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つぎはお父様が部屋にやってきた

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「お嬢様、食べないのですか? ミートパイ、とっても美味しかったですよ。白パンだって、その桃のジャムをつけてごらんなさい。気を失うほど美味しいって思いますよ」

 サンドリーヌは、腰に手を当て重大な決断に迫られているわたしを見つめている。

「レナルドさんは、お嬢様の為にミートパイをホールごと取ってくれていたのです」

(いえ、サンドリーヌ。ミートパイをいっきにホールごと食べるレディっている?)

 男性ならともかく、そんな大食漢、ではなく大食レディ、いたらお目にかかりたいわ。

「食べないのなら片付けますよ。わたしは忙しいのですから」

 彼女は、ついにイライラが絶頂にきたらしい。

 ズカズカと近づいてきた。

「ちょっ、ちょっと待って。待ってよ。食べるわよ。食べるにきまっているでしょう」
「では、はやく食べてください」
「わかったから」
「ほんと、片付かないったらないわ」

 サンドリーヌは、書物に出てくる気の毒な令嬢を虐める古株メイドみたいにブツブツ言っている。

「まったくもう。あっという間に完食するのなら、あれだけウダウダと悩む必要などなかったのです」

 彼女の言う通り、たしかに完食した。あっという間に。

(昨夜、わずかなサンドイッチを食べてから大分と時間が経っていてお腹が減りすぎていたからよ)

 サンドリーヌと自分自身に言、心の中でいい訳をせずにはいられなかった。

「旦那様がお待ちです。話をしたいとおっしゃっています」
「お父様が?」

 サンドリーヌのいう旦那様は、侯爵のことではなくお父様なのである。

(そうだわ。わたしもお父様にいろいろ尋ねたいのよね)

「お父様は、いまどこに?」

 おそらく厩舎にいるのだろうと思いつつも尋ねてみた。

「わたしならここだ」
「お、お父様っ!」

 いきなり扉が開いて本人が入ってきたものだから、寝台の上で文字通り飛び跳ねるほど驚いた。

「ここにいらっしゃいますよ。見えませんか? では、わたしは食器を運びます。これでやっと山積みの仕事にとりかかれます」

 サンドリーヌは、捨て台詞を残すと部屋を出て行ってしまった。

(サンドリーヌ、ありがとう)

 サンドリーヌは意地悪なメイドみたいに振る舞っているけれど、なにもかも計算しているのだ。

 わたしやお父様を想い、なごませたり緊張をといたりしてくれている。

 おそらく、だけど。というか、そう信じたいのだけど。

「マヤ、よく眠ったようだな。寝る子は育つというが、それ以上育ったら大変なことになるぞ。馬に乗れなくなる。というよりか、馬たちが乗せるのを拒否するだろう」

 お父様は娘にたいして暴言を吐きながら近づいて来て、侯爵が座っていたのと同じ椅子に腰をおろした。

「お父様、失礼すぎるわ。いくらなんでも、実の娘にそんなことを言う?」

 そう文句を言ってからハッとした。

 宰相の戯言を思い出したのである。

 じつは、わたしはお父様の子ではなく宰相の子であるということを。

(そんなわけはない。あれは、やはり宰相の戯言よ)

 心の中で否定する。

(そうよ。お父様に尋ねたらいいのよ。そして、お父様に『それは戯言だ』とか『虚言だ』と言ってもらえばいい。それから、宰相のバカさ加減をふたりで笑うのよ)

 そう考えるのだけれど、なぜか口が重くて開けられない。

「マヤ、どうかしたのか?」

 急に口を閉ざしたものだから、お父様が不思議に思うのもムリはない。

(いまよ。いまこのタイミングよ。『お父様』って切り出しなさい。切り出したら、あとは言葉が勝手に出てくるわ)

 心の中でもうひとりのわたしがそう主張する。

 このもうひとりのわたしは、なにかに迷ったときや悪いことをしようとするときにかならずといっていいほど出てくる、つまり良い方のわたし。

 良い方のわたしは、いつも清く正しく美しい方向にわたしを導こうとする。

 が、たいていは本能のわたしに、つまりあらゆる欲の塊である悪い方のわたしに言い負かされてしまう。

 いまもそう。

 ほんのわずかな勇気もないヘタレで面倒くさがり屋の悪い方のわたしが、良い方のわたしのアドバイスを全力でムシした。
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