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市場から戻った日の夜。
定食屋の営業を終え、最後のお客様を見送った後の静かな厨房。
私は、新しく手に入れた眼鏡を丁寧に拭きながら、ふと隣で黙々とテーブルを拭くジークを見つめた。
(……今日のジークさん、やっぱりどこか変だったわね)
市場での唐揚げ騒動。
あの時、彼が必死に伝えようとしていた言葉が、どうしても胸の奥に引っかかっている。
「……ジークさん」
「ん? なんだ、ミール」
ジークが手を止め、私の方を向いた。
月明かりが窓から差し込み、彼の銀髪を淡く照らしている。
眼鏡越しに見るその姿は、相変わらず不敵なほどに格好いい。
「市場でのこと……。結局、何を言おうとしていたんですか?」
私は一歩、彼の方へ歩み寄った。
ジークは一瞬、たじろいだように視線を逸らしたが、やがて覚悟を決めたように深く息を吐いた。
「……お前は、本当に察しが悪いな。それとも、わざとやってるのか?」
「失礼ね。私は常に合理的な判断を下しているだけです。推測で動くのは経営者のリスクですから」
「……なら、ハッキリと言わせてもらう」
ジークが、手に持っていた布巾をテーブルに置いた。
彼は私の正面に立ち、その大きな手で私の肩を優しく、しかし力強く掴んだ。
「俺は、お前が好きだ。……店主としてでも、姉御としてでもなく。一人の女として、俺の隣にいてほしい」
心臓が、跳ねた。
直球すぎる。変化球どころか、全力の剛速球だ。
「……ジーク、さん」
「お前の、その睨むような目つきも……笑うと意外と可愛いところも。不器用なくらい真っ直ぐに飯を作る後ろ姿も。……全部、俺のものにしたい」
ジークの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
眼鏡のレンズが、彼の熱っぽい視線を余すことなく捉えていた。
以前の私なら、この距離では彼の表情なんて「茶色い影」にしか見えなかっただろう。
でも、今は違う。
彼の瞳の揺れも、震える吐息も、全てが鮮明に「見えて」しまう。
「……お前はどうなんだ? 俺は……俺じゃ、ダメか?」
ジークの声が、微かに震えていた。
最強の騎士団長と呼ばれた男が、たった一人の女の返答に、これほどまでに怯えている。
私は、眼鏡のブリッジをそっと押し上げた。
「……ダメなわけ、ないじゃないですか」
「……ミール?」
「私は、眼鏡をかけるまで、世界がこんなに綺麗だなんて知りませんでした」
私は一歩、自分から距離を縮めた。
ジークの胸元に、額を預ける。
「でも、眼鏡をかけて一番良かったと思うのは……貴方の顔が、はっきりと見えるようになったことです」
「…………」
「ジークさん。……私の視界には、もう、貴方しか入れたくありません」
渾身の、近眼ジョークを交えた告白。
ジークは一瞬、呆然としたような顔をしたが、すぐに我慢できないといった様子で吹き出した。
「……っ、ははっ! お前、こんな時まで……!」
「笑わないでください! これでも、人生で一番恥ずかしいことを言ったんですから!」
「ああ、分かってる。……最高だ、ミール」
ジークの腕が、私の腰に回された。
そのまま、力強く抱き寄せられる。
彼の胸の鼓動が、自分のもののように伝わってきた。
「……もう、離さないからな。……もし俺の前からいなくなろうとしたら、地の果てまで追いかけて、無理やり皿洗いをさせてやる」
「それは嫌ですね。……ずっとここで、私の作った料理を食べていてください。……一生分のお代は、今の抱擁で帳消しにしてあげますから」
「……安いもんだな」
私たちは、月明かりの下で静かに笑い合った。
「……あ、ミール」
「なんですか?」
「眼鏡……外してもいいか?」
「え? なんで――」
返事をする前に、ジークの手が私の眼鏡に触れた。
ゆっくりと外されるフレーム。
再び、世界がぼやけていく。
光の粒が溶け合い、ジークの顔が「銀色の温かな光」に変わる。
「……やっぱり、外すと怖い目つきだな」
「……うるさいです。これは『愛の睨み』ですわ」
「ふっ……。見えなくても、俺の場所は分かるだろ?」
「……当たり前です。鼻水の匂い……じゃなくて、ジークさんの匂いがしますもの」
「雰囲気を台無しにするな、お前は……」
ジークの苦笑混じりの声が、すぐ近くで聞こえた。
そして、視界が完全に白濁する寸前。
唇に、柔らかくて熱い感触が、一度だけ触れた。
……真っ白な世界の中で、それだけが確かな現実として、私の心に刻まれた。
「…………合格です、今の。……サービスで、明日の朝食は肉多めにしてあげますわ」
「……ああ。期待してるよ、俺の奥さん(予定)」
こうして、辺境の定食屋で繰り広げられた、長い長い「両片思い」は、幕を閉じた。
翌朝、アランたちが「なんか姉御の顔がいつもより緩んでる!」「ついにやったか団長!」と騒ぎ立てる中。
私はいつも以上に気合を入れて、大きな中華鍋を振るった。
世界は、昨日よりもずっと、輝いて見えていた。
定食屋の営業を終え、最後のお客様を見送った後の静かな厨房。
私は、新しく手に入れた眼鏡を丁寧に拭きながら、ふと隣で黙々とテーブルを拭くジークを見つめた。
(……今日のジークさん、やっぱりどこか変だったわね)
市場での唐揚げ騒動。
あの時、彼が必死に伝えようとしていた言葉が、どうしても胸の奥に引っかかっている。
「……ジークさん」
「ん? なんだ、ミール」
ジークが手を止め、私の方を向いた。
月明かりが窓から差し込み、彼の銀髪を淡く照らしている。
眼鏡越しに見るその姿は、相変わらず不敵なほどに格好いい。
「市場でのこと……。結局、何を言おうとしていたんですか?」
私は一歩、彼の方へ歩み寄った。
ジークは一瞬、たじろいだように視線を逸らしたが、やがて覚悟を決めたように深く息を吐いた。
「……お前は、本当に察しが悪いな。それとも、わざとやってるのか?」
「失礼ね。私は常に合理的な判断を下しているだけです。推測で動くのは経営者のリスクですから」
「……なら、ハッキリと言わせてもらう」
ジークが、手に持っていた布巾をテーブルに置いた。
彼は私の正面に立ち、その大きな手で私の肩を優しく、しかし力強く掴んだ。
「俺は、お前が好きだ。……店主としてでも、姉御としてでもなく。一人の女として、俺の隣にいてほしい」
心臓が、跳ねた。
直球すぎる。変化球どころか、全力の剛速球だ。
「……ジーク、さん」
「お前の、その睨むような目つきも……笑うと意外と可愛いところも。不器用なくらい真っ直ぐに飯を作る後ろ姿も。……全部、俺のものにしたい」
ジークの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
眼鏡のレンズが、彼の熱っぽい視線を余すことなく捉えていた。
以前の私なら、この距離では彼の表情なんて「茶色い影」にしか見えなかっただろう。
でも、今は違う。
彼の瞳の揺れも、震える吐息も、全てが鮮明に「見えて」しまう。
「……お前はどうなんだ? 俺は……俺じゃ、ダメか?」
ジークの声が、微かに震えていた。
最強の騎士団長と呼ばれた男が、たった一人の女の返答に、これほどまでに怯えている。
私は、眼鏡のブリッジをそっと押し上げた。
「……ダメなわけ、ないじゃないですか」
「……ミール?」
「私は、眼鏡をかけるまで、世界がこんなに綺麗だなんて知りませんでした」
私は一歩、自分から距離を縮めた。
ジークの胸元に、額を預ける。
「でも、眼鏡をかけて一番良かったと思うのは……貴方の顔が、はっきりと見えるようになったことです」
「…………」
「ジークさん。……私の視界には、もう、貴方しか入れたくありません」
渾身の、近眼ジョークを交えた告白。
ジークは一瞬、呆然としたような顔をしたが、すぐに我慢できないといった様子で吹き出した。
「……っ、ははっ! お前、こんな時まで……!」
「笑わないでください! これでも、人生で一番恥ずかしいことを言ったんですから!」
「ああ、分かってる。……最高だ、ミール」
ジークの腕が、私の腰に回された。
そのまま、力強く抱き寄せられる。
彼の胸の鼓動が、自分のもののように伝わってきた。
「……もう、離さないからな。……もし俺の前からいなくなろうとしたら、地の果てまで追いかけて、無理やり皿洗いをさせてやる」
「それは嫌ですね。……ずっとここで、私の作った料理を食べていてください。……一生分のお代は、今の抱擁で帳消しにしてあげますから」
「……安いもんだな」
私たちは、月明かりの下で静かに笑い合った。
「……あ、ミール」
「なんですか?」
「眼鏡……外してもいいか?」
「え? なんで――」
返事をする前に、ジークの手が私の眼鏡に触れた。
ゆっくりと外されるフレーム。
再び、世界がぼやけていく。
光の粒が溶け合い、ジークの顔が「銀色の温かな光」に変わる。
「……やっぱり、外すと怖い目つきだな」
「……うるさいです。これは『愛の睨み』ですわ」
「ふっ……。見えなくても、俺の場所は分かるだろ?」
「……当たり前です。鼻水の匂い……じゃなくて、ジークさんの匂いがしますもの」
「雰囲気を台無しにするな、お前は……」
ジークの苦笑混じりの声が、すぐ近くで聞こえた。
そして、視界が完全に白濁する寸前。
唇に、柔らかくて熱い感触が、一度だけ触れた。
……真っ白な世界の中で、それだけが確かな現実として、私の心に刻まれた。
「…………合格です、今の。……サービスで、明日の朝食は肉多めにしてあげますわ」
「……ああ。期待してるよ、俺の奥さん(予定)」
こうして、辺境の定食屋で繰り広げられた、長い長い「両片思い」は、幕を閉じた。
翌朝、アランたちが「なんか姉御の顔がいつもより緩んでる!」「ついにやったか団長!」と騒ぎ立てる中。
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世界は、昨日よりもずっと、輝いて見えていた。
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