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「……ああっ! 私の、私の視界がぁぁぁ!!」
厨房に、私の悲痛な叫びが響き渡った。
事件は、オズワルド王子が「王家の水流(ウォーター・シュート)!」とか叫びながら、調子に乗って大鍋を洗っていた時に起きた。
猛烈な水しぶきが、コンロで熱々に熱せられていたフライパンに直撃。
爆発的な水蒸気が立ち上がり、私の眼鏡を真っ白に包み込んだのである。
「何も見えません! 世界が再びモヤの中に消えました!」
私は慌てて眼鏡を外したが、今度はそこに炒め物の油が跳ね、レンズは「曇り」と「油」のダブルパンチで完全に機能不全に陥った。
「ひっ……! ミ、ミールの目が……元に戻ったぞ!」
眼鏡を外した私の「素顔(極限の凝視モード)」を見て、オズワルドが腰を抜かした。
「恐ろしい……! あの剥き出しの殺意! やはり眼鏡は、彼女の魔力を封印するための呪具だったのだ!」
「失礼な。ただのド近眼です。……ジークさん、布を! レンズを拭く布をください!」
私が手探りで助けを求めると、大きな、温かい手が私の肩を支えた。
「……ミール。その眼鏡はもう、限界かもしれないな」
ジークの落ち着いた声が、耳元で響く。
「え? まだ買って数週間ですよ? 大事に使えばあと十年は……」
「いや。料理の熱気と油、それに今の水蒸気だ。安物のレンズじゃ、すぐに表面がダメになる。……実は、これを渡す機会を伺っていたんだ」
ジークが、懐から小さな革製のケースを取り出した。
「……なんですか、それ。新しいスパイスですか?」
「違う。……開けてみてくれ」
手渡されたケースは、しっとりと手に馴染む最高級の魔獣革で作られていた。
中を開けると、そこには――。
以前の眼鏡よりもずっと細身で、しかし頑丈そうな、銀色に輝くフレームの眼鏡が収まっていた。
「これ……」
「街の眼鏡屋に特注していたんだ。……お前が毎日、あんなに激しく厨房で戦っているのを見て、もっとタフなやつが必要だと思ってな」
ジークは少し照れくさそうに、鼻の頭をかいた。
「レンズには、北の高山でしか獲れない『千里眼の魔石』を薄く削り出したものを使っている。汚れがつきにくく、熱気でも曇らない魔法がかけられているそうだ」
「魔石のレンズ!? ジークさん、そんなの、一体いくらしたんですか!?」
私は真っ先にコストの心配をした。
銀貨どころか、金貨が何枚飛んでいく代物だ。
「……気にするな。俺のヘソクリと、こないだ討伐したエンペラー・ボアの牙を売った金で足りた」
「牙……。あれ、私の取り分だったはずじゃ……」
「あー、その、プレゼントっていうのはそういうもんだろう? いいから、かけてみてくれ」
ジークが急かすので、私はおそるおそる、その新しい眼鏡を顔に当てた。
カチャリ。
その瞬間。
「…………っ!!」
私は絶句した。
世界が。
世界が、さっきまでの「高画質」を遥かに超えて、もはや「超高精細」になっていた。
壁の木目の筋、ジークの服の繊維、さらには――。
「……ジークさん」
「ん? どうだ、見えるか?」
「……毛穴まで、バッチリ見えます。ジークさん、今日は鼻の頭の毛穴が少し詰まってますね。あとで洗顔フォーム(特製)を貸してあげます」
「…………そこまで見なくていい」
ジークが顔を真っ赤にして背を向けた。
「すごいですわ……! ミール様、さらに美しさに磨きがかかりましたわね!」
リリアが横から覗き込む。
「あ、リリアさん。……右目のマスカラ、少しダマになってますよ。あとで直してあげますね」
「えっ!? やだ、恥ずかしい!」
「……ふん、私には見えるぞ。その眼鏡によって、ミールの支配力がさらに増大したことがな!」
オズワルドが切り株の後ろから叫ぶ。
「殿下。……殿下のその後ろ頭、十円玉くらいのハゲができかけてますよ。皿洗いのストレスですか?」
「なにぃぃ!? どこだ、どこにあるんだミール! 嘘だと言ってくれ!」
阿鼻叫喚の厨房。
私は、新しく手に入れた「最強の視界」に、これまでにない高揚感を覚えていた。
「……ジークさん」
私は、まだ耳を赤くしているジークの裾を、そっと引いた。
「……本当に、ありがとうございます。大切にしますね。私の命の次に」
「……ああ。……似合ってるぞ、ミール」
ジークが、優しく私の頭を撫でた。
眼鏡越しに見る彼の笑顔は、以前よりもずっと鮮明で、そして――。
思わず目を逸らしたくなるほど、真っ直ぐな愛情に満ちていた。
(……まずいわ。これだけよく見えると、彼の気持ちまで透けて見えてしまいそうよ)
私は胸の高鳴りを誤魔化すように、新しい眼鏡をクイッと押し上げた。
「よし! 視界もクリアになったことですし、さらに回転率を上げていきますよ! ジークさん、次のオーダー!」
「……了解だ、姉御」
ジークは苦笑いしながら、再び皿を手に取った。
最強の眼鏡を手に入れた悪役令嬢ミール。
彼女の定食屋経営は、ここからさらに加速していくことになる。
視界良好、商売繁盛。
……ただし、恋のピントだけは、まだ少し合わせるのに時間がかかりそうだった。
厨房に、私の悲痛な叫びが響き渡った。
事件は、オズワルド王子が「王家の水流(ウォーター・シュート)!」とか叫びながら、調子に乗って大鍋を洗っていた時に起きた。
猛烈な水しぶきが、コンロで熱々に熱せられていたフライパンに直撃。
爆発的な水蒸気が立ち上がり、私の眼鏡を真っ白に包み込んだのである。
「何も見えません! 世界が再びモヤの中に消えました!」
私は慌てて眼鏡を外したが、今度はそこに炒め物の油が跳ね、レンズは「曇り」と「油」のダブルパンチで完全に機能不全に陥った。
「ひっ……! ミ、ミールの目が……元に戻ったぞ!」
眼鏡を外した私の「素顔(極限の凝視モード)」を見て、オズワルドが腰を抜かした。
「恐ろしい……! あの剥き出しの殺意! やはり眼鏡は、彼女の魔力を封印するための呪具だったのだ!」
「失礼な。ただのド近眼です。……ジークさん、布を! レンズを拭く布をください!」
私が手探りで助けを求めると、大きな、温かい手が私の肩を支えた。
「……ミール。その眼鏡はもう、限界かもしれないな」
ジークの落ち着いた声が、耳元で響く。
「え? まだ買って数週間ですよ? 大事に使えばあと十年は……」
「いや。料理の熱気と油、それに今の水蒸気だ。安物のレンズじゃ、すぐに表面がダメになる。……実は、これを渡す機会を伺っていたんだ」
ジークが、懐から小さな革製のケースを取り出した。
「……なんですか、それ。新しいスパイスですか?」
「違う。……開けてみてくれ」
手渡されたケースは、しっとりと手に馴染む最高級の魔獣革で作られていた。
中を開けると、そこには――。
以前の眼鏡よりもずっと細身で、しかし頑丈そうな、銀色に輝くフレームの眼鏡が収まっていた。
「これ……」
「街の眼鏡屋に特注していたんだ。……お前が毎日、あんなに激しく厨房で戦っているのを見て、もっとタフなやつが必要だと思ってな」
ジークは少し照れくさそうに、鼻の頭をかいた。
「レンズには、北の高山でしか獲れない『千里眼の魔石』を薄く削り出したものを使っている。汚れがつきにくく、熱気でも曇らない魔法がかけられているそうだ」
「魔石のレンズ!? ジークさん、そんなの、一体いくらしたんですか!?」
私は真っ先にコストの心配をした。
銀貨どころか、金貨が何枚飛んでいく代物だ。
「……気にするな。俺のヘソクリと、こないだ討伐したエンペラー・ボアの牙を売った金で足りた」
「牙……。あれ、私の取り分だったはずじゃ……」
「あー、その、プレゼントっていうのはそういうもんだろう? いいから、かけてみてくれ」
ジークが急かすので、私はおそるおそる、その新しい眼鏡を顔に当てた。
カチャリ。
その瞬間。
「…………っ!!」
私は絶句した。
世界が。
世界が、さっきまでの「高画質」を遥かに超えて、もはや「超高精細」になっていた。
壁の木目の筋、ジークの服の繊維、さらには――。
「……ジークさん」
「ん? どうだ、見えるか?」
「……毛穴まで、バッチリ見えます。ジークさん、今日は鼻の頭の毛穴が少し詰まってますね。あとで洗顔フォーム(特製)を貸してあげます」
「…………そこまで見なくていい」
ジークが顔を真っ赤にして背を向けた。
「すごいですわ……! ミール様、さらに美しさに磨きがかかりましたわね!」
リリアが横から覗き込む。
「あ、リリアさん。……右目のマスカラ、少しダマになってますよ。あとで直してあげますね」
「えっ!? やだ、恥ずかしい!」
「……ふん、私には見えるぞ。その眼鏡によって、ミールの支配力がさらに増大したことがな!」
オズワルドが切り株の後ろから叫ぶ。
「殿下。……殿下のその後ろ頭、十円玉くらいのハゲができかけてますよ。皿洗いのストレスですか?」
「なにぃぃ!? どこだ、どこにあるんだミール! 嘘だと言ってくれ!」
阿鼻叫喚の厨房。
私は、新しく手に入れた「最強の視界」に、これまでにない高揚感を覚えていた。
「……ジークさん」
私は、まだ耳を赤くしているジークの裾を、そっと引いた。
「……本当に、ありがとうございます。大切にしますね。私の命の次に」
「……ああ。……似合ってるぞ、ミール」
ジークが、優しく私の頭を撫でた。
眼鏡越しに見る彼の笑顔は、以前よりもずっと鮮明で、そして――。
思わず目を逸らしたくなるほど、真っ直ぐな愛情に満ちていた。
(……まずいわ。これだけよく見えると、彼の気持ちまで透けて見えてしまいそうよ)
私は胸の高鳴りを誤魔化すように、新しい眼鏡をクイッと押し上げた。
「よし! 視界もクリアになったことですし、さらに回転率を上げていきますよ! ジークさん、次のオーダー!」
「……了解だ、姉御」
ジークは苦笑いしながら、再び皿を手に取った。
最強の眼鏡を手に入れた悪役令嬢ミール。
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