輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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過去6-2

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「……私達家族も辛いんです。……ていうのは、時人さんは頭がええ人やさかい、分かってはると思います」
「……はい。すみません」
 その言葉は何よりも応えた。
 自分でも分かっているつもりだったのに、いざ遺族に言われると言葉の重みが違う。
 独りよがりの悲しみだと、分かっていたつもりなのに――。
「いいえ、謝らんといて下さい。時人さんを責めたい訳やないんです。ただ、時人さんが逃げたままやったら、あなたはこれからずっと先に進めへん。そう思ったんです」
「…………」
 その言葉は、時人に葵を忘れて先に進めと言っているように聞こえた。
「……嫌です」
 ぽつりと時人の弱々しい声がし、実来は少し怒ったような顔になると、彼の前にしゃがみ込んでその顔を正面から見つめる。
「時人さん、あの子は……葵はもうこの世にいやしまへん。現実を見て下さい」
 ザァッ……
 また風が吹き、二人が座っているベンチの後ろにある木を大きく揺らしていった。
「……嫌です」
 時人の声が涙で歪み、必死になって目の前の実来の顔から視線を外す。
「時人さん!」
 実来が大きな声を出し、時人の両手首を握る。
「葵は死にました!」
「……っ」
 心のやわい所が簡単に傷付き、生温かい血がぬるっと噴き出す。
 時人が今まで人間関係を築かなかっただけに、葵という存在は時人の弱点にもなっていた。
 それが喪われ、ぽっかりと空いた場所には柔らかい弱点の肉が曝け出されている。
 そこに実来の言葉が容赦なく矢となり、剣となって時人を傷付けていった。
「傷付くでしょう。受け入れたくないでしょう。分かります。でも、人は傷付いて前に進まなあかん時があるんです。ズタズタに心を引き裂かれて、泣き喚いて、それでも思い出を胸に前を見なあかんのです」

 ――正論が、胸に痛い。

「これを」
「……これは……」
 渡されたのは、女性物の指輪だ。
「葵が大学に進学した時に、父に買ってもろた指輪です」
 指輪は実にシンプルな作りで、細い銀色のリングに赤い石が埋められていた。
「これは葵の生まれ星座の牡羊座の誕生石のルビーが入った指輪です。ほんまは特別なお祝いやさかい、父がもっと大きなダイヤのついた指輪を買うてやる、って言ってたんですが、葵は誕生石のついたシンプルなのがええって」
 葵らしい選択だ。
「葵、占いとかが好きでね、星座占いで自分の牡羊座とさそり座の相手が、十二星座で一番相性のええカップルなんやて、って子供の頃からはしゃいでたんです。いつかさそり座の王子様が現れるのを待って……。葵、時人さんにお誕生日訊きませんでした?」
「はい、俺が誕生日を言ったら『さそり座ですね』って言って、すごく喜んでいたのを覚えています」

 記憶の中で葵はこの上ない笑顔を見せていた。
「どうかしたんですか? 何かいい事がありましたか?」
 時人がそう尋ねると、葵は感極まって浮かんでしまった涙を指で拭い、咲き誇る大輪の花のように笑ってみせた。
「あのね、私の牡羊座と時人さんのさそり座って、十二星座の占いで一番相性がええんです。それで、私の三月二十四日と時人さんの十一月十八日って、凄く相性のええお誕生日同士なんです」
「そうなんですね」
 少女のように喜ぶ葵に、時人は占いを信じるなんて可愛らしいな、と思っていた。
 自分は「信じる」とかそういう心にはほど遠い性格をしているものの、好きな女性がそんな巡り合わせや占いを信じるというのなら、自分もその「相性がいい」というのを信じてもいいな、と思う。
「信じる者は救われる」という言葉があるが、きっと葵のように前向きな言葉を信じていれば、きっと人生が明るく見えるのだろう。
 うらやましさと相変わらずの眩しさを感じながら、時人は葵の楽しそうな声に耳を傾けた。

 そんな事があった。
 あれは――、葵との思い出の中で嬉しいと感じたことの一つだったが、それが彼女にとってそんなに大切な事だっただなんて。
「葵がね、私に電話をしてきて。えらい興奮した声で『運命の王子様を見つけた』って言ってたんです。私は眉唾もんかと思ってたんですが、そのお相手が時人さんなら……ああ、この子はええお人とご縁があったんやな、って安心して……嬉しかったんです」
「……そう、ですか」
 心の底にコトリと落ちるような感覚があり、時人は手の中の指輪を摘まんでちゃんと見てみる。
 きちんと磨かれたプラチナのリングに、少し大きめのルビーを中心に小さめのルビーが両側に並んでいる。
 プラチナの部分は繊細な装飾があって、女性らしい。
(この指輪が葵さんの綺麗な指に収まっていたのか)
 そう思うと、いつか彼女に特別な指輪を贈りたいと思っていた時人は、微妙な気持ちになってしまう。
「……俺も、葵さんに指輪を贈りたかったです」
 思わず、叶えられなかった願望が唇から漏れた。
「おおきにありがとうございます。きっと葵も喜んでます」
「……喜ばせたかった」
 時人の声が曇ってしまう。

(どうして俺は彼女に何もあげなかったのだろう。
 一緒にいた時間が短かったとはいえ、少し考えれば好きな女性に何か贈り物をしようと思わなかったのか。
 何かしら贈っていれば、葵さんはきっととても喜んでくれただろうに)

 ――また、押し寄せる後悔。

「……俺は結局、葵さんに与えられてばかりだった気がします」
「どうして?」
「初めて恋をした相手が葵さんで、……俺は本当に色んな感情を葵さんに教えてもらったんです。嬉しいとか、好きになってほしいとか、愛しいとか、相手に対する期待、期待を返したいという気持ち、……今までずっとグレー一色の世界を一人で歩いていた感じだったのに、葵さんに出会って俺はとてもカラフルで美しい世界を生きる事ができたんです。
 ……なのに、俺は葵さんに恋人……といっていいのか分からないですが、それらしい事をしてあげられなくて。……指輪どころか、記念になるような物は何も贈れなかった」
 彼女に似合う洋服や、綺麗なアクセサリーを贈る事などたやすかっただろうに。
 想像はしていた。
 葵には何色が似合うだろうか、とか、アクセサリーならどんな物が似合うだろうかとか。
 考えて、手に入れる事は簡単だが、贈る機会を窺っていた。
 デートをして一緒にショッピングをして葵に選ばせるか、サプライズとして自分で選んだ物を贈って喜ばせるか。
 時人らしく熟考している間に、考えすぎた時間が長すぎてこのような後悔する結果となったのだ。
「時人さん、葵は幸せでした。これだけは間違いなく言えます」
「…………」
 姉である実来がそう言ってくれるのなら救いはあるのだが、こういう事は時人が自分自身で納得しなければ、恐らく解決しない。
「時人さんはそういう風に思っているのかもしれへんけど、葵ね、時人さんと会うようになってキラキラしてて。ほんまに毎日楽しそうやったんです。私が遊びに行ってもね、次に時人さんに会う時にどのお洋服着たらええかな、って恥ずかしそうにしながら、えらい楽しそうで。ほんまにあの子、時人さんの事大好きやったんです」
 実来の言葉は時人に希望を持たせるものばかりだったが、その言葉端の葵に対するいちいちが、全て過去形である事に時人は傷付いた。
「あの男と比べてたから時人さんが良く見えたとかやなくてね、ほんまに、ほんまに、心から時人さんが大好きで、大切で……。
 時人さんの心にある、後悔や罪悪感があるのは分かるつもりです。けどね、葵から直接話を聞いた私の言葉も……信じて欲しいんです」
「……っ」
 その言葉にハッとした。
 目の前の実来を見ると、葵によく似た顔で穏やかに微笑んでいる。

 ――その瞳の奥に、葵がいる。
 葵より先に生まれて、妹を見守り続けた姉の目。
 両親と祖父母の次に葵を知り、見守り続けた目。
 その目の中に何よりも確実な思い出があるのに、
 ……自分は何を彼女の言葉を疑っていたんだろう。

 吹き抜ける。
 黒い瞳の奥に、青い空と蒼い海。
 遥か彼方まで広がって風が吹き渡り、
 四季を経て『記憶』がそこにある。
 脈々と受け継がれる記憶。

 遠い昔、美作家の先祖が京都に家を根差し、
 多様な時代、変わらない四季を経て世代が変わってゆく。
 一人の人間の一生が子孫の数だけ繰り返され、
 美作という家の中で家族が続いてゆく。
 親が子を、上の兄弟が下の兄弟を、
 見守って面倒をみて、喜怒哀楽を経て、
 ――生命も、記憶も受け継がれる。

 震える声が、葵の死後になって初めて持った『希望』を告げる。
「また……、巡り会えるでしょうか?」
「ん?」
「葵さんの手紙にあったんです。生まれ変わりを信じている、と。葵さんは自分の身に何かがあったとしても、生まれ変わってまた俺を愛してくれると」
「はい、きっと」
 自分を見つめてハッキリと返事をする実来の黒い瞳を見、時人はふと自分の五感がクリアになったのに気付いた。

 日差しが――、眩しい。
 ……こんなに、陽が照っていたっけ。
 暑い。
 暑いな。
 ……夏、だったっけ。
 忘れてた。
 今は夏で、八月で。
 ……風、気持ちいい。
 色んな匂いがする。
 これは――、食べ物の匂い。
 目の前の実来さんからも女性らしい、いい匂いがする。

 どうしてか、現実に引き戻された時人に与えられる五感の情報は、以前のものとは違っていた。
 鼻にする匂いは、今までなら葵の香り以外は全て時人に悪い印象しか与えなかったのに、今は普通に食べ物の匂い、ほどよい香料の匂いならいい匂いと感じられるようになっている。
 飲み込む自分の唾すら、甘く感じた。
「…………」
 ボウッとした時人を見て、実来が首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……いえ、世界が……、急に」

 明るくなった気がする。
 優しくなった気がする。

 そう思いながら、そんな事を急に言えばおかしい人だと思われてしまうかと思い、時人はそのまま目を伏せて黙ってしまった。
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