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本編
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しおりを挟むクリスティナが幼い頃、この目の前の男と出会い、わたしの名を騙った…という事は、
大いに考えられた。
少なくとも、わたしが幼い頃金髪だったとか、青い目だったとか、
美しかったとか、そんな話よりは余程真実味があるだろう。
だが、目の前の男は誤解した様だ、「思い出したか」と、得意気にニヤリとした。
美形だが、とても感じの良い笑みでは無い。
何処か冷たく残忍にも見え、クリスティナと似ている気がし、わたしは反射的に顔を顰めてしまった。
「何故、そんな表情をする?再会を喜ばぬのか?約束通り、迎えに行ってやっただろう」
この、『覚えていて当然』、『喜んで当然』という、絶対的な自信、
そして、何かを『してやった』という恩着せがましい態度が、
如何に相手を不快にさせるかなんて、知らないんだわ!
全くもって、クリスティナの同類にしか見えない。
クリスティナとならば、さぞお似合いだろう…ああ、だから、クリスティナを気に入ったという訳ね?
わたしは内心で肩を竦めていた。
「誰かは存じませんが…」とわたしが言った時、広間の隅に控えていた
フードの者たちが、『キキキ!!』と酷く慌てていたが、
取り敢えず、そちらは無視する事にし、目の前の男に向かい、はっきりと言ってやった。
「あなたは、人違いをなさっています」
「人違い?」
美形がキョトンとしたので、わたしは少し笑いたくなった。
クリスティナよりは純真そうだ。
「はい、わたしは確かに《ソフィ》という名ですが、
生まれた時より、赤毛ですし、緑色の目をしています」
それに、美しい娘では無かった…というのは、自分が悲しくなるから言わないでおいた。
「あなたの事も、約束も、わたしは記憶にありません。
あなたが出会われた《ソフィ》は、わたしでは無いと思います」
相手は直ぐに納得すると思えたので、わたしは落ち着き払って答えたのだが、
そう上手くはいかなかった。
目の前で美形が大きな口を開け、豪快に笑った。
「ははは!何を申すかと思えば!面白い娘だ!この私を試そうというのか?
相手がおまえで無ければ、捻り潰してやる処だぞ!ソフィ」
平然と物騒な事を言われ、わたしにはそれが冗談か本気か計れなかった。
勿論、冗談よね?わたしを怖がらせる為の…
「試してなどいません!わたしが申した事は、全部本当の事です!
それに、多少変わる事はあっても、金髪がこんな赤毛になったりはしませんし、
青い目が緑色に変わる事などありません!それはもう別人ではありませんか!」
わたしだって、クリスティナの金髪に憧れた事はある。
クリスティナの瞳を見た後では、自分を鏡に映す気にはなれなかった。
だけど、それを手に入れる方法など無いと、諦めるしか無かった___
「ふん、私が人間に疎い事を利用し、謀る気だな?小賢しい」
男は面白がっているのか、ニヤリと挑戦的に笑う。
わたしの方は笑う処では無いというのに!
「そんな事考えもしませんわ!兎に角、わたしではありません!
わたしはあなたを知らないし、約束も知らない、それに…わたしは美しくないわ!!」
わたしは癇癪を起し掛けていた。
言いたく無かった事も、言ってやった!
これで納得するだろうと、清々していたのだが、
男は何処か普通の人とは違っているのだろう、おかしそうに笑った。
「ソフィ、その様な事、私が気にするとでも思っているのか?
出会った時、おまえは小さく未熟だったのだ、覚えていなくとも仕方の無い事だ。
それ故、私はおまえに印を持たせたのだ」
「印?」
印を持たせているなら、誤解も解けるだろうと、安堵したのだが…
「おまえは覚えていないかもしれないが、私はおまえに私の実を渡した。
おまえは確かに食べた筈だ。
食する事で、それはおまえの体に溶け込み、私の掛けた呪い(まじない)が効く様になっている。
だから、どれだけ離れても、どれだけ時が経っても、私にはおまえだと分かるのだ、ソフィ___」
「実を食べた?わたしが?」
どういう事だろう?
本当に、この男と出会った《ソフィ》は《わたし》なのだろうか?
全く身に覚えが無かったが、不意に、幼い頃、クリスティナから果実を貰った事を思い出した。
「それは…もしかして…赤い…李のような果実ですか?」
わたしが恐る恐る聞くと、男はニヤリと満足気な笑みを見せた。
「そうだ、思い出したか!」
「それは…確かに、それを食べたのは、わたしに違いありませんが…」
やはり、出会ったのはクリスティナで、彼女がわたしの名を騙ったのだ。
わたしはそれを説明しようとしたが、大きな手に顎を掴まれ、
赤い目で熱く見つめられ、言葉が途切れた。
「どれ程この時を待った事か…
漸く、おまえを私の花嫁に迎えられる、ソフィ」
唇を塞がれ、わたしの脳裏に、数日前に届いた、あの黒いカードが浮かんだ。
【時は満ちた】
【近々、おまえを花嫁として迎えよう】
【楽しみに待っておれ】
【我が美しきソフィ】
「!??」
わたしはキスをされている事に気付き、押し退け様とその厚い胸を叩き、
身を捩り抵抗した。
幸い、直ぐに唇は離されたが、男は珍獣を見るかの様に、わたしを見ていた。
「どうした、落ち着け、それとも、これが今の人間たちの流行りか?」
「近付かないで!」
わたしは身を庇う様に、顔の前で手を交差し、後退った。
だが、男は面白そうにニヤリと笑い、「近付いたらどうする?」と手を伸ばし、
簡単にわたしの腕を掴んだ。
「嫌____!!!」
わたしは腕を振り、目の前の体を叩いたが、それはびくともしなかった。
「活きが良いな、色気には乏しいが、これもまた一興か、面白い。
だが、ここでは不味い、皆が気まずくしているからな」
皆?
わたしが目を向けると、広間の壁際に、フードを被った者たちが十人程だろうか、
オロオロ、ウロウロ、右往左往していた。
「だったら、近付かないで下さい!
それに、わたし、あなたと結婚する気なんてありません!」
言った瞬間、その赤い目がギラリと光り、腕を掴む手に力を入れられた。
わたしはあまりの痛みに、思わず悲鳴を上げていた。
「__っ!!」
直ぐに力は弱められたが、折れるかと思う程の力に、わたしの内に恐怖が宿った。
「私を困らせて楽しんでいるのか?ソフィ」
不機嫌そうな男の表情に、わたしは震えながらも頭を横に振った。
「実を食べた事は謝ります、でも、《あなたのソフィ》は、わたしじゃありません…
それに、わたしには、心に決めた人がいます…っ!」
『心に決めた人がいる』と言った時、またもや力を入れられたが、わたしは言葉を続けた。
「あ、あなたとは、結婚出来ません、どうか、お許し下さい___」
結婚を申し込まれ、それを断る___
自分がこの様な立場に置かれるなど、想像した事も無かった。
誠心誠意話せば分かって貰えると思っていた。
だが、わたしは甘かった。
今まで、男性から言い寄られる事など無かった為、男性を知らなかったのだ。
「許さぬ」
ポツリと零された言葉は、温度の無い、素っ気ないものだったが、
それ故に恐ろしさがあった。
男は立ち上がると、ギクリと身を強張らせたわたしの腕を引き、床から引っ張り上げたかと思うと、
荷物の様に、その肩に乗せ、広間を出て行った。
「嫌!下ろして!」
わたしは手足をバタバタとさせ抵抗を示したが、男が足を止める事は無く、
何処かの部屋に入ったかと思うと、ぞんざいにわたしを放った。
「きゃ!!」
柔らかいベッドの上だったので、大した衝撃は無かったが、
男がわたしの上に圧し掛かって来た事で、恐怖に固まった。
整った顔からは表情が消え、ただ、その赤い目がギラギラと光っている。
まるで、襲い掛かる寸前の獣の様だ___
少しでも動けば、襲われそうで、わたしは身動ぎ出来ずにいたが、
元より、相手にはそんな事は関係無かった。
「おまえは私のものだ、おまえも直ぐに私を好きになる___」
男は冷やかに、断固とした口調で言い放つと、その大きな手でわたしの顔を掴み、
再びキスをしてきた。
「!!!!」
わたしはその大きな体に拳を叩き付け抵抗したが、唇は離して貰えず、
キスは深まるばかりだった。
「んん!!」
舌を挿れられ、好き勝手に蹂躙され、嫌悪感しか無かったが、
圧倒的な力の前に、成す術は無かった。
ただ、胸の内で、彼の名を呼び続ける事しか出来ない…
レイモン様、レイモン様、レイモン様…
「止めろ!他の男の名など呼ぶな!」
気付くと、あれ程強引だった唇は離されていた。
先程までとは違い、男の顔にははっきりとした感情が見えたが、それは《怒り》だった。
わたしは両手で顔を覆い、止める事無く涙を流した。
「彼を愛しているの!彼じゃなきゃ嫌…帰りたい!お願い、わたしを帰して!」
堰が切れ、声を上げて泣いていた。
「泣くな、泣かれると困るだろう、まるで子供だな」
男が呆れた様に言い、わたしの腕を掴み、強引にベッドから引き起こした。
わたしは怯え、声にならない悲鳴を上げたが、
彼は構わずに、わたしをその膝に乗せ、胸に抱いた。
「!!」
この行為は何なのか、それとも、これから始まるのか?
わたしには分からず、緊張で息が詰まり、体は震えながらも石のように固く強張った。
そんなわたしに気付いていないのか、
彼は小さく笑い、子供をあやすかの様に体を揺すった。
「どうだ、落ち着いたか?」
これは、わたしを落ち着かせる為?
落ち着く処か、恐怖に固まっていたが、
わたしの返答次第で、この男が次に何をしてくるか分からない…と、何とか頷いた。
「時は満ちたと思ったが、まだ早かった様だ…
子供では私の相手にはならん、おまえが嫌がる事はしないと約束しよう」
男は穏やかな口調で言い、わたしの頭の上にキスを落とした。
ならば、そういう事もしないで下さいと言いたかったが、余計な事を言い
機嫌を損なわせてしまっては、元も子もなくなるだろう。
わたしはその恐怖から、言葉を飲み込み、ただ、ぎこちなく頷いておいた。
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