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空白を埋めるために3

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「私、信じていたのです……っ。『どうやって』は分かりません。それでも、いつか、絶対に、私はレイ様と再会して結ばれると……信じていました……っ」

 ――あぁ。

 コーネリアの自分を信じて疑わない心に、レックスは眩暈すら覚えた。

 ――俺はやっぱり、この子が好きだ。

 純粋に自分を慕ってくれる心根に、レックスの魂が震える。

 同時に強く強く、失わなくて良かったという気持ちを覚えた。父を見限っても、友を切り捨ててでも、レックスが進んだ道は間違えていなかったのだ。

「レイ様に見捨てられなくて……、良かったぁ……っ」

 ポロポロと水晶のような涙を流し、コーネリアが笑う。まるで人知れず咲いた美しい花に朝露が輝いているかのようだ。

「見捨てるなんて考えた事もない。俺は君の事だけ考えて、この六年突っ走ってきたんだから」
「ありがとうございます……っ。お父様とお母様がいない今、私にはレイ様だけです」

 そう言ってしまう自分に、コーネリアは若干の罪悪感を覚えた。

 縋れる人がレックスだけだと言ってしまえば、優しくて責任感の強い彼は、絶対に自分を娶ろうとするだろう。コーネリア自身、祖国がなくなってしまった今、亡国の王女として、一人の女として行く先が心配になるのも仕方がない。

 せっかく大好きな婚約者に再会できたばかりなのに、少しの打算も考えてしまう自分が、とても汚らしく思えた。

「コーネリア。色々行動し始めるのは、君の体調が整ってからで構わない。でも俺は一刻も早く君と結婚したい。だから式の準備を進めていっても構わないか? 君の婚礼衣装を準備するのも、時間が掛かると思うし……」
「けっこん……して頂けるのですか?」
「当たり前だとも。何のために俺はこの六年、色々としてきたと思っている」

 こら、と言いつつ顎を掴まれ、コーネリアの唇がくにゅ、と前に突き出る。

「ふふ……、ふ。可愛い顔だ」

 肩を揺らして笑ったレックスが顔を斜めに傾け、不意にコーネリアの唇を奪ってきた。

「! ん」

 驚いたコーネリアは、思わず顔を引いてそのキスに抵抗してしまう。

「コーネリア?」

 逆らわれると思っていなかったレックスの顔が、みるみる曇ってゆく。それまで穏やかに笑みを湛えていた目に、ギラついた余裕のない光が宿った。

「嫌なのか? 俺を拒絶するのか? もしかして……ガイに抱かれて奴に操を立てているとか? 疲れた俺の顔が醜いか?」

 矢継ぎ早に質問をされ、コーネリアは焦ってかぶりを振る。

「いいえ、いいえ! 違うのです!」
「何が違う? いま、俺を避けただろう」

 こんなに余裕のないレックスを、初めて見る。
 コーネリア自身も戸惑いつつ、ゆっくりと自分の心境を説明した。

「昔、何度もキスをしましたよね? でも六年のあいだ、私は誰にも触れられず会わず、一人きりだったのです。こうして会話をするだけでも、心と頭をいっぱいに使ってすぐ疲れてしまいます。私を助けてくださってからも、何度か知らない間にキスをしてくださったかもしれません。昼間も不意打ちでキスをくださいました。でも改めて……となると、緊張と恥ずかしさで心がついていかないのです」

「一つだけ、確かめたい」
「はい」

「……捕まっていた君にこういう事を尋ねるのは、あまり良くないと分かっている。だが、一国の姫として陥ってはならない……、貞操の危機に面した事はあったのだろうか?」

 レックスの青い瞳が、じぃっと食い入るようにコーネリアを貫く。

「いいえ。結果的に言えば、私は純潔のままです」
「結果的に言えば?」

 不可解そうな、不安なレックスの肩に手をやり、コーネリアは彼を宥めるようにさすった。

「数度、確かにガイ陛下に求められた事はありました。閨の準備をして彼を待ち、体を開けと命令された事が何度かありました」
「…………」

 沈痛な面持ちで、レックスはコーネリアを見つめる。

「ですが、私は抵抗しました。強引に事を進められようとした時、遮二無二暴れて彼を……その、な、殴ったり蹴ったり。男性の急所を狙って、とにかく抵抗しました」

 思いも寄らぬ言葉に、レックスはポカンとしたあと笑い出した。

「……っく、くく……。君の気が強いと分かっていたけど、そこまでとは……」
「お恥ずかしいです。とんだお転婆で……」

 コーネリアは顔を真っ赤にし、両手で頬を包む。
 だがゆっくりと表情を真面目なものにし、言葉を続けた。

「私はガイ陛下の怒りを買いました。その場で切り捨てられるよりも、もっと辛いだろう処遇……。城の地下深くに幽閉され、侍女のシンシア以外誰とも会えなくなりました」

「でも君は生き延びた。闘志を燃やし、ただ痩せ細るをよしとせず、自身の体を鍛えてすらいた。驚嘆に値する精神力だ」

 レックスに賞賛され、コーネリアは面映ゆく微笑む。

「ですが、それだけではないのです。私の身代わりとなったのは、シンシアでした。彼女は私への肉欲を自身へ向くように仕向けました。夫がいる身だというのに、ガイ陛下好みの金髪に染め、名前をアグネスと名乗り、表向きラドフォードの貴族の女性という身分を捨てました」

「…………」

 自分が切り捨てたジョナサンの妻が、思いもよらない所で忠義を尽くしていた。何とも言えない気持ちになり、レックスは沈黙する。

「シンシアがガイ陛下の元でどんな辱めを受けたのか、地下にいる私は知る術を持ちません。彼女も決して言おうとしませんでした。私の前ではいつもの侍女として優しく接してくれるのですが、外では分かりません。増してここはグランヴェルの土地で、シンシアもとても風当たりの強い思いをしていたはずなのです」

「……そう、か」

 レックスは不意に、シンシアに感じた違和感の正体を理解した。

 主であり女性のコーネリアには、心から仕えようという気持ちと同性であるという安堵があったのだろう。だがガイに無体な事をされ、シンシアが男性に恐怖を覚えたとしてもおかしくない。

 あのつっかえるような発音も、本当は恐怖で声が出なくなりそうなのを、必死に我慢して……の事かもしれない。

「シンシアはきっと、自分を好きにしていいと言う代わりに、地下牢にいる私に満足な食事を与えるとか、週に一度身を清める許可を求めてくれたのかもしれません」

 息をつきながら呟くコーネリアの言葉は、シンシアへの深い感謝に満ちている。

「彼女には後で丁重に礼を言っておこう。コーネリアを守り切ったという恩義も含め、シンシアの事は大事に扱うと約束する」
「ありがとうございます」

 ホ……と安堵の息を漏らし、コーネリアは疲れたように顔に手をやる。

「疲れたか? 今晩はこの辺りにしておこう」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
「本当はずっと側にいたくて、共寝をしたいぐらいだが……。ゆっくり慣らしていこう」

 共寝と言われ、コーネリアはポッと頬を染める。

「頬にならキスをしても大丈夫か?」
「は、はい……」

 目を閉じると、頭をゆるゆると撫でられたあと、頬に柔らかな唇を感じた。

「おやすみ。調子を見て、一緒にティータイムを過ごせたらいいな」
「はい。おやすみなさい」

 最後にもう一度コーネリアの頭を撫で、レックスは天蓋を出て行った。

 そう言えば……と思って自分の髪に触ってみると、ちゃんと清められて香油で整えられている。体もすっきりしていて、改めて匂いを嗅げばバンクロフトの城で王女として過ごしていた頃の清潔さを取り戻していた。

(良かった……。きっとシンシアがしてくれたのね。レイ様に抱き締められる時ぐらい、いい匂いをさせていたいもの)

 モソモソと布団を被ると、コーネリアは目を閉じて深呼吸をした。

「……まだ信じられないわ。レイ様が私を救ってくださっただなんて」

 そして薄く目を開く。

 助け出されてからというもの、コーネリアは真っ暗闇を恐れるようになった。真っ暗闇になると、またあの地下にいるような気分になってしまう。

 なのでシンシアに頼み、天蓋越しに明かりが感じられるようにしてもらっていた。

 蝋燭は貴重な物であり、幾らレックスが三国を跨ぐ王になったとしても、戦争直後の今は財政的に無理をできない状況だと思う。それでも、ほんの一本でいいから蝋燭を灯してほしいと思うのだった。

「おやすみ。……なんていい言葉なのかしら。〝明日の朝〟があるという言葉だわ」

 微笑むと、コーネリアは眠りに向けて意識を解放していった。



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