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翌朝。辺境の爽やかな空気の中に、場違いな咆哮が響き渡った。
「ミール・ヴァン・ダレス! 私と勝負だ!!」
声の主は、ボロボロの寝癖をつけたまま、愛剣を天に突き上げるオズワルド王子である。
昨夜、あれほど美味しそうにカレーを完食し、涙まで流していたというのに、一晩寝たらプライドが復活したらしい。
私は店の前で、朝食用の「特製ボアベーコン」を燻製にしていたのだが、あまりのうるささに眼鏡をクイッと直した。
「……朝から元気ですね、殿下。近所迷惑ですよ」
「黙れ! 私は一晩中考えた。あんな美味しい食べ物を作る貴様が、悪い人間であるはずがないと!」
「……それは、ありがとうございます?」
「だが! その料理という『魔術』で、私の誇り高き騎士たちやジークフリート、さらにはリリアまでもを籠絡した罪は重い!」
オズワルドは、鼻の穴を膨らませて鼻息荒く宣言した。
「正々堂々と決闘だ! 私が勝てば、貴様は王都に戻って私の専属料理人になれ! そして、毎日三食、あのカレーを作れ!」
「……結局、また食べたいだけじゃないですか」
呆れる私をよそに、王子の背後からはリリアがひょっこりと顔を出した。
リリアはすでに店の制服(私が予備で持っていたエプロン)を完璧に着こなし、手にはハタキを持っている。
「殿下、往往生際が悪いですよ。ミール様は今、朝の仕込みで忙しいんです。遊んでる暇はありませんわ」
「リリア! 貴様、いつの間にそんな格好を! 似合っているじゃないか!」
「当たり前ですわ。さあミール様、こんなヘタレ王子は放っておいて、早く朝ごはんの支度をしましょう。私、お腹が空いて倒れそうですの」
リリアはもはや完全にこちらの陣営だ。
しかし、オズワルドは引かなかった。
「断る! 勝負だ、ミール! 剣でも、魔法でも、あるいは料理でもいい! 私を納得させてみろ!」
「……ふぅ」
私は溜息をつき、手に持っていたトングを置いた。
ちょうどいい。この「プライドだけは高い労働力」をどうにかしたいと思っていたところだ。
「わかりました。殿下がそこまでおっしゃるなら、勝負をお受けしましょう」
「おお! 受けたな!」
「ただし、剣や魔法ではありません。ここは『定食屋』です。定食屋にふさわしい勝負をしましょう」
私は厨房の奥から、山積みになった「昨夜の汚れ物」を指差した。
五十人分の大皿、鍋、おたま。カレーのスパイスがこびりついた、難攻不落の汚れ物たちである。
「『皿洗い対決』です。制限時間は三十分。どちらがより美しく、より多く、皿をピカピカにできるか」
「な……!? この私に、皿を洗えというのか!」
「逃げるんですか? 王族の力をもってすれば、皿の汚れ一つ落とすのは容易いことではないのですか?」
私は眼鏡をキラリと光らせ、挑発的に微笑んだ。
「……いいだろう! やってやろうじゃないか! 私の華麗なる手捌きに見惚れるがいい!」
オズワルドはマントを脱ぎ捨て、袖をまくり上げた。
「ジークさん、審判をお願いします」
「ああ。……いいのか、ミール?」
ジークが心配そうに耳打ちしてくる。
「王子にこんなことさせて、後で国際問題にならないか?」
「大丈夫ですよ。彼は今、勝負に夢中ですから」
こうして、前代未聞の「皿洗い決闘」が開始された。
「はぁぁぁ! 王家の秘技・水流操作(ウォーター・コントロール)!!」
オズワルドは、無駄に高度な生活魔法を駆使して、皿に付着したカレーの汚れを吹き飛ばし始めた。
「あ、殿下。力任せにやると皿が割れますよ。優しく、かつ大胆に。指先の感覚を研ぎ澄ませて」
「わ、わかっている! うるさい、口を出すな!」
最初は文句ばかり言っていた王子だったが、次第に様子が変わってきた。
彼は、実は極度の潔癖症であり、完璧主義者だったのだ。
「……む。ここに、わずかな油膜が残っている。許せん。……これだ、この洗剤というやつをもう少し……」
気づけば、彼は私との勝負など忘れ、目の前の皿を「究極の白さ」にするべく没頭していた。
「……ふふ、あっちに集中しましたね」
私は早々に自分の分の皿洗いを終え(というか、最初から彼に全部やらせるつもりだった)、ベーコンの燻製作業に戻った。
三十分後。
「……できた。……完璧だ」
オズワルドは、真っ白に燃え尽きたような顔で立ち尽くしていた。
彼の前には、鏡のように自分の顔が映るほどピカピカに磨き上げられた皿の山。
「お見事です、殿下。私の負けですね」
私は棒読みで称賛した。
「勝った……。私が、勝ったのか……?」
「ええ。殿下には、皿洗いの才能があるようです。これほど美しい輝き、私の店でもなかなか見られません」
「皿洗いの、才能……」
オズワルドは、自分の震える手を見つめた。
かつて剣を握っても父王に褒められず、政務をこなしても民に恐れられていた彼が、生まれて初めて「純粋な成果」を認められた瞬間だった。
「……悪くない。……皿を洗うという行為が、これほどまでに心を浄化するとは」
「殿下。才能があるなら、今日も一日続けてみますか? まだ大鍋が三つ残っていますよ」
「やろう。……いや、やらせてくれ! この汚れ、私が全て根絶やしにしてやる!」
王子は再び、狂ったようにスポンジを握りしめた。
「……姉御、恐ろしい女だな」
ジークが私の横で戦慄いていた。
「王子を洗脳して、無給の『皿洗いマシーン』に改造するなんて」
「洗脳じゃありませんよ。適才適所、と言ってください」
私は眼鏡を拭き直し、清々しい気分で朝食の盛り付けを開始した。
こうして、討伐軍の総大将は、定食屋の「皿洗いチーフ」へと華麗な転身を遂げたのである。
辺境の森に、今日も平和な水音が響き渡る。
「ミール・ヴァン・ダレス! 私と勝負だ!!」
声の主は、ボロボロの寝癖をつけたまま、愛剣を天に突き上げるオズワルド王子である。
昨夜、あれほど美味しそうにカレーを完食し、涙まで流していたというのに、一晩寝たらプライドが復活したらしい。
私は店の前で、朝食用の「特製ボアベーコン」を燻製にしていたのだが、あまりのうるささに眼鏡をクイッと直した。
「……朝から元気ですね、殿下。近所迷惑ですよ」
「黙れ! 私は一晩中考えた。あんな美味しい食べ物を作る貴様が、悪い人間であるはずがないと!」
「……それは、ありがとうございます?」
「だが! その料理という『魔術』で、私の誇り高き騎士たちやジークフリート、さらにはリリアまでもを籠絡した罪は重い!」
オズワルドは、鼻の穴を膨らませて鼻息荒く宣言した。
「正々堂々と決闘だ! 私が勝てば、貴様は王都に戻って私の専属料理人になれ! そして、毎日三食、あのカレーを作れ!」
「……結局、また食べたいだけじゃないですか」
呆れる私をよそに、王子の背後からはリリアがひょっこりと顔を出した。
リリアはすでに店の制服(私が予備で持っていたエプロン)を完璧に着こなし、手にはハタキを持っている。
「殿下、往往生際が悪いですよ。ミール様は今、朝の仕込みで忙しいんです。遊んでる暇はありませんわ」
「リリア! 貴様、いつの間にそんな格好を! 似合っているじゃないか!」
「当たり前ですわ。さあミール様、こんなヘタレ王子は放っておいて、早く朝ごはんの支度をしましょう。私、お腹が空いて倒れそうですの」
リリアはもはや完全にこちらの陣営だ。
しかし、オズワルドは引かなかった。
「断る! 勝負だ、ミール! 剣でも、魔法でも、あるいは料理でもいい! 私を納得させてみろ!」
「……ふぅ」
私は溜息をつき、手に持っていたトングを置いた。
ちょうどいい。この「プライドだけは高い労働力」をどうにかしたいと思っていたところだ。
「わかりました。殿下がそこまでおっしゃるなら、勝負をお受けしましょう」
「おお! 受けたな!」
「ただし、剣や魔法ではありません。ここは『定食屋』です。定食屋にふさわしい勝負をしましょう」
私は厨房の奥から、山積みになった「昨夜の汚れ物」を指差した。
五十人分の大皿、鍋、おたま。カレーのスパイスがこびりついた、難攻不落の汚れ物たちである。
「『皿洗い対決』です。制限時間は三十分。どちらがより美しく、より多く、皿をピカピカにできるか」
「な……!? この私に、皿を洗えというのか!」
「逃げるんですか? 王族の力をもってすれば、皿の汚れ一つ落とすのは容易いことではないのですか?」
私は眼鏡をキラリと光らせ、挑発的に微笑んだ。
「……いいだろう! やってやろうじゃないか! 私の華麗なる手捌きに見惚れるがいい!」
オズワルドはマントを脱ぎ捨て、袖をまくり上げた。
「ジークさん、審判をお願いします」
「ああ。……いいのか、ミール?」
ジークが心配そうに耳打ちしてくる。
「王子にこんなことさせて、後で国際問題にならないか?」
「大丈夫ですよ。彼は今、勝負に夢中ですから」
こうして、前代未聞の「皿洗い決闘」が開始された。
「はぁぁぁ! 王家の秘技・水流操作(ウォーター・コントロール)!!」
オズワルドは、無駄に高度な生活魔法を駆使して、皿に付着したカレーの汚れを吹き飛ばし始めた。
「あ、殿下。力任せにやると皿が割れますよ。優しく、かつ大胆に。指先の感覚を研ぎ澄ませて」
「わ、わかっている! うるさい、口を出すな!」
最初は文句ばかり言っていた王子だったが、次第に様子が変わってきた。
彼は、実は極度の潔癖症であり、完璧主義者だったのだ。
「……む。ここに、わずかな油膜が残っている。許せん。……これだ、この洗剤というやつをもう少し……」
気づけば、彼は私との勝負など忘れ、目の前の皿を「究極の白さ」にするべく没頭していた。
「……ふふ、あっちに集中しましたね」
私は早々に自分の分の皿洗いを終え(というか、最初から彼に全部やらせるつもりだった)、ベーコンの燻製作業に戻った。
三十分後。
「……できた。……完璧だ」
オズワルドは、真っ白に燃え尽きたような顔で立ち尽くしていた。
彼の前には、鏡のように自分の顔が映るほどピカピカに磨き上げられた皿の山。
「お見事です、殿下。私の負けですね」
私は棒読みで称賛した。
「勝った……。私が、勝ったのか……?」
「ええ。殿下には、皿洗いの才能があるようです。これほど美しい輝き、私の店でもなかなか見られません」
「皿洗いの、才能……」
オズワルドは、自分の震える手を見つめた。
かつて剣を握っても父王に褒められず、政務をこなしても民に恐れられていた彼が、生まれて初めて「純粋な成果」を認められた瞬間だった。
「……悪くない。……皿を洗うという行為が、これほどまでに心を浄化するとは」
「殿下。才能があるなら、今日も一日続けてみますか? まだ大鍋が三つ残っていますよ」
「やろう。……いや、やらせてくれ! この汚れ、私が全て根絶やしにしてやる!」
王子は再び、狂ったようにスポンジを握りしめた。
「……姉御、恐ろしい女だな」
ジークが私の横で戦慄いていた。
「王子を洗脳して、無給の『皿洗いマシーン』に改造するなんて」
「洗脳じゃありませんよ。適才適所、と言ってください」
私は眼鏡を拭き直し、清々しい気分で朝食の盛り付けを開始した。
こうして、討伐軍の総大将は、定食屋の「皿洗いチーフ」へと華麗な転身を遂げたのである。
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