。実際、仁にさしたる否はなく、主従共に助けられているのだからおかしなことではないのだが、命を救われて尚も疑惑の目を向けていたエリーネに比べて、ファレスは自身が簡単に手のひらを返したように思えてしまったのだ。
エリーネは真剣に問うファレスの顔をマジマジと眺めた後、チラリと自らの主人を見遣る。コーデリアもそれに気付き、首を傾げながらも興味深そうな目をエリーネに向けた。
コーデリアとファレス、ついでにセシルの視線までも受けたエリーネは三人の間で視線を彷徨わせた。
「そ、その。コーデリア様はジン様のことを事あるごとに変態魔王と呼んでおられましたし、いくらかっこよくて頼りになっていい人そうに見えても、この人は変態なんだから騙されちゃダメだって思ってしまって……」
エリーネがそう言って、顔を俯かせながら上目遣いでコーデリアを窺い見る。ファレスとセシルがコーデリアに目を向けると、コーデリアは気まずそうな顔で、そっと三人から視線を逸らした。
「コーデリア様も、ジンさんに謝った方がいいかもしれませんね」
苦笑いを浮かべるセシルに、コーデリアは拗ねたように唇を尖らせ、そっぽを向いたのだった。
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