冷徹婚約者に追放された令嬢、異国の辺境で最強公爵に見初められ、今さら「帰ってきて」と泣かれてももう遅い

nacat

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第4話 冷徹と噂の公爵との出会い

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その朝、村の鐘が低く鳴り響いた。  
レティシアは目を覚まし、窓の外を見つめた。風はおさまり、雪は細やかに降り続いている。  
薄青の光が室内を満たし、暖炉の炎がやさしく揺れていた。  

昨日はリアンのもとを訪ねる予定になっていた。領主としての彼の屋敷を訪ねるのは初めてだ。  
レティシアは鏡の前で慎重に髪を整え、借り物の毛織のマントを羽織る。  
簡素ではあるが清潔な衣服に身を包み、深呼吸して扉を開いた。  

***  

村の中心から丘をのぼると、石造りの館が姿を現した。  
高い塀に囲まれてはいるが、王都のような圧迫感はない。  
雪が降り積もった屋根から反射する光が眩しく、門の前には鎧を着た兵士が二人待機していた。  

「おはようございます。レティシア様ですね? リアン様がお待ちです」  

「はい……ありがとうございます」  

兵士たちの態度は丁寧だった。追放された身としての警戒や敵意は感じられず、かえって戸惑うほどだった。  
案内されて中に入ると、館の中は驚くほど静かで広い。  
木の床には手入れされたカーペットが敷かれ、壁には古い地図や戦記のようなものが飾られている。  

奥の部屋に通されたとき、暖炉の前に立つリアンの姿があった。  
黒い軍衣に近い服を着ており、長い外套を肩に掛けている。  
昨日までの穏やかな印象とは違い、今は領主としての凛とした雰囲気を纏っていた。  

「来てくれてありがとう、レティシア」  

その声にはいつもの柔らかさが残っているのに、不思議と彼の立つ姿勢が違って見えた。  
彼女は思わず息を呑む。  

「領主様……いえ、リアン様。お仕事の邪魔ではなかったでしょうか」  

「構わない。今日は少し村を案内しようと思っていた。君にもこの地を知ってほしい」  

レティシアが頷くと、リアンは外套を羽織り、隣に立つよう促した。  

「冷徹と呼ばれているのをご存知ですか?」  

ふいに彼が笑みを浮かべて尋ねてくる。  

「……え?」  

「村の者や他領の貴族は、俺のことをそう呼ぶ。『感情のない氷の公爵』とも」  

レティシアは思わず困惑して首を横に振った。  

「そんなふうには思いません。むしろとても……優しい方だと」  

リアンは少しだけ目を細めた。その視線は暖炉の火のように柔らかく揺れている。  

「優しさか……昔の俺なら、そう思われることを怖れたかもしれないな。だが今は違う」  

彼の言葉に、レティシアの胸に不思議な安堵が広がる。  
冷徹と呼ばれる男が、実際にはこんなに人の痛みを理解している。その事実が、心強くてたまらなかった。  

***  

二人は館を出て村を歩く。  
雪道を踏みしめる靴音が静かに響き、子どもたちが道端から「リアン様!」と声をかけるたび、彼は軽く手を上げて応える。  
領主と民――そんな距離のある関係ではなく、まるで家族のような信頼がそこにはあった。  

レティシアは雪に覆われた畑や、防風林、倉庫などを案内されながら、自然と笑顔になっていく。  
こんな穏やかな時間を過ごしたのは、いつ以来だろう。  

「ここは、厳しい冬でも生きられるよう工夫を重ねている。村人たちは逞しい。君も何か得意なことがあれば、手を貸してほしい」  

「わたくし……そうですね。刺繍や薬草の知識が少し。王都では侍女たちに教えたこともあります」  

「薬草か。辺境では貴重だ。君の力を借りられそうだな」  

リアンが微笑む。  
その穏やかな笑みに、レティシアの胸が小さくざわめく。  

***  

昼過ぎ、二人は丘の上の塔へと向かった。  
そこはこの領地全体を見渡せる高台で、雪原の向こうに連なる山々が一望できた。  

風が冷たく吹き抜け、レティシアの髪が舞う。  
その瞬間、彼がそっとマントを広げ、彼女の肩に掛けた。  

「……寒いだろう」  

「い、いえ……リアン様こそ、お寒いのでは」  

「俺は慣れている。辺境の冬は、この程度では優しいほうだ」  

マントの内側に包まれたとき、鼓動が速くなった。  
驚くほど近い距離。  
その逞しい体温が、凍えた心の奥まで溶かしていくようだった。  

「リアン様……あの……」  

「どうした?」  

レティシアは迷った。言葉を飲み込む。  
「本当はまだ怖いんです」と言いたかった。  
「また誰かに裏切られるんじゃないか」と、胸の奥で怯えている自分を認めたかった。  

けれど、涙を見せたくなかった。  
ただ、小さく息を整え、笑みを作る。  

「この景色、すごく綺麗ですね」  

リアンは短く頷いた後、ふと遠くを見つめた。  

「この空の向こうが、君のいた国だ。見えはしないが、風の向きがあちらへ流れている」  

レティシアは軽く唇を噛む。  
その言葉が、胸の奥の痛い場所を確かに刺激する。  

「……本当に全てを失った気がしていました。でも、今は少しだけ、前を向ける気がします」  

「それでいい。誰も過去から逃れられはしない。だが、過去に縛られる必要もない」  

リアンの声には、静かな力がこもっていた。  

「君がこの地でどれだけ生きたいと思うか、それが一番大事だ。ここでは誰も君を貴族とも罪人とも呼ばない」  

その言葉が、心に深く刺さる。  
王都では、常に誰かの“何か”として生きるのが当たり前だった。  
王太子の婚約者、伯爵家の娘、社交界の飾り――  
けれどここでは、レティシア・グレイスとしての自分が許されている。  

雪が舞い、風が彼のマントを揺らす。  
ふと見上げたその瞬間、リアンの視線が彼女と絡んだ。  
深緑の瞳の奥には、冷たさではなく、確かに温もりがある。  

――冷徹と呼ばれる公爵は、優しさという鋭い刃を持った人だ。  
レティシアはそう気づいた。  

「リアン様、この地で……わたくしも力になれるでしょうか」  

「もちろんだ。君には既に、この村を明るくする力がある」  

その言葉に、胸がじんと熱くなった。  

***  

夕方、館に戻るころには、空が淡く紅に染まっていた。  
リアンは玄関前で足を止め、そっと彼女に向き直る。  

「今日はよく歩いたな。無理をしていないか?」  

「いいえ。とても楽しかったです。……あの、リアン様」  

「ん?」  

「わたくし、あの夜、絶望していました。誰も信じられないと思っていました。でも……あなたに助けられたことを、今では運命のように感じるのです」  

息をひとつ吸うように、リアンの瞳が静かに揺れる。  
その視線がほんの一瞬、彼女の頬へと落ちた。  

「運命かどうかは、まだわからない。だが、君がここにいること、それが俺には嬉しい」  

レティシアは胸の奥が熱くなり、目を逸らした。  
頬にほんのりと赤みが差すのを感じながら、何も言わず深く頭を下げた。  

扉の向こうでは、薪のはぜる音が優しく響いていた。  
その夜、レティシアは生まれて初めて泣かずに眠りについた。  

遠くの空では、雪が次の季節の知らせのように、静かに光を受けていた。  

続く
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