輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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過去7-3

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 二〇四九年 十一月

 美弥の美しさに拍車が掛かり、その顔つきや、纏う雰囲気も日に日に変わってゆく。
 中学時代の友人に会えば「別人みたい」と言われ、その美しさを称えられる。
 外を歩けば集魚灯のようにあらゆるスカウトを集め、美弥はそれに戸惑うしかない。
 彼女を苦しめたのはそれだけではない。

 夢。

 夜に寝ても、白昼にボウッとしている時でも、美弥の知らない風景や人物が現れ、消えてゆく。
 古い町並みは母に話して京都だと分かり、祖母の実来が現在住んでいる場所で、祖母の生まれ育った地だという事は分かっていても、なぜそこがという疑問は解消されない。
 そして彼女を乱すものはそれだけではない。
 美弥を襲うのは身体の変化や幻覚だけではなく、想い。
 ふとした時に流れ込む、『誰か』の想い。

 会いたい。
 会いたい。
 会いたい。

 愛してる。
 愛してる。
 愛してる。

 そんな気持ちが溢れて堪らず、昼も夜もはばからず『それ』に見舞われた時は泣いてしまう。
 学校の保険医には思春期ゆえの感情の乱れだと言われ、心療内科などを紹介された。
 けれども美弥は自分が心に傷を負っているなどを感じる事はないし、家庭内でもほぼほぼ平和に過ごしている。
 中学三年生から高校一年生にかけての反抗期のピークは去り、両親に迷惑を掛けたり時人に思いをぶつけたりした事もあったが、今は不安定ながらも落ち着こうとしている。
 だから、何が原因で現在の状況になっているのか美弥には全く分からず、それが更にストレスとなっていた。
 常に不安そうな表情をし、時に前触れもなく泣いてしまう美弥を、周囲は壊れ物を扱うようにして接していた。
 だがそんな状態で苦しんでいる美弥でも、時人の家庭教師がある時は幸せ一杯になるのだ。
 その『衝動』も、なぜか時人と一緒にいる時だけは襲ってこない。
 美弥も自分の調子が悪い事については、一切時人には教えていなかった。
 時人に心配をさせないように母の沙夜にも頼み込み、父にも伯母の一華の家族にも、あらゆる面からの情報をシャットアウトしている。
 どうしても「何の問題もない、いい子の美弥」という印象を崩したくないのだ。

**

「時人さん、いらっしゃい」
 グレーのニットワンピースを着た美弥が満面の笑顔で時人を迎え、「寒いね」と苦笑いをする時人の上品なコート姿を見て、ときめきを噛みしめる。
 春夏秋冬、どの時人も格好いい。
 そんなどこかの少女漫画のキャラが言いそうなセリフをグッと?み込み、美弥がもじもじして自分の髪を弄った。
「寒かったでしょう。コーヒー淹れるね。私、今ドリップコーヒーの練習してるの。上手にできないかもしれないけれど、飲んで?」
「ありがとう」
 はにかみながら微笑むその姿は、時人には葵その人に見える。
 猫のように少し釣った大きな黒い目、白い肌にしなやかな手足。
 黒髪は緩やかに波打って――。
「最近……、少し印象が変わったね」
 ソファに座った時人が微妙な顔で笑い、お茶請けとして手作りのアップルパイを持ってきた沙夜が、それを見て悲しい微笑を見せた。
 言われずとも、沙夜だって娘が『葵ちゃん』に生き写しなのは分かっている。
 その姿が時人を苦しめているのも分かっているし、可愛い娘が苦しみながらも時人を思っていることも分かっている。
 板挟みにされて、沙夜はただ黙っているしかできない。
「あれ、ママ先にアップルパイ出しちゃったの? やだぁ、私がコーヒー出した時にして欲しかったのに」
 可愛らしく唇を尖らせて美弥が怒ってみせ、キッチンに立っている美弥の後姿を見て、時人が顔を震わせて泣き出しそうに顔を歪めた。

 どうしよう。
『彼女』が目の前にいる。
 あの線の細い後ろ姿も、豊かにうねった黒髪も――。

「時人さん」
 目の前で今にも泣いてしまいそうな『お兄ちゃん』を気遣い、沙夜がさりげなくキッチンから時人を隠すように立つ。
 膝の上で拳を握った手が震え、色素の薄い綺麗な色の目が落ち着きなくテーブルやカーペットを左右した。
 ここのところ美弥を見て泣きたくなる事は多々あるが、最近は特に酷い。
 日に日に美弥は『彼女』そのもののように思えて、時人は現実か夢か分からなくなっている。

 違うんだ。
 葵さんはもうこの世にはいなくて、いま目の前にいるのは沙夜ちゃんの娘で。

 わななく唇が自分自身に言い聞かせるようにそう動いた時、何も知らない明るい声がキッチンから聞こえた。
「時人さん、ブルーマウンテン好きでしょう?」

 ――ああ。

 彼女と初めて夜を共にし、迎えた朝。
 朝の陽ざしを浴びた彼女が笑顔で同じ事を言った。

「――っ!」
 耐え切れず手で口元を覆った時人は、コートを掴んで立ち上がってバタバタと玄関へ向かい、――ドアを開閉する音が聞こえた。
「え……? 時人さん?」
 何も知らない美弥が突然時人がどうしてしまったのか理解できず、リビングにただ一人立っている母をポカンとした表情で見る。
「……時人さん、お仕事の話が急に入ったみたい」
 慌てず騒がず、沙夜はそう言って娘に微笑んでみせた。
「えぇ……? だって……、私、折角……」
 ドリッパーの中で淡い茶色の泡がゆっくりと小さくなってゆき、それはまるで美弥の心のようだ。
「ママと一緒におやつの時間にしましょう。仕方がないでしょう、時人さんは忙しい人だって美弥だって分かっていたんだから」
「……うん」
 まだ納得していない顔で美弥が返事をし、手持無沙汰になっていた手がまたポットの取っ手を掴み、随分と気落ちした目がしぼんでしまった泡を見る。
「……練習の成果、飲んで欲しかったな」
 新しいお湯を注いで泡が再び膨らんでも、美弥の心は膨らむ事はなかった。

**

 車に乗って訳も分からず道を走らせた時人は、住宅街の中にある公園の路肩に車を寄せ、ハンドルを力一杯拳で叩いて泣いていた。

 どうして。
 残酷だ。
 美弥はまだ手も出せない子供なのに、
 どうしてあんなにも葵さんに似ているんだ。

 鋭利な刃物が時人の柔らかい心をズタズタに切り裂き、そこから生温かい血が滴っていた。
『あの時』感じた喪失感が、何度も蘇っては時人を襲う。
 現実で手の届く場所にいる美弥は、葵に生き写しだが葵ではない。

 誓ったんだ。
 沙夜ちゃんに。
『あの約束の日』を超えるまでは何も言わず、何も手を出さず、『親切で物わかりのいい大人』であることを誓ったんだ。

 だが現実はあまりにも残酷すぎる。
 美弥の存在が全てを狂わせるのだ。
 彼女の姿かたちも、声も、髪も、魂のかたちも、
 ――立ち上る芳しいあの香りも。
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