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第四章:万世流転編
第二五話「神域突入」 その一
しおりを挟む〈レヴィアタン〉市街の中で唯一光が灯っている場所がある。
なだらかな斜面に立つ市街地の頂上付近、かつては蒼龍宮と呼ばれた屋敷だ。
公爵家の者たちによって急ぎ清められたそこでは、各地から集まった“悪童”たちによる酒盛りが行われていた。
「がっはっは!! まさか建国から二千年も経ってからあの田舎神どもとやり合えるとは、人生は分からんものだ! ついこの間くたばったレービンの奴の悔しがる顔が目に浮かぶわ!!」
大声で笑いながら、樽杯になみなみと注がれた麦酒を喉に流し込んでいるのは、魔族七高家が一、ベルディファー家の初代当主、ロドゴスだ。
御年二二〇〇歳。皇国に生きる魔族としては最長老である。彼は四対の黒銀の鱗に覆われた翼を器用に畳んで革椅子に座り、自らのこめかみから伸びる捻れた角に酒肴を刺してげらげらと笑う。
「あと百年も生きていればこんなに面白い時代になったというのに、本当に運のない奴だ!」
「ノーゼングリューンとバルガスもだな、しかし、知らない間に結構死んでるものだ。退屈だのなんだのと文句を垂れながら、肝心なときに死んでいる」
ロドゴスの向かいで静かに葡萄酒を傾けているのは天族八天家が一、ハルシャイン家の二代目当主、ソーマ。自慢の翼を亜空間に仕舞い込み、そのほっそりとした身体を一族の戦闘礼服に包んでいる。
ソーマは金色の眉を緩め、かつて死闘を繰り広げたロドゴスの空いた杯に麦酒を注いだ。
それは酒盛りの会場となった大広間の各所で繰り広げられている光景の一部でしかない。
この国ができる前はお互いの生存を賭けて殺し合った者たちが、再会の懐かしさを肴に酒を酌み交わしている。
「だが、互いに老けたものだ。いつまでも若いつもりでいたが、この場にいるという事実が私を年寄りだと言っている」
「若い連中には勿体ない喧嘩だ。だが良いのか? 相手は神だぞ」
天族は、神族がより現界に適応する過程で誕生した種族だ。
その力を抑えて神のまま生きるか、天族や神獣となってその力を保つか、元来頑強な身体で大抵の環境下で生きることのできる魔族と違い、現界での神族はあまりに脆弱だった。
「随分前に袂を分かった連中に過ぎんよ。ならば貴様らは親戚だからと手心を加えるか?」
「ああ、それはありえんな! 戦争ならばいざ知らず、殺し合いと喧嘩で手加減など興醒めもいいところだ」
麦酒を干し、丸焼きにされた豚の頭部を鋭い牙が並んだ口に放り込む。
ロドゴスの口の動きに合わせ、ばきばきと骨が砕ける音が聞こえた。
「しかし、何故八洲の神は皇妃を攫ったのだ。オレたちでさえそんな無謀な喧嘩の売り方はしないぞ」
今回の一件が噂話として広まると、魔族を始めとした好戦的な種族が真っ先に考えたのはイズモ神族の真意だった。
いくら好戦的とは言え、彼らも皇国の民。皇王に喧嘩を売るならそれなりの根回しと下準備が必要であることくらいは理解できる。
ただ、彼らは二〇〇〇年前に〈皇剣〉に叩きのめされ、それ以来〈皇剣〉に対して服従を誓っている。力ある者に従うのが彼らの流儀であり、誇りでもあった。
そんな彼らから見れば、イズモ神族の蛮行は蛮行という言葉さえ温く感じる所業だ。
「確かにな。何の枷もなく振るうには強すぎる故、皇王が様々な制約を己に課して力を縛っているというのに、何故その軛を解き放つような真似をしたのか」
ソーマは僅かに首を傾げながらロドゴスの酌を受ける。
天族は自分たちが暮らす環境を安定化させる存在として皇王を受け入れた。そして受け入れたからには、その自分の決断を穢さないよう皇国に尽くしてきた。
「国同士の争いであればまだ多少は違っただろうが、何故か皇王個人に直接殴りかかった。まこと、イズモ神族の考えていることは分からん」
皇王が何の遠慮もなく力を振るえる状況を作る。それは普通に考えれば手の込んだ自殺だ。皇王個人が志向するのは勝ち負けではなく、相手を滅ぼすか自分が滅びるかの二択なのだ。
そもそも兵器に勝敗を求めることが間違っている。
「オレならば、宴席で直接果たし合いを申し込む。条件を詰めねば喧嘩にさえならんからな」
豚足を砕きながら、ロドゴスは獰猛な笑みを見せる。過去にはその言葉通りに皇王に戦いを吹っかけていた。
「エリザベーティア陛下に完全敗北して、その喧嘩の売り方はやめたのだったな」
「ああ、小娘にあそこまで良いようにやられて無頼を気取るのもバカらしくなった。いや――オレをあそこまで叩き潰したあの娘が、簡単にいなくなっちまったのがどうにもつまらなく感じたんだったか」
「確かに、あれから妙に大人しくなった。ここ何百年かはどこにいるのかさえ分からぬほどにな」
「楽しくなくなったのさ。北の人間どもも楽しめる相手じゃないし、家も倅にくれてやった。オレが戦う理由が何にもなくなっちまった」
家督を譲り、無官になった以上、国に対する義務はもうない。
この地に集まった古き者たちは同じような境遇だった。初代皇王と共に戦い、国の礎を作り、後を譲って悠々自適の生活を送っていた。
「その割には、今回の話が回ってきたとき随分と喜んでいたらしいじゃないか。トランにいたにも関わらず、皇都入り一番手だと聞いたぞ」
にやりと笑うソーマ。
その美しさで何枚もの絵画に描かれた彼だが、その本質はロドゴスとそう違いはない。己の力を振るうこと、それを何よりの楽しみにしている。
「よく言うぜ。お前もかなり乗り気だったじゃねえか。わざわざ骨董品の神槍まで引っ張り出して、戦争のときの服まで着てよ」
「何、皇王と轡を並べるときはこの衣裳と心に決めていただけさ。この服が一番気分が盛り上がる」
初代皇王は平穏を作り出した。それまでの互いに憎み、争う時代を変えた。
だが、ソーマのその衣裳は、かつての争いの時代を知っている。
「何より、大事な友人の裔、その女を拐かす連中にきつい灸を据えるのに、これ以上の装具はあるまいよ」
「がははははっ!! 確かにそうだ! 他人の女を奪うなんてのは、オレたちの時代でも喧嘩の理由としてはかなり上等な部類だった。くだらねえ策を弄して他人のもんを奪う。そんなクソガキには色々教えてやらねえとな」
「そうさ、二度と同じことをしないよう。しっかりと躾けてやらないとね」
呵々と笑うロドゴスと、喉を鳴らすソーマ。
ふたりはそのまま暫く笑い続け――
「――!?」
やがて同時に大広間の扉に目を向けた。
これまでの笑い声を嘘のように静まりかえる大広間。
誰もがその扉の向こうにいる誰かに意識を向けた。
「宴の最中、失礼する!!」
扉の向こうから響く、若い女の声。
続いて重厚な扉がゆっくりと開き、その間からひとつの影が進み出た。
「皇王レクティファール殿との個人的な誼にて、此度の戦いに参加させて頂く!」
緩く波打った金の髪。
目元を隠す仮面の向こうから大広間を睥睨するのは、恐ろしいほどの覇気を秘めた炎の如き瞳。
そしてその背中に提げるのは、女の身の丈よりも長い遺失兵器の大剣。
「――面白いのが来た」
ロドゴスはその姿を見て、数百年ぶりの笑みを浮かべる。
過去、エリザベーティアに勝負の挑んだそのときと同じ笑顔だ。
「女! 名は何と言う!!」
彼はその場の全員を代表し、女に問う。
女はただ嬉しそうに口元を歪め、言った。
「『虎』、そう呼んで頂ければ幸いだ」
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