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宴の翌日。
二日酔いの騎士たちがゾンビのように森へ狩りに出かけている昼下がり。
店内は静かだった。
私は厨房の掃除を終え、売上金の計算をしていた。
「……ふむ」
テーブルに広げた硬貨を数える。
昨夜の宴会で随分と食材を消費してしまったが、騎士たちが「お詫びとお布施です!」と言って置いていった金貨や宝石類が思いのほか多かった。
「黒字ね。これなら新しい冷蔵庫(氷魔法石式)が買えるわ」
私はホクホク顔で帳簿をつけていた。
そこに、ジークがやってきた。
彼は洗ったばかりの食器を拭きながら、向かいの席に座った。
「ミール。少し、話があるんだが」
声のトーンが低い。
いつもの軽口ではない。空気が重い。
私は帳簿から顔を上げた。
眼鏡越しに見る彼の表情は、真剣そのものだった。
「どうしました? お給料の話ですか? 昇給はまだ早いですよ」
「金の話じゃない。……俺自身の話だ」
ジークは手元の布巾をギュッと握りしめた。
「俺がなぜ、王宮を追われ、こんな辺境で行き倒れていたのか。……お前には、本当のことを話しておきたい」
「ああ、身の上話ですね」
私はペンを置いた。
従業員の過去を知っておくのも、雇用主の務めだ。
「どうぞ。聞きますよ」
「……ありがとう」
ジークは一つ息を吐き、重い口を開いた。
「俺は……ただの騎士団長じゃない。実は、先代国王の弟の血を引いている」
「へぇ」
「王位継承権は放棄しているが、血筋としてはオズワルド王子の従兄弟にあたるんだ」
「なるほど。だから顔がちょっと似てる……いや、ジークさんの方がイケメンですけど」
「茶化さないでくれ」
ジークが苦笑する。
「俺は、幼い頃からオズワルドと比較されてきた。『剣の腕はジークが上だ』『人望もジークがある』……周囲のそんな声が、オズワルドのコンプレックスを刺激したんだろう」
彼は遠くを見る目をした。
「俺は王位なんて興味はなかった。ただ、国を守る剣でありたかった。だから騎士団に入り、実績を積んだ。だが……それが逆効果だった」
「逆効果?」
「俺が活躍すればするほど、オズワルドの派閥は俺を危険視した。『ジークフリートはクーデターを企んでいる』『王位を狙っている』とな」
「ありがちな話ですね」
「ああ。そして、ある日……俺の部下が、無実の罪を着せられた」
ジークの拳が震える。
「横領の罪だ。濡れ衣だった。俺は抗議したが、聞き入れられなかった。上層部は言ったよ。『部下を救いたければ、お前が責任を取って消えろ』と」
「……それで、謹慎処分に?」
「そうだ。俺は騎士団長の地位を剥奪され、王都を追放された。……部下たちは救われたが、俺は全てを失った」
ジークは自嘲気味に笑った。
「情けない話だろう? 俺は逃げたんだ。政治の闇から。……そして、こんな場所で死にかけていた」
彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。
「ミール。俺はお尋ね者同然だ。ここにいれば、いずれお前にも迷惑がかかる。王子の追っ手が来るかもしれない。……いや、もう来ているという噂もある」
「……」
「だから、俺はここを出ていくべきかもしれない。お前を巻き込みたくない」
ジークの告白。
それは、彼の誠実さゆえの提案だった。
私への気遣いと、過去への未練。葛藤。
非常にシリアスな場面である。
感動的なBGMが流れてもおかしくない。
だが、この時。
私の意識は、まったく別のことに向いていた。
(……あれ?)
カラン。
乾いた音がしたのだ。
私の肘が当たって、積み上げていた銀貨の一枚がテーブルから転がり落ちた音だ。
(あ、銀貨が!)
私は目で追った。
銀貨はコロコロと転がり、床の隙間――よりにもよって、床板の深い亀裂の中へと吸い込まれていった。
(嘘でしょ!? あそこ、床下が深いのよ! 取れなくなったら大損害だわ!)
私は焦った。
ジークの話は右から左へ抜けていた。
「……ミール? 聞いているか?」
「あ、はい。聞いてます。巻き込むとか、迷惑とか」
私は上の空で答えながら、テーブルの下に潜り込んだ。
「ちょ、何をしているんだ?」
「ちょっと探し物を。続けてください」
私は四つん這いになり、床板の隙間を覗き込んだ。
暗い。見えない。
眼鏡があっても、暗闇の中までは見通せない。
(くっ……どこいったの、私の銀貨!)
私は目を皿のようにして(物理的に眼鏡を押し付けて)、隙間を凝視した。
眉間にシワを寄せ、目を細め、必死に深淵を覗く。
その顔は、傍から見れば「地獄の底から亡者を睨みつける悪鬼」のようだっただろう。
テーブルの上では、ジークが私の行動を深読みしていた。
「(……わざわざ姿を消して、俺の話を聞いているのか? 俺の顔色を窺うのではなく、言葉の真偽だけを判断するために?)」
ジークはゴクリと喉を鳴らした。
「俺は……お前と一緒にいたいと思っている。だが、お前に危険が及ぶなら、俺は剣を取って死ぬ覚悟もある。……どう思う?」
私は床下で、銀貨の縁がキラリと光るのを見つけた。
(あった! あそこね!)
しかし、指が届かない。
あと数センチ。
私はギリギリと歯を食いしばった。
「んんん~~~ッ!!(届けぇぇッ!)」
唸り声を上げる。
ジークには、それが「苦悩の唸り声」に聞こえた。
「(やはり、迷惑か……。公爵令嬢である彼女にとって、王家と対立するのはリスクが高すぎる……)」
ジークは悲しげに目を伏せた。
「わかった。……俺は出て行くよ」
彼が立ち上がろうとした、その時。
私は落ちていた小枝を使って、銀貨を掻き出すことに成功した。
パシッ。
銀貨を掴み取る。
「捕まえたわ!!」
私はテーブルの下から勢いよく飛び出した。
「逃がさないわよ! あなたは私のものなんだから!」
手の中の銀貨を掲げて叫ぶ。
ジークが硬直した。
「……え?」
「あ、頭ぶつけた。痛っ」
私はテーブルの縁で頭を打って涙目になっていたが、銀貨を死守した達成感で満たされていた。
「ふぅ、危なかった。もう少しで失うところでした」
私は銀貨を大事そうに懐にしまった。
そして、キョトンとしているジークに向き直った。
「で、なんでしたっけ? 出て行く?」
「あ、いや……」
ジークは顔を真っ赤にして口ごもっている。
「い、今……『逃がさない』と……『あなたは私のもの』だと……」
「ええ、言いましたけど?」
(銀貨のことだけど)
「そ、そうか……そうだよな!」
ジークの表情が、一瞬でパァァァッと明るくなった。
「お前はそういう女だったな! 損得やリスクなんて関係ない、一度懐に入れたものは絶対に手放さない……その強欲さこそが、ミールだ!」
「よくわかってるじゃないですか。私の所有物(従業員とお金)に手を出す奴は、王子だろうが魔王だろうが許しませんよ」
私は腕組みをして鼻を鳴らした。
「だから、出て行くなんて寝ぼけたこと言ってないで、働いてください。あなたの借金、まだ銀貨99枚分残ってますからね」
「……フッ、ハハハハハ!」
ジークが盛大に笑い出した。
「ああ、参った! 完敗だ! 俺が小さかったよ」
彼は晴れ晴れとした顔で、私の手を取った。
「わかった。俺はどこへも行かん。お前が『いらない』と言うまで、この命、お前に預ける!」
「重いですね。とりあえず、その手で皿を割らないでくださいよ」
私は手を振りほどいて、勘定に戻った。
(なんでこんなにテンション上がってるのかしら? まあ、辞職を撤回してくれたならいいけど)
私は全く気づいていなかった。
今の会話が、彼の中で「愛の告白(主従の契約)」として、より強固にロックされたことを。
そして、彼の忠誠心が「王家」から完全に「ミール個人」へと上書き保存されたことを。
「よし、スッキリした! 薪割りでもしてくる!」
ジークは歌うような足取りで裏庭へ出て行った。
「……変な人」
私は首を傾げ、再び帳簿に向き合った。
「さて、次は隣町の商人が来る予定だったわね。食材の卸値を交渉しないと」
平和な(?)午後は続く。
だが、私たちの知らないところで、新たな火種が近づいていた。
王都からではなく、隣町から。
私の商売敵になりそうな、胡散臭い影が。
「へへへ……噂の『悪役令嬢』とやら、どんな小娘か見てやろうじゃねぇか」
商売のライバル登場の予感である。
(……ところで、さっきの銀貨、よく見たらただのボタンだったわ。チッ、損した)
二日酔いの騎士たちがゾンビのように森へ狩りに出かけている昼下がり。
店内は静かだった。
私は厨房の掃除を終え、売上金の計算をしていた。
「……ふむ」
テーブルに広げた硬貨を数える。
昨夜の宴会で随分と食材を消費してしまったが、騎士たちが「お詫びとお布施です!」と言って置いていった金貨や宝石類が思いのほか多かった。
「黒字ね。これなら新しい冷蔵庫(氷魔法石式)が買えるわ」
私はホクホク顔で帳簿をつけていた。
そこに、ジークがやってきた。
彼は洗ったばかりの食器を拭きながら、向かいの席に座った。
「ミール。少し、話があるんだが」
声のトーンが低い。
いつもの軽口ではない。空気が重い。
私は帳簿から顔を上げた。
眼鏡越しに見る彼の表情は、真剣そのものだった。
「どうしました? お給料の話ですか? 昇給はまだ早いですよ」
「金の話じゃない。……俺自身の話だ」
ジークは手元の布巾をギュッと握りしめた。
「俺がなぜ、王宮を追われ、こんな辺境で行き倒れていたのか。……お前には、本当のことを話しておきたい」
「ああ、身の上話ですね」
私はペンを置いた。
従業員の過去を知っておくのも、雇用主の務めだ。
「どうぞ。聞きますよ」
「……ありがとう」
ジークは一つ息を吐き、重い口を開いた。
「俺は……ただの騎士団長じゃない。実は、先代国王の弟の血を引いている」
「へぇ」
「王位継承権は放棄しているが、血筋としてはオズワルド王子の従兄弟にあたるんだ」
「なるほど。だから顔がちょっと似てる……いや、ジークさんの方がイケメンですけど」
「茶化さないでくれ」
ジークが苦笑する。
「俺は、幼い頃からオズワルドと比較されてきた。『剣の腕はジークが上だ』『人望もジークがある』……周囲のそんな声が、オズワルドのコンプレックスを刺激したんだろう」
彼は遠くを見る目をした。
「俺は王位なんて興味はなかった。ただ、国を守る剣でありたかった。だから騎士団に入り、実績を積んだ。だが……それが逆効果だった」
「逆効果?」
「俺が活躍すればするほど、オズワルドの派閥は俺を危険視した。『ジークフリートはクーデターを企んでいる』『王位を狙っている』とな」
「ありがちな話ですね」
「ああ。そして、ある日……俺の部下が、無実の罪を着せられた」
ジークの拳が震える。
「横領の罪だ。濡れ衣だった。俺は抗議したが、聞き入れられなかった。上層部は言ったよ。『部下を救いたければ、お前が責任を取って消えろ』と」
「……それで、謹慎処分に?」
「そうだ。俺は騎士団長の地位を剥奪され、王都を追放された。……部下たちは救われたが、俺は全てを失った」
ジークは自嘲気味に笑った。
「情けない話だろう? 俺は逃げたんだ。政治の闇から。……そして、こんな場所で死にかけていた」
彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。
「ミール。俺はお尋ね者同然だ。ここにいれば、いずれお前にも迷惑がかかる。王子の追っ手が来るかもしれない。……いや、もう来ているという噂もある」
「……」
「だから、俺はここを出ていくべきかもしれない。お前を巻き込みたくない」
ジークの告白。
それは、彼の誠実さゆえの提案だった。
私への気遣いと、過去への未練。葛藤。
非常にシリアスな場面である。
感動的なBGMが流れてもおかしくない。
だが、この時。
私の意識は、まったく別のことに向いていた。
(……あれ?)
カラン。
乾いた音がしたのだ。
私の肘が当たって、積み上げていた銀貨の一枚がテーブルから転がり落ちた音だ。
(あ、銀貨が!)
私は目で追った。
銀貨はコロコロと転がり、床の隙間――よりにもよって、床板の深い亀裂の中へと吸い込まれていった。
(嘘でしょ!? あそこ、床下が深いのよ! 取れなくなったら大損害だわ!)
私は焦った。
ジークの話は右から左へ抜けていた。
「……ミール? 聞いているか?」
「あ、はい。聞いてます。巻き込むとか、迷惑とか」
私は上の空で答えながら、テーブルの下に潜り込んだ。
「ちょ、何をしているんだ?」
「ちょっと探し物を。続けてください」
私は四つん這いになり、床板の隙間を覗き込んだ。
暗い。見えない。
眼鏡があっても、暗闇の中までは見通せない。
(くっ……どこいったの、私の銀貨!)
私は目を皿のようにして(物理的に眼鏡を押し付けて)、隙間を凝視した。
眉間にシワを寄せ、目を細め、必死に深淵を覗く。
その顔は、傍から見れば「地獄の底から亡者を睨みつける悪鬼」のようだっただろう。
テーブルの上では、ジークが私の行動を深読みしていた。
「(……わざわざ姿を消して、俺の話を聞いているのか? 俺の顔色を窺うのではなく、言葉の真偽だけを判断するために?)」
ジークはゴクリと喉を鳴らした。
「俺は……お前と一緒にいたいと思っている。だが、お前に危険が及ぶなら、俺は剣を取って死ぬ覚悟もある。……どう思う?」
私は床下で、銀貨の縁がキラリと光るのを見つけた。
(あった! あそこね!)
しかし、指が届かない。
あと数センチ。
私はギリギリと歯を食いしばった。
「んんん~~~ッ!!(届けぇぇッ!)」
唸り声を上げる。
ジークには、それが「苦悩の唸り声」に聞こえた。
「(やはり、迷惑か……。公爵令嬢である彼女にとって、王家と対立するのはリスクが高すぎる……)」
ジークは悲しげに目を伏せた。
「わかった。……俺は出て行くよ」
彼が立ち上がろうとした、その時。
私は落ちていた小枝を使って、銀貨を掻き出すことに成功した。
パシッ。
銀貨を掴み取る。
「捕まえたわ!!」
私はテーブルの下から勢いよく飛び出した。
「逃がさないわよ! あなたは私のものなんだから!」
手の中の銀貨を掲げて叫ぶ。
ジークが硬直した。
「……え?」
「あ、頭ぶつけた。痛っ」
私はテーブルの縁で頭を打って涙目になっていたが、銀貨を死守した達成感で満たされていた。
「ふぅ、危なかった。もう少しで失うところでした」
私は銀貨を大事そうに懐にしまった。
そして、キョトンとしているジークに向き直った。
「で、なんでしたっけ? 出て行く?」
「あ、いや……」
ジークは顔を真っ赤にして口ごもっている。
「い、今……『逃がさない』と……『あなたは私のもの』だと……」
「ええ、言いましたけど?」
(銀貨のことだけど)
「そ、そうか……そうだよな!」
ジークの表情が、一瞬でパァァァッと明るくなった。
「お前はそういう女だったな! 損得やリスクなんて関係ない、一度懐に入れたものは絶対に手放さない……その強欲さこそが、ミールだ!」
「よくわかってるじゃないですか。私の所有物(従業員とお金)に手を出す奴は、王子だろうが魔王だろうが許しませんよ」
私は腕組みをして鼻を鳴らした。
「だから、出て行くなんて寝ぼけたこと言ってないで、働いてください。あなたの借金、まだ銀貨99枚分残ってますからね」
「……フッ、ハハハハハ!」
ジークが盛大に笑い出した。
「ああ、参った! 完敗だ! 俺が小さかったよ」
彼は晴れ晴れとした顔で、私の手を取った。
「わかった。俺はどこへも行かん。お前が『いらない』と言うまで、この命、お前に預ける!」
「重いですね。とりあえず、その手で皿を割らないでくださいよ」
私は手を振りほどいて、勘定に戻った。
(なんでこんなにテンション上がってるのかしら? まあ、辞職を撤回してくれたならいいけど)
私は全く気づいていなかった。
今の会話が、彼の中で「愛の告白(主従の契約)」として、より強固にロックされたことを。
そして、彼の忠誠心が「王家」から完全に「ミール個人」へと上書き保存されたことを。
「よし、スッキリした! 薪割りでもしてくる!」
ジークは歌うような足取りで裏庭へ出て行った。
「……変な人」
私は首を傾げ、再び帳簿に向き合った。
「さて、次は隣町の商人が来る予定だったわね。食材の卸値を交渉しないと」
平和な(?)午後は続く。
だが、私たちの知らないところで、新たな火種が近づいていた。
王都からではなく、隣町から。
私の商売敵になりそうな、胡散臭い影が。
「へへへ……噂の『悪役令嬢』とやら、どんな小娘か見てやろうじゃねぇか」
商売のライバル登場の予感である。
(……ところで、さっきの銀貨、よく見たらただのボタンだったわ。チッ、損した)
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