輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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過去7-2

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「……秘密だよ、俺は吸血鬼なんだ」
 隣に座っている沙夜を見て時人が悲しそうに微笑み、視線を前に向けて疲れたように小さな吐息をついた。
 その微笑みは、現実離れした時人だからこそ、悲しみや孤独を感じさせる影のある美しさで、いつも周囲の女性を魅了する。
 けれど、それを寄せ付けないのが時人なのだ。
 いつも目にしている街のネオンが、今晩はやけに幻想的に見える。
「……時人さん、お日様の下歩いてるじゃない」
「そういうの、全部大丈夫なんだ。銀とかにんにくとか、鏡に映らないとか。棺桶でも寝ないし」
「凄い。今の吸血鬼ってとてもハイスペックなんだね」
「さすがに心臓に杭を打たれたらどうなるか分からないが」
 ブラックジョークにも近い事を言って時人がそっと笑い、沙夜も苦笑して肩をすくめた。
「過去にたった一人、葵さんにも話した事があるんだ。……彼女は戸惑いながらも受け入れてくれた」
 それは時人の抱える闇。
 誰よりも「恥ずかしい」と思っている、時人のコンプレックス。
 人に金持ちで羨ましいとか、格好いいとか、どれだけ羨ましがられても、時人自身が自分を卑下してやまない原因。
(そして俺はね――、そんな風に優しく俺を受け入れてくれた彼女の血を舐めたんだ)
 けれど、その『罪』だけは一生誰にも言えない。
「時人さん、誰かの血を吸うの? ……その、処女の血が美味しいとか」
 後半の言葉を沙夜は少し恥ずかしそうに言うが、時人は微かに笑っただけだ。
「かれこれこんな忌まわしい体に生まれて三十八年だからね。もう血を口にしないのにも慣れたさ」
 彼女の血を口にした『あの時』から――、もう二度と誰の血も口にしないと心に決めた。
「ふぅん……。もし、私が血を吸ってもいいよ、って言ったら?」
 沙夜の中には現在さまざまな疑問がある。
 時人が言う事は受け入れようという気持ちはあるものの、この現代に吸血鬼と言われてもすぐには信じられないのは仕方がない。
 興味半分、冗談半分、そんな気持ちで言ってみた言葉だ。
「吸わないよ。吸血鬼としても、宇佐美時人としても」
 その穏やかな声の中に、沙夜は並々ならぬ決意を感じた。
 時人がこうやって一人でいる事も、彼の言葉の一つ一つにも、決して揺るがない確固たるものがある。
(――時人さんは、吸血鬼なんだ。普段自分自身の事を話さない時人さんが、自分の事を話してくれた)
 他人から見れば嘘のような告白が、沙夜にはとてつもなく愛しい告白に思える。
 実来に育てられてしなやかに純粋に育った沙夜だからこそ、その告白を笑い飛ばさずに信じようという気持ちにもなったのだ。
「じゃあ、その秘密、今は私だけが知ってるの?」
「……そうだね、あとは俺の家族と家の人間と。……でも、誰にも口外しないのなら、実来さんや一華ちゃん達ご家族にだけなら話してもいいよ」
 親友の実来を親とした、白根家の人間を信頼しているからこその言葉だ。
 この信頼を、大切にしなければ。
「時人さん、そうやってゆっくり歳を取っていくなら……何歳まで生きるの?」
「どうだろうね? 先祖と呼ばれる人たちは、まだひっそりと存命しているみたいだよ。俺は……その時間が苦痛で堪らない」

 葵さんを喪ったあの日から。

「……生きていて、つまらないの?」
「葵さんがいなくなってから、君たち姉妹を見守ると誓ったからね」
「じゃあ、私達が死んだら?」
「…………」
 それに時人は答えなかった。
 元より何歳まで生きるか分からない永い命なのに、愛した人を喪った時人は人生を既に諦めている。
 ほんの一瞬だけ色を与えられた二箇月にも満たない時間は終わり、厳しい冬を迎えた時人の心は、やっとその冬の楽しみ方を見出しているというレベルだ。
 強烈すぎた夏の輝きをその中には見い出せず、春の気配など感じる由もない。
「……どうして、話してくれたの?」
 それはあまりにも秘密すぎる秘密で、きっと宇佐美家という大きな家としても、トップシークレットなのだと思う。
 政治家や警察、病院や法関係に広く深く交流のある宇佐美家の秘密。
 そんな日本の裏の裏で密かに伝わるものに、自分のような一般庶民が触れていいのだろうか。
「……この秘密を一人で抱えているのが辛くなったのかもしれない。相手が沙夜ちゃんという、信頼できる相手だから……甘えたいという気持ちも……あるんだと思う」
 甘える。
 憧れの男性にそんな言葉を言われ、もう恋心は抱いていないものの、沙夜の母性がうずく。
「うん、秘密にするよ。私が……ううん、パパもママもお姉ちゃんも、白根家の家族は非力かもしれないけれど、絶対にずっと時人さんの味方だから」
「……ありがとう。あの時……葵さんもそんな風に受け入れてくれたんだ」
 葵さん。
 またその過去の名前がする。
「……時人さん、好きな人つくってね」
 暗闇のなかで沙夜の強い声がする。
「時人さんが吸血鬼なら、好きな人をつくって仲間にしてもいいんだと思う。そして一生一緒に歩ける大切なパートナーになったらいいなって……私は思う」
 沙夜が時人を大切に思うからこそ、それは切なる願いだった。
「……ありがとう」
 したくてもできなかったその残酷な方法。
 それを行使する決断をしなかったがために、時人は愛しい人を永遠に喪ってしまった。
『あの時』彼女の血を吸っておけば良かったのか。しなくて良かったのか。
 彼が自ら作り出したその泥沼に嵌って自問を繰り返している限り、沙夜の祈りは叶えられない。

**

 沙夜を送り届けて自宅のマンションへ帰り、ひと通り着替えや風呂などの用事を済ませてしまってから、時人はリクライニングチェアに深く身を任せていた。
 視線の先には大画面の液晶テレビ。
 そこには機器を通じてスライドショーで葵の写真や、彼女を喪って以降の白根家の面々との思い出の写真が流れていた。
「今日撮った一華ちゃんのウエディング姿も追加しないと」
 晴れの日で心は晴れやかなはずなのに、時人の心はどこか晴れない。
 先ほど沙夜に秘密を漏らした事については、別に後悔はしていない。
 心にあるのは、葵の婚礼姿を見られなかったという思い。
 本来なら彼女が望むままに、ウエディングドレスか白無垢を着せてあげるつもりだったのに。
 美しい彼女に、何よりもその美しい衣装が映えるはずだったのに。
 その隣に――、自分が笑顔で立っているはずだったのに。
 十七年前、密かに心の底で望んでいた葵の姿は――今や叶えられない夢と消えた。
 憧れの白が、こんなにも悲しく遠いものになっている。
 彼女の細い指に、誓いの指輪を通すのが夢だったのに。
 こちらを見て彼女がはにかみながら「誓います」と言ってくれる日を、夢想していたのに。
 新婚旅行先までも考えていたのに。

 どうして。

『それ』を思い始めると頭の中に怒涛のように負の感情が押し寄せ、時人を苦しめる。

 どうして。
 どうして。
 どうして。

 ――どうして。
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