冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat

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第3話 雪国の辺境で拾われた少女

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白銀の大地を照らす朝の光は、まるで新しい世界を描くように静かで美しかった。  
その道を、一台の荷馬車がゆっくりと走っていた。  
荷馬車には木箱や布袋が積まれ、後部座席には厚手の毛布に包まれたレティシアの姿がある。  
隣の席には、手綱を取るリアンの背中。雪を反射する光が彼の銀灰色の髪に散って輝いていた。  

「寒くないか?」  

リアンの声にレティシアは肩をすくめ、微笑んで首を横に振った。  

「ええ、大丈夫です。こうして外を眺めていると、不思議と心が落ち着く気がします」  

辺境の景色は、王都とはまったく違っていた。  
地平線まで続く雪原、ぽつぽつと点在する木造の家々、そして遠くには黒々とした針葉樹の森。  
その全てがどこか神秘的で、過去の痛みを包みこむような静けさに満ちている。  

「王都では、こんな風景は見られないのだろう?」  

「ええ……花と石畳ばかりの街でした。いつも賑やかで、美しくて。でも、今思えば、心の底から息ができる場所ではなかったのかもしれません」  

レティシアがぽつりと呟いた言葉に、リアンは短く相槌を打つ。  
雪煙が馬の足元から上がり、その音が二人の沈黙を柔らかく包み込んだ。  

「この辺境は厳しい土地だ。だが、それを嫌う者よりも、この静けさを愛する者の方が多い。……君もすぐに慣れるさ」  

「そうだといいですね」  

彼女は穏やかに微笑んだが、その胸の奥にはまだ過去の痛みが残っている。  
けれど、リアンと過ごす時間の中でようやく心が呼吸を始めていた。  

***  

昼頃になると、村に着いた。  
雪原の中にいくつもの家が点在し、中央の広場では人々が薪を割ったり、子どもが雪を丸めて遊んでいた。  
レティシアはその光景を見つめて、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。  

「ここが俺の領地の一部、エルデ村だ。人口は少ないが、皆よく働く。仲間意識も強い」  

リアンがそう説明しながら馬車を止めると、村人たちが彼の姿を見つけて次々と駆け寄ってきた。  

「リアン様! お帰りなさいませ!」  
「雪の中を長旅とは、お疲れでしょう!」  

村人の表情には尊敬と誇りがにじんでいた。  
リアンもそれに笑顔で応え、一人ひとりの名前を呼んで挨拶を返す。  
王都の貴族が民に見せるような形式的な態度ではない。  
ここでは領主と民の間に温かい絆があった。  

「その方は……?」  

村長と思しき白髪の老人が、レティシアに目を向けた。  
不安がわずかによぎる。追放された令嬢という立場をどう名乗ればよいのか、一瞬迷った。  
だがリアンが先に口を開いた。  

「旅の途中で倒れていたところを助けた女性だ。しばらくこの村で休ませてやりたい。異論はあるか?」  

老人はレティシアを見つめた後、穏やかに微笑んだ。  

「いいえ、とんでもない。リアン様がそうおっしゃるなら、私たちも喜んでお迎えしますよ」  

「ありがとうございます……」  

胸の奥が熱くなる。  
追放以来、人の優しさというものに触れるのがこんなにも久しいとは思わなかった。  

「宿を整えてくれ」とリアンが村人に指示を出し、レティシアを案内したのは、小さな木造の家だった。  
暖炉があり、窓辺には凍った花瓶の中に小枝が挿してある。  
決して豪華ではないが、温もりのある家だった。  

「今日からここを使うといい。足りないものがあれば遠慮なく言ってくれ」  

「すみません……本当に、何から何まで」  

「俺の領地内にいる限り、客人だ。困ることはないさ」  

リアンは淡々とそう言い残し、何か仕事があるらしく屋敷へ戻っていった。  

***  

夕暮れ、レティシアは村の広場を歩いてみた。  
雪の上に伸びる夕暮れの影が美しく、子どもたちが彼女を見て駆け寄ってくる。  

「お姉ちゃん、新しい人?」  
「髪がきれい! 雪みたい!」  

無邪気な声に、レティシアは思わず笑顔を見せた。  
自分を恐れたり、疑ったりする目ではない。純粋に興味と親しみを向けてくれる瞳。  
その素朴な温もりが心に染みわたる。  

「ええ、少しの間だけ、この村にお世話になるの」  

「じゃあ明日、雪合戦しよう!」  

そう言って走っていく子どもたちを見送りながら、ふと胸の奥があたたかく、そして少し痛んだ。  
かつて自分にも、こんな風に無邪気に笑える時間があったのだろうか。  
王都での社交の場、監視のような視線、嘘と期待――  
それが全て壊れた今、ようやく本当の自由を知った気がした。  

宿に戻ると、簡素なテーブルにパンとスープが用意されていた。  
リアンが手をかけてくれたのかと思うと、心がくすぐったくなる。  
その瞬間、扉が軋む音がして、リアンが入ってきた。  

「村の様子はどうだ?」  

「とても温かい人たちばかりです。……驚きました」  

「そうか、安心した」  

リアンは暖炉の火を見つめながら、少しだけ表情を和らげた。  
雪の光を受けた彼の横顔は静かで、どこか哀しげでもあった。  

レティシアは勇気を出して口を開く。  

「リアン様は……なぜこの辺境にいらっしゃるのですか? 王都でお暮らしになることもできたのでは?」  

リアンは少し黙り、炎のゆらぎを見つめたまま低く答えた。  

「……王都には、忘れたいものがある。俺は戦で多くを失った。家族も、友も。王の命令に従って戦ったが、その結果が彼らの死だった。だから、この地を選んだ」  

その言葉に、レティシアは息をのむ。  
彼もまた、何かを失った人なのだと気づいた。  

「……ごめんなさい。そんなことを聞くつもりでは」  

「いい。過去は過去だ。今はこの地を守ることが俺の役目だ。それに――」  

彼は振り返り、やわらかく目を細めた。  

「君のように、行き場のない者を迎えるのも、俺の務めだと思っている」  

その微笑みは、雪解けの光のように穏やかだった。  

どれほど冷たく凍っていた心も、その一言で静かに少しずつ溶けていく。  
レティシアは胸の奥から湧き上がる感情を押し留められず、ただ小さく頷いた。  

「ありがとうございます……リアン様」  

言葉にすると涙になってしまいそうで、それ以上は何も言えなかった。  

暖炉の火がぱちりと弾け、二人の間に赤い光を散らす。  
窓の外では、再び静かな雪が降り始めていた。  

これが新しい始まり――  
レティシアはその夜、ようやく深い眠りへと落ちていった。  

続く
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