私は妹とは違うのですわ

茄子

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第一章

クトゥス伯爵家の夜会 002

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 アイリとターニャが抜けた会場では、エイミールとメイリンのダンスがホールの花となっており、拍手を浴びていた。
 上気した頬でエイミールを見るメイリンの瞳は潤んでおり、惹き込まれずにはいられない。

「エイミール様、お姉様はなぜ私を避けるのでしょうか?」
「避けてなどいませんよ、メイリン嬢。ですからそんな顔をなさらないでください」
「本当に?エイミール様からもお姉様に言ってくださっているのですよね?」
「ええ、もちろん。メイリン嬢がアイリと仲良くしたがっていることは伝えているよ。なんと言っても未来の義妹になるのだからね。スコットにもよろしく言われているし」
「スコット様にも」

 その名前にメイリンの顔がほころんだように笑みが浮かぶ。
 スコット=デュ=ケットはメイリンの婚約者だ。相思相愛と評判で、夜会ではよく二人で参加しているという。今日も二人で参加しているはずなのだが、スコットの姿が今のところ見あたらない。
 おそらく個人的な挨拶回りにでも出ているのだろう。スコットはそう言った、細々としたことにメイリンを同行させるような真似はせず、自由に過ごして欲しいと言っているらしい。
 それが真に優しさからくるのであればいいのだが、妻になるものに余計な詮索をされたくないと、今の内から予防線を張っているのようにエイミールには感じ取れてしまう。
 そもそもスコットは相思相愛とはいえ、引く手数多の色男なのだ。女どもが放ってはおかないだろう。
 メイリンには勝てないとわかっていても、二番でもいいという女は掃いて捨てるほどいる。
 それに比べ、とエイミールは思う。
 自分の婚約は完全に政略結婚であり、相思相愛とは無縁の関係だ。アイリがエイミールに心を開いてくれる様子も、この数年みている限りないし、これから先もなさそうである。
 エイミールとて、アイリに対して心を完全に開いているわけではないし、どちらかと言えば、アイリの背後にいる祖父母の顔がちらついて緊張してしまうほどである。
 その点、メイリンはそういったことがないので気楽に付き合える仲だ。
 ともにアイリに対する問題を抱えるもの同士、共鳴するものがあるのか、エイミールとメイリンはひどく気が合うのだ。
 エイミールは自分がメイリンに惹かれている部分があることは自覚しているが、それをどうにかしようとは思っていない。
 所詮はどうにもならないことであるし、アイリの妹であり、いずれ自分の義妹になる娘なのだから、くすぶる想いを表面に出すつもりなど一切ない。
 そんなことをするぐらいならば、アイリとの関係を見直したほうがましだと考えている。
 アイリともっと素直に向き合うことが出来れば、今よりも良い関係が築けるに違いないと思っているのだが、生憎と、今の現状では、アイリの数人の友人に勝てることはなさそうである。
 アイリの友人は社交界でも有名な人物ばかりで、ターニャをはじめとしてその人物たちが集まるとそこを中心に自然と輪が出来てしまうほどである。
 アイリ=フォン=ディミタス。銀色の髪真っ直ぐな髪。赤を宿した瞳。侯爵令嬢であり別名白の百合姫。
 ターニャ=フォン=グランツ。淡いハニーブロンドのウェーブがかった長い髪。深い海の色を湛えた瞳。伯爵令嬢であり別名金の百合姫。
 ミト=フォン=セイラン。黒く短髪。宵闇を閉じこめた瞳。侯爵子息であり別名黒の薔薇騎士。
 ラルク=デュ=ドルージュ。栗色の短髪。新緑を閉じこめたような瞳。侯爵子息であり別名緑の薔薇騎士。
 他にも社交界にはあざなをもつものは存在している。メイリンだって黄金の妖精姫と呼ばれているほどだ。
 だが、迫力で言えば、アイリたちの集団には到底かなうものではない。たった四人だけなのに、その場を支配してしまう雰囲気があるのだ。
 そして、その四人の繋がりの中心にいるのがアイリだ。正確にはアイリを育てた祖父母の影響なのだが、それでもアイリを中心としてそのカルテットは形成されている。
 エイミールはその集団を見るたびに、自分の立場の不安定さに怯えてしまうのだ。
 アイリが一声、エイミールでは嫌だと言ってしまえば、伯爵子息でしかないエイミールが否やを言えるはずがない。
 そしてなによりも、エイミールはアイリの友人たちから嫌われている。それを肌で感じるのだ。
 もちろん言葉や行動で示されたこともある。
 ともに騎士団に所属しているにもかかわらず、あからさまに無視されたことだって何度もあるのだ。その度に己の置かれた理不尽な立場に憤慨する。
 だが、爵位が上の子息に何か言えるはずもなく、ただ耐えるのみか、アイリにさり気なくあたりを弱くしてくれるよう頼むしか出来ない。
 だが、アイリにそれが伝わっているとは思えず、むしろ頼んだ後しばらくは余計にあたりがきつくなるほどだった。
 エイミールがアイリは本当はミトかラルクと婚約したかったのではないかと思っても、仕方がないことなのかもしれない。

「そういえばお姉様の姿が見えないわ」
「そう言えば先ほどのところにいないようだね」
「また逃げられてしまいましたわね」
「そう言う言い方は良くないよ。彼女は決して逃げているわけではない、きっと何か用事が出来たか、友人の姿でも見つけたんだろう」
「まあ!友人の姿を見つけたぐらいで婚約者の帰りを待たないだなんて、お姉様もひどいことをなさいますわね。いつものこととはいえ」
「かまわないよ」
「エイミール様は優しすぎなのですわ。お姉様にはもっとこうはっきりものをおっしゃった方がよろしいと思います」
「言っても無駄なだけだよ」
「まあ……」

 メイリンは悲しそうな顔をしてエイミールの手を取ると、胸の前に持って行って、励ますようにぎゅっと握りしめる。

「大丈夫ですわ。エイミール様はお姉様の婚約者なのですから、誰かに負けるはずがありませんわ」
「そうだね、わかっているよ」
「私だって、スコット様のことを信じておりますもの。私はスコット様に大切にされておりますでしょう?」
「ああ、そうだね」

 どこか言い聞かせるようにいうメイリンに、エイミールは頷いて見せた。その様子にほっとしたのか、メイリンはエイミールの手を離すと、キョロキョロと周囲を伺い、友人の姿を探し、見つけると、エイミールにエスコートされて合流をするのだった。
 エイミールは離れるタイミングを逃してしまい、アイリを探しに行くこともできずに、そのままそのグループに捕まってしまう。
 そんな時だった、エイミールの背後から声がかけられる。それはこの状況で一番聞きたくない声だった。

「やあエイミール。婚約者のアイリを放っておいてこんなところで何をしているのかな?」
「言ってやるなよミト。エイミールは黄金の妖精姫のお相手で手一杯なんだ」
「ああそうか、そうだったなすまないな」

 ミトとラルクだった。ターニャの姿は見えないのを鑑みるに、アイリはターニャと一緒なのだろう。

「アイリはターニャ様とご一緒ですか?」
「そうだね、さっきクトゥス伯爵からターニャを助けているのを見たからね。今頃は中庭で楽しく会話でもしているだろうね。それとも、ふがいない婚約者の愚痴でも言っているかもしれないな」「愚痴…」
「そんな!ひどいですわミト様!お姉様がエイミール様の悪口をおっしゃるだなんて、そんな酷いことをなさるはずはありませんわ」
「どうだろうか。だって婚約者を放ってその妹とダンスを楽しむような男が婚約者なんだぞ」
「それは、お姉様がおっしゃったんです。エイミール様と踊ってはどうかって」
「その言葉にほいほいと乗っかるなんて、お里が知れるというものだな。遠慮という言葉をその空っぽの頭に叩き込むべきだよ、黄金の妖精姫様」
「なっ」
「無礼だぞ!」
「無礼?無礼とは思えないな。まあ、そんな黄金の妖精姫様も自分の婚約者には無頓着と見える。さっきスコットは沢山のご令嬢に囲まれていましたよ」
「っ!……教えていただきありがとうございます」

 メイリンはぐっと歯を噛みしめて、何かを耐えるようにこぶしを握ると、視線をきょろきょろとさせ、スコットの姿を探した。
 その様子がおかしいのか、ミトとラルクはクスクスと笑いながらその場を離れていった。

「メイリン嬢、気にすることはないさ。あんな奴らの言う事なんて」
「分かっていますわ。スコットが人気者なのは今に始まったことではありませんもの」

 メイリンはそう言ったが、気になるのだろう。視線はまだスコットを探しているようだ。

「…………ぁ」

 小さく上げられたその声と視線の先をたどれば、そこには見知らぬ令嬢と仲良さげに笑みを浮かべてダンスを踊っているスコットがいた。

「気にすることはないよ。ダンスなんて挨拶みたいなものだろう」
「そうですわね。ええ、気にしてなんていませんわ」

 メイリンはそう言いながらも、こぶしを握り、扇子を持つ手には力が入っている。ミシリ、と嫌な音が聞こえた。可憐な妖精姫とて一人の女なのだから、嫉妬の感情ぐらいあるのだ。
 エイミールはあえてそのことに気が付かないふりをして、メイリンに飲み物の入ったグラスを渡す。

「ありがとうございます」
「気にしないで。飲み物でも飲んで落ち着こう。スコットもすぐにこっちに戻って来るよ」
「そうですわね。あの方々がどうして私にいつも意地悪を言うのでしょうか?全く分かりませんわ」
「そういう奴らなんだよ。気にして相手にするだけ無駄だというものだ」
「お姉様もあんな方々と付き合って、どういうおつもりなのでしょうか。きっと良い影響があるとは思えませんのに」
「……そうだな」

 むしろアイリと付き合っているからこそ、メイリンやエイミールへの当たりがきついのだが、メイリンはそのことに気が付いてはいないらしい。

「スコット様もまだいらしてませんし、皆様とおしゃべりもしたいですものね。あのような方々にかまけている場合ではありませんわよね」
「そうだよ」
「それにしてもお姉様はターニャ様とご一緒なのですね。ターニャ様はあまりいい噂を聞きませんのに、どうしてご一緒に過ごされるのでしょうか?」
「良くない噂ですか?」
「ええ、だってクトゥス伯爵に言い寄っているなどという噂もあるではありませんか」
「言い寄っている、ですか?言い寄られているという噂なら聞きますが、言い寄っているという噂は聞きませんね」
「まあそうなのですか?」

 メイリンは首をかしげて、ため息を吐き出した。
 妹しては、あまり面倒な人たちと付き合ってほしくはないのだろうが、むしろその面子をまとめ上げているのがアイリなのだからメイリンの考えは根底から覆るというものだ。
 エイミールもアイリにはなるべくターニャたちとは付き合ってほしくはないのだが、友人と付き合うのまで制限されるいわれはないと、そうはっきり言われてしまっているため、強く出ることが出来ない。
 そんなところも、アイリとエイミールが分かり合えない部分なんだろう。
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