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新しい魔法の眼鏡をかけて迎えた、最初の朝。
私は鏡の前で、かつてないほどの衝撃を受けていた。
(……誰、この人?)
そこに映っていたのは、険しい眉間のシワが消え、ぱっちりと見開かれた瞳を持つ、驚くほど整った顔立ちの女性だった。
これまでの私は、見えない世界を必死に凝視するために、常に顔中の筋肉を中央に寄せ、「般若」か「鬼瓦」のような表情で生活していた。
それが、眼鏡という文明の利器によって解放された結果――。
「姉御、おはよう……って、うおっ!?」
厨房に入ってきたジークが、手に持っていた野菜カゴを落としそうになった。
「おはようございます、ジークさん。今日のカブは瑞々しくて美味しそうですね。土の付き具合から見て、北側の畑で採れたものでしょう?」
私は振り返り、眼鏡の奥の瞳をキラリと輝かせて微笑んだ。
「あ、ああ……そうだな。……いや、それよりお前」
ジークは顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
「な、なんだ。その顔……。眼鏡を変えただけで、そんなに変わるものなのか?」
「変ですか? やっぱりフレームが少し派手すぎました?」
「逆だ! ……その、なんだ。……綺麗すぎて、毒気が抜かれる」
ジークはそっぽを向いて、ガリガリと後頭部をかいた。
そこへ、朝の皿洗いのノルマをこなしに来たオズワルド王子が、生気のない顔で現れた。
「……ふん、朝から騒々しいな。私の繊細な指先は、すでに次の皿を求めて――」
王子の言葉が、ピタリと止まった。
彼は、カウンター越しに私を二度見、三度見し、そのまま硬直した。
「…………ミ、ミール……なのか?」
「はい、おはようございます殿下。さあ、スポンジを持って。今日は団体客の予約が入っていますから、予備の皿も全部磨いてくださいね」
私がいつものように事務的に命じると、オズワルドは震える手で眼鏡を外し、自分の目をこすった。
「ば、馬鹿な……! あの呪いの権化のような形相はどこへ行った!? そこにいるのは……かつて私が夢見た、理想の婚約者像そのものではないか!」
オズワルドは、まるで奇跡を目撃した聖者のような顔で私に歩み寄った。
「ミール! わかった、分かったぞ! 君は辺境の清らかな空気と、この眼鏡の魔力によって、ついに悪役令嬢の呪縛から解き放たれたのだな!」
「殿下、何を――」
「やり直そう、ミール! 今すぐ王都に戻り、改めて結婚の儀を執り行おう! これほど美しい妃を、辺境の定食屋などに置いておくのは国家の損失だ!」
王子の瞳が、下劣な打算と、現金な情熱でギラギラと輝き始めた。
私は、スッと一歩後ずさり、無表情で言い放った。
「お断りします」
「な、ぜ、だ! 君は私を愛していたはずだろう!?」
「殿下。……顔が良くても、中身が無理です」
「………………えっ?」
「一瞬で即答してしまいました。自分でも驚くほどのスピード感です。あ、ついでに言うと、今の私の『理想の夫像』は、無給で皿を洗う男ではなく、しっかり稼いでしっかり食べる、ジークさんのような野性味のある男性なんです」
「ぐはっ!!」
オズワルドは、目に見えない衝撃波を受けたように胸を押さえて膝をついた。
「……お、俺の名前を出したな、ミール」
ジークが、今度は嬉しそうにニヤニヤしながら、王子の前に立ちはだかった。
「聞いたか、殿下。……あんたの席はもうないんだよ。……さあ、失恋の傷を癒やしたいなら、あそこの大鍋を磨きな。あっちの方が、お前さんにはお似合いだ」
「くっ……ジークフリート……! 貴様、職権濫用だぞ!」
「職権じゃない、店主の判断だ。な、ミール?」
ジークが私に同意を求める。
私は、新しく手に入れたクリアな視界で、二人の男をまじまじと見つめた。
(……ふむ。やっぱり眼鏡があると、どっちが『美味しい食材を運んできてくれるか』が一目瞭然ね)
私は眼鏡をクイッと押し上げ、満足げに頷いた。
「はい、ジークさんの言う通りです。殿下、私との復縁を望むなら、まずはその皿洗いのスピードを三倍に上げてください。愛は言葉ではなく、労働で示していただくのが我が店のルールです」
「労働が愛……! なんという過酷な愛の形だ……!」
オズワルドは涙を流しながら、再びスポンジを握りしめた。
その様子を、物陰から見ていたリリアがポツリと呟いた。
「……結局、見た目が変わっても、中身は最強の『姉御』のままですわね」
「リリアさん。そこ、埃が残ってますよ」
「ひっ、すみません! すぐ拭きますわ!」
眼鏡美人の誕生により、店の売り上げはさらに伸びたが、それ以上に、従業員たちの規律が(恐怖と美貌の両面から)強化されることとなった。
辺境の定食屋は、今日も絶好調である。
私は鏡の前で、かつてないほどの衝撃を受けていた。
(……誰、この人?)
そこに映っていたのは、険しい眉間のシワが消え、ぱっちりと見開かれた瞳を持つ、驚くほど整った顔立ちの女性だった。
これまでの私は、見えない世界を必死に凝視するために、常に顔中の筋肉を中央に寄せ、「般若」か「鬼瓦」のような表情で生活していた。
それが、眼鏡という文明の利器によって解放された結果――。
「姉御、おはよう……って、うおっ!?」
厨房に入ってきたジークが、手に持っていた野菜カゴを落としそうになった。
「おはようございます、ジークさん。今日のカブは瑞々しくて美味しそうですね。土の付き具合から見て、北側の畑で採れたものでしょう?」
私は振り返り、眼鏡の奥の瞳をキラリと輝かせて微笑んだ。
「あ、ああ……そうだな。……いや、それよりお前」
ジークは顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
「な、なんだ。その顔……。眼鏡を変えただけで、そんなに変わるものなのか?」
「変ですか? やっぱりフレームが少し派手すぎました?」
「逆だ! ……その、なんだ。……綺麗すぎて、毒気が抜かれる」
ジークはそっぽを向いて、ガリガリと後頭部をかいた。
そこへ、朝の皿洗いのノルマをこなしに来たオズワルド王子が、生気のない顔で現れた。
「……ふん、朝から騒々しいな。私の繊細な指先は、すでに次の皿を求めて――」
王子の言葉が、ピタリと止まった。
彼は、カウンター越しに私を二度見、三度見し、そのまま硬直した。
「…………ミ、ミール……なのか?」
「はい、おはようございます殿下。さあ、スポンジを持って。今日は団体客の予約が入っていますから、予備の皿も全部磨いてくださいね」
私がいつものように事務的に命じると、オズワルドは震える手で眼鏡を外し、自分の目をこすった。
「ば、馬鹿な……! あの呪いの権化のような形相はどこへ行った!? そこにいるのは……かつて私が夢見た、理想の婚約者像そのものではないか!」
オズワルドは、まるで奇跡を目撃した聖者のような顔で私に歩み寄った。
「ミール! わかった、分かったぞ! 君は辺境の清らかな空気と、この眼鏡の魔力によって、ついに悪役令嬢の呪縛から解き放たれたのだな!」
「殿下、何を――」
「やり直そう、ミール! 今すぐ王都に戻り、改めて結婚の儀を執り行おう! これほど美しい妃を、辺境の定食屋などに置いておくのは国家の損失だ!」
王子の瞳が、下劣な打算と、現金な情熱でギラギラと輝き始めた。
私は、スッと一歩後ずさり、無表情で言い放った。
「お断りします」
「な、ぜ、だ! 君は私を愛していたはずだろう!?」
「殿下。……顔が良くても、中身が無理です」
「………………えっ?」
「一瞬で即答してしまいました。自分でも驚くほどのスピード感です。あ、ついでに言うと、今の私の『理想の夫像』は、無給で皿を洗う男ではなく、しっかり稼いでしっかり食べる、ジークさんのような野性味のある男性なんです」
「ぐはっ!!」
オズワルドは、目に見えない衝撃波を受けたように胸を押さえて膝をついた。
「……お、俺の名前を出したな、ミール」
ジークが、今度は嬉しそうにニヤニヤしながら、王子の前に立ちはだかった。
「聞いたか、殿下。……あんたの席はもうないんだよ。……さあ、失恋の傷を癒やしたいなら、あそこの大鍋を磨きな。あっちの方が、お前さんにはお似合いだ」
「くっ……ジークフリート……! 貴様、職権濫用だぞ!」
「職権じゃない、店主の判断だ。な、ミール?」
ジークが私に同意を求める。
私は、新しく手に入れたクリアな視界で、二人の男をまじまじと見つめた。
(……ふむ。やっぱり眼鏡があると、どっちが『美味しい食材を運んできてくれるか』が一目瞭然ね)
私は眼鏡をクイッと押し上げ、満足げに頷いた。
「はい、ジークさんの言う通りです。殿下、私との復縁を望むなら、まずはその皿洗いのスピードを三倍に上げてください。愛は言葉ではなく、労働で示していただくのが我が店のルールです」
「労働が愛……! なんという過酷な愛の形だ……!」
オズワルドは涙を流しながら、再びスポンジを握りしめた。
その様子を、物陰から見ていたリリアがポツリと呟いた。
「……結局、見た目が変わっても、中身は最強の『姉御』のままですわね」
「リリアさん。そこ、埃が残ってますよ」
「ひっ、すみません! すぐ拭きますわ!」
眼鏡美人の誕生により、店の売り上げはさらに伸びたが、それ以上に、従業員たちの規律が(恐怖と美貌の両面から)強化されることとなった。
辺境の定食屋は、今日も絶好調である。
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