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本編

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数日の間、わたしはレイモンに何を聞かれても、
「知らない」「分からない」とはぐらかしていたが、
とうとう、レイモンも痺れを切らした様で、
その日、わたしは陶器の酒壺を渡された。

「魔王に酒を飲ませて、気分良く口が軽くなった処で聞き出すんだよ!」

レイモンは悪戯を思いついた子供の様に無邪気だった。
古典的な方法だが、酒を飲む事は特別な事では無いので、自然だろう。
尤も、それをしなくてはいけないわたしの方は、気が重かった。

「ソフィ、これは君の為でもあるんだよ?君が魔王の手先じゃない事を証明する為にも、
魔王の秘密を暴く必要があると思わないかい?」

『そんな必要は無い』と言いたかったが、やはり言えなかった。
言い合いなどしたくは無い。

「レイモン様、わたしが何も聞き出せなくても、許してくれますか?」
「ああ、ソフィ…不安なんだね?大丈夫さ、君なら上手くやれる…僕のソフィ」

レイモンは魅力たっぷりに笑うと、わたしの頬に唇を押し付けた。
興奮も喜びも感じないのは、きっと、こんな状況の所為だ___


気は乗らないまでも、わたしは酒壺を抱え、エクレールの部屋へと戻った。
酒を飲ませるだけならば問題は無い。
エクレールが何を語ったとしても、レイモンには『何も話さなかった』と言えば良いのだから。
わたしが部屋に入ると、エクレールは当然、わたしが抱えている酒壺に目を留めた。

「酒か、気が利くな」

エクレールがニヤリと笑う。
エクレールは食事の時にはワインを飲むので、酒好きなのだろう。

「はい、行商人が来ていたので手に入れました、珍しいお酒の様です」

この言い訳もレイモンが考えたものだった。

「おまえが買ったのか?ならば、金は私が出そう、幾らだ」

ここまではレイモンも考えてはいなかっただろう。
わたしは笑みを作る。

「いえ、魔王様へ差し上げる物ですので、代金は城の方で払って下さいました」
「そうか、ならば有難く受け取ろう、ソフィ、おまえに酌をして貰うぞ」

酒壺を渡して、後は勝手に飲んで貰うつもりでいたが、レイモンの思惑通りに進みそうだ。
わたしは内心嘆息し、「お望みであれば」と頷いた。


その夜、晩餐を終え、片付けを済ませて戻って来たわたしを、
エクレールが長ソファから呼んだ。

「ソフィ、酒を注いでくれ」

余程楽しみにしていたのだろう、エクレールの機嫌は殊更に良かった。
わたしはエクレールの隣に「失礼します」と座ると、酒壺を取り、栓を開けた。
咽返る程に強い酒の匂いがし、わたしは驚いた。
もしかしたら、相当強い酒なのかもしれない。

「凄い匂い!」
「ああ、良い匂いだ、さぁ、注いでくれ」

エクレールは微動だにもしない、相当酒に強いのだろう。
わたしは安堵しつつ、それを酒器に注いだ。

「おまえも飲め、ソフィ」
「わたしはあまり好きでは無いので…」
「味見だけでもしておけ、珍しい酒なのだろう?」
「それでは、少しだけ…」

わたしは酒器に少しだけそれを注いだ。
エクレールが豪快に飲み干す隣で、わたしはそれに口付けた。
やはり匂いがキツイ。
だが、舐めてみると、思っていたよりもずっと飲み易いものだった。

「美味しい…」
「そうか、ならばもっと飲め」
「いえ、これはエクレール様への物ですので、わたしが飲む訳にはいきません」
「独りで飲んでもつまらん」
「それでは、もう少しだけ頂きます」

わたしはエクレールの酒器に注いだ後、自分の酒器にも注いだ。
飲み易く、美味しい酒だったが、やはり強い酒だった様だ。
それを飲み干すと、酒が回ったのか、顔が発熱した様に熱くなり、
お腹の下の辺りがカッと熱くなった。
頭が朦朧とし、体から力が抜ける…
わたしは真っ直ぐ座っていられず、ソファの背に凭れた。

「す、すみません、酔ったみたいです…」

喋ると熱い息が漏れた。
心臓が煩く鳴っている。
体が火の塊になった様に熱い___

「はぁ…熱い…」

頭はぼんやりとしているのに、息は早くなる。
体はどんどん熱を上げている様で、指一本、動かす事も出来そうにない。
だが、急に体が浮き上がった。
赤い目が至近距離で自分を覗き込んでいて、カッと、熱が上がった。

「あ、あぁ…!」

何故だか分からないが、わたしは何かに突き動かされ、彼に抱き着いていた。
彼の体に自分の熱い体を押し付ける。
それで熱が去る気がしたが、実際は、ただ、その行為が気持ち良いと感じただけだった。

いつの間に運ばれたのか、わたしはベッドに寝かされた。
彼の体が離れて行く…

「いやぁ…!!」

わたしは必死で手を伸ばし、その体に縋っていた。

「いや、お願い!行かないで!」
「私にどうして欲しい?」

背中を撫でられ、耳元で低く囁かれると、堪らず、わたしはビクリとした。

「わ、分からない…」

熱なのか、ぼうっとして、まるで頭が働かない。
だが、頭に《それ》が浮かんだ。
いつかの、熱いキスが…

「…き、キス、して…」

わたしが漏らすと、大きな手がわたしの顔を挟み、熱く口づけられた。
舌が絡み合い、熱に溶け…
快楽に頭の芯が痺れた。

唇が離され、赤い目に見つめられ…

「キスだけでいいのか?」

彼の親指が、わたしの唇をなぞる…

ゾクリ!


わたしの中で何かが壊れた。





目覚めた時、わたしは大きなベッドに居た。
驚く事に、わたしは何も身に着けていなかった。
そして、隣には何も身に着けていないであろう、その人が、わたしに腕枕をし、寝ている___

「っ!?」

あまりのショックに、わたしは息を飲んだ。
覚えているのは、酒を飲み、酔っ払い、みっともなくエクレールに迫った処までだ。

わたし、何故、あんな事を…!?

思い出すと羞恥に身悶えし、叫び出しそうになる。
だが、叫んでしまえば、隣のこの男が起きてしまうだろう。
それだけは避けなければと、わたしは両手で口を覆った。

あの後、どうなったのかしら…

何も無かったなど、相手がエクレールでは有り得ない。
この状況が、全てを物語っているではないか!

「…っ!!」

わたしは愕然となり、震えた。
だが、こうしている場合では無い___頭の奥で警報が鳴る。

早く、ここから去らなきゃ!
そうよ、エクレールが寝ているうちに!早く!!

エクレールと顔を合わせるなど、とても出来ない!
自分で自分を急き立て、ベッドから降りようとしたわたしは、
脇に服が置かれているのに気付いた。

「起きたか、ソフィ」

低い声にビクリとし、わたしは服を搔き集め、身を隠した。
振り返ると、エクレールがベッドに肘を付き、ゆったりとこちらを見ていた。

「み、見ないで下さい!!」
「ふん、何を今更、私たちの間で隠す事はあるまい?」

カッと顔が熱くなる。

「昨夜の事は過ちです!酔っていたんです、あんな事するつもりじゃ無かったの…」
「覚えている様だな、中々趣があったぞ」

エクレールが悪びれずにニヤリと笑う。
わたしは唖然とした。

「あなたは…わたしが酔っている事に、気付いていたのね!?
それなのに、それなのに…こんな事するなんて、酷いわ!!」

何て恥知らずなのか!!
わたしはショックのあまりヒステリックになっていたが、
エクレールの方は少しの動揺も見せなかった。
いや、それ処か、半ば閉じた目でわたしを眺め、辛辣に言ったのだった。

「酔っている時には、誘いに乗るなと?随分都合の良い考えだな、
そんなものを男に期待するな、おまえの期待に応えてくれる男など居ないと思っておけ」

わたしはショックもあり、泣いてしまった。
唇を噛み、なんとか声は抑えたが、涙は止められなかった。

エクレールは同情を見せる事無く、諭す様に続けた。

「ソフィ、おまえは自分がどんな危険な事をしているか、分かっていない。
身を任せる気が無いのなら、今後は誘われても酒など飲むな、
相手に媚薬入りの酒を飲ませるなど、論外だ___」

驚き、わたしの涙は止まった。

「媚薬入りの酒…だったのですか?」

「そうだ、おまえの他にも、これまで媚薬入りの酒やら、毒入りの酒を持って
誘って来た者が居たが、飲んだのはおまえが初めてだぞ、ソフィ」

え…
わたし以外にも、同じ事が?
エクレールの口ぶりからでは、一度や二度という訳ではなさそうだ。

「おまえの考えではあるまい?こんな事をおまえにさせたのは誰だ?」

赤い目がギラリと光り、わたしはビクリとした。
泣いていた事も忘れ、わたしはレイモンを庇う為、必死で言い訳をしていた。

「わたしの考えです!でも、媚薬入りだなんて、知らなかったの…」

レイモンが用意した酒だ。
レイモンは媚薬入りの酒だと知っていたのだろうか?
そんな物を、どうして、わたしに…?
違う!と、浮かんだ疑念を振り払う。
きっと、レイモンはわたしが飲むとは思っていなかったのだ…

「すみません、間違えて買ってしまったのね…」
「買う時に説明を聞かなかったのか、媚薬入りの酒は高価だぞ、三倍の値がする」
「知らなかったの!」

わたしは激しく頭を振った。

「まぁ、良い、おまえも代償は支払ったのだ、
今後は気を付けろ、皆、私程甘くは無いぞ」

わたしはもう何も反論は出来ず、服を抱えてエクレールの寝室を出ると、
自分の部屋に逃げ込んだ。
床に服を放り出し、浴室に入ると、何故か浴槽には湯が張られていた。
エクレールの魔法だろうが、とても感謝する気にはなれなかった。

こんな事する位なら、わたしにお酒を勧めなければ良かったのよ!

エクレールは媚薬だと知っていて、わたしに飲ませたのだ!
エクレールに媚薬は効かないのだろう、彼は乱れた姿は見せなかった。
彼は、ただ、冷静に、わたしが罠に落ちるのを見ていたのだ___!

「大嫌い!!」

わたしは怒りのまま、体を洗った。


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